44.いい思い出になりますか?
サフィアノ村までの道のりは、明るい森を抜けて行く。
この一帯は果樹が多く実り、動物から人間まで、多くの人々が行き交う。
道は舗装されておらず獣道だが、幾年も踏みしめられて来たので立派なものである。
最近は魔物の動きが活発なので、歩いている人はほとんど見かけない。
足元に、ぼとりと落ちたリンゴが転がって来た。
魔王はそれを拾う。
「そろそろひと休みするか」
そしてそのリンゴを素手でぱきりと二つに割る。分裂中といえど、その怪力ぶりは健在だ。
ウィルがそれを差し出し、エマはリンゴを受け取った。
漏れ日の落ちる木陰で二人、木にもたれてしゃりしゃりと食べる。
多分、二人での初めての屋外活動。
光があふれ、空は青く、緑は蛍光色。
(ああ、何だか……)
「幸せだな」
ウィルが隣でぽつりと呟き、エマはびくりと身を震わせる。
「は……はあ?」
「はあ?とは何だ。そう思ったのは俺だけか?」
エマはリンゴぐらい顔を赤くする。それを見たウィルは嬉しそうにしゃくしゃくとリンゴをかじった。
「ここで中間地点だな。村まで、あと一時間は歩く」
「そうね。ウィル、体調は平気?」
「まあな。今日は気分がいいから」
言いながら、魔王はつる籠を覗く。
エマが摘んだ野の花々。果実に木の実、薬草とつるの束が混在して入っている。
「こんなもの拾って、エマはどうするんだ?」
「あら。ウィルはこういうことしないの?押し花を作ったり、ドライフラワーやドライフルーツにしたり、リースを作ったりするの」
「ふーん。そういえば、浮遊大陸の連中は建物の梁からやたらと植物をぶら下げていたなぁ」
「花って、乾燥させるといい匂いがするのよ。部屋に飾って楽しむの」
「エマがそんなことをするとは、意外だな」
「そうね。魔王を倒す訓練以外は私、暇を見つけてはこういうことをずっとしてたわ」
ウィルはそれを聞くと、力が抜けたようにずるずると寝そべり、
「もう、倒したよな。魔王は」
と呟いた。エマはくつくつと笑った。
ようやく訪れた人生の休暇。
愛する人の白い頬に落ちる木漏れ日。
籠いっぱいの花々。
何もかもが美しい。
「ウィルの子供が生まれたら、またここに来ましょうよ」
魔王は寝転がったまま彼女を見上げ、目で頷いた。
「……大昔、記憶が曖昧だが俺もここに来たような気がする」
「そういえば、先代の魔王もここで乳母のミレーユさんに会ったのよね」
「へー……」
「あら、知らないの?先代魔王の日誌にそう書いてあったわよ」
「父親の日記なんか読めるかよ」
思春期の男子のような物言いに、エマは思わず笑った。
その笑顔をまじまじと眺め、ウィルは半身を起こす。
「エマ」
彼がその名を呼ぶ。
ふと永遠のような時間が一瞬流れ、二人は向かい合って口づけをする。
まるで当たり前のように、戯れに、暇を潰すように、何かを埋めるように。
時間をかけて、頬を触り合って、ただ無心に互いの唇をむさぼる。
そこにはもう、意味も欲も介在しない。
エマはその時初めて、ウィルと死ぬまで共に暮らすということを悟った。
毎日いくらでも愛し合える。
──死ぬまで。
「……ウィル」
唇を離し、彼女もその名を呼ぶ。すぐそこにある、潤んだ空色の双眸が愛おしい。
名を呼ばれたウィルは、少し真剣な表情をすると
「……ちょっと聞きたいんだが」
と改まったように尋ねた。
「何?」
「夫婦になる時、人間たちは一体何をするんだ?エマの村にも、そういう風習はあったのか」
エマは夢うつつから抜け出し、彼の隣で頭をひねる。
「そうね……結婚式をするわ。親族の食事会ね。でも私はパス」
「そう。他には?」
「あ、お揃いの指輪をするの」
「ほー。あとは?」
「そんなところかしら。でも、何でそんなことを聞くの?」
ウィルは答えた。
「エマが生きている内に、やれることは全てやっておこうと思って」
エマは言葉を失う。
そうだった。エマは死ぬまでウィルといられても、ウィルは死ぬまでエマといられないのだ。
魔王の寿命は一万年、エマの寿命は百年もない。
エマは魔王と手を繋いだ。
「魔族にも、何かそういう儀式やしきたりがあったりするの?」
「ない。だからこそ、エマに何をしてやれるかを考えてる」
「そっか」
「エマと思い出をたくさん作って、それを思い出しながらあと8000年を生きようかなーってさ」
「ウィル……」
「指輪か……どんなのがいい?」
途端に、周囲の景色が今までと違った輝きを放ち始める。
「そうね」
エマは空に手をかざす。
「何か、とてもいい思い出になるものを」
ウィルも真似をして空に手をかざす。
「石でもつけるか?」
「うーん、でも引っかかるようならアレだし」
「メレ石を、一列に」
「……あ、それもいいかも」
寄り添って、ただただ流れる時間を楽しむ。
きっとこれも、いい思い出になると信じて。




