40.魔王が出産……ですか?
子供が出来たと聞かされて、エマは慌てふためいた。
「ええっ!?誰の子供よ……!」
そう言いかけて、はたと気づく。
「あれ?確か、魔王は無性生殖で分裂するって……」
ウィルは頷いた。
「俺の分裂が始まっているということだ。つまり人間風に言えば、俺が妊娠したことになる」
エマは頭を押さえた。
「えええええ、どどどどどどうしたら」
「落ち着けエマ」
「きっとあの夜に私がウィルを妊娠させてしまったんだわ!」
「……だから落ち着け、エマ」
魔王に両肩をさすられ、エマは息絶え絶えに呼吸を整えた。
「……待って、えーと、整理しましょう。ウィルはこれからどうなるわけ?」
「完全に分裂を終えるまでには少し時間がかかる。まだぱっとみた様子俺の体に変化はないが──まず、分裂は背中から起こる」
「背中……」
だからあの時、鞭打刑は中止されたのだ。
ウィルは続ける。
「そうだ。背中に鼓動が起き、別人格が現れる。そいつは俺から栄養を譲り受けながら、人間の赤子のように徐々に大きくなる。背中に顔が現れ、大きくなると、次は切り離しだ。その切り離しは、実は俺ひとりでは行えなくて」
エマはハッとする。
「そこで、私の出番なわけね?」
「そう言ってくれると助かる。難しいことではないが、安全に子を受け取ってもらう必要があるのだ。子は俺の背中から脱皮の昆虫のように離脱するから、それをするーっと取って欲しい」
「産婆さんみたいね」
「サンバさん?」
「知らないならいいわ。うーん、だとすると……」
エマはウィルの背中側に回る。
「……触ってもいい?」
「いいけど」
「どこらへんにいるの?」
「今は右肩の近く、かな」
エマが手のひらで触れると、どくどくと鼓動が跳ね返って来た。エマは驚いて手を引っ込める。
「本当だ、いた!」
「まだ、割と移動するな」
「この子、移動なんかするの?」
「睡眠中の親の背中に押し潰されたらかなわないからだろう」
「なるほど……」
エマが困惑していると、ウィルは振り返った。
「だから、その」
エマは顔を赤くする。ウィルも少し耳を赤くした。
「二人きりの生活っていうのは、あと少ししか出来ないんだ」
そうだ。じきに赤子との生活が始まる。
「えー!じゃあ私、お母さんになるの?」
「それはよく分からんが、俺は父になる」
「わわわわわ、どうしよう。私、体に何の変化もないし、母親の自覚が湧くかな……?」
「人間の父親だって、体に何の変化がなくても父親の自覚が湧くから大丈夫だろう」
「何よウィル。妙に冷静なのね」
「……冷静になるしかない。これからが大切なんだから」
ウィルはエマの手を握った。
「俺の子とエマには、何の血のつながりもないけど」
「うん」
「一緒に育ててくれるか?」
「勿論よ、そんなの。聞かれるまでもないわ」
エマは幸福そうに微笑んでいる。ウィルはほっとした表情を見せると、
「……よかったぁー……」
と呟きしゃがみ込んだ。エマは思わぬ反応に慌てる。
「どうしたのウィル!柄にもない……」
「だって……これで逃げられたら、どうしようって思って」
「あー、確かに。その可能性もあったわね?」
「実は、当初闇欲に任せてエマにいろいろやったのを、身籠ってから後悔した。好きならあんなこと、すべきではなかったって」
「へー。急に頭のネジ閉まったのね」
エマの嫌味に、ウィルは自嘲気味に笑って見せる。
「やはり、父親になったからだな」
「だとしたら、とってもいいことだと思うわ」
エマはウィルを眩しそうに見つめた。
分裂中のウィル。その笑顔はどことなく神々しい。
その時。
(……いいなぁ)
エマは自分の奥深くから湧き上がって来た感想に、はたと我に返った。
(あれ?私……)
エマは急に溢れ出て来た涙に戸惑う。
(今、すごくウィルのこと、羨ましくなって)
「エマ、どうした?」
ウィルが心配そうに覗き込んで来る。エマは慌ててかぶりを振った。
「ち、違うの」
「……何で泣いてるんだ?」
「ご、ごめん、ウィル」
エマは涙を止めようと心砕くが、なぜだか全く止まらない。
エマの中に、何やらどんどん黒いものが沸き起こって来る。
これは、まさか。
(私、ウィルに嫉妬しているの?)
エマはぞっとした。
そんな彼女を、ウィルは不安げに見つめる。
「……エマ」
彼は目の前で青くなっている恋人を抱き締めた。
「やっぱり、不安になるよな。でも、二人ならきっと乗り越えられるから──」
エマはウィルの肩口でぽろぽろと涙を流す。
(違うの……違うの、ウィル)
やるせない気持ちと、愛しい気持ちがないまぜになってエマを襲う。魔王と共に生きるという己の選択に、迷いはないと断言出来る。それなのに。
(私、あなたとの子供を産んでみたかったな──)
それだけが心残りで、しょうがない。
エマは人知れず、深いところで絶望していた。




