4.魔王城に住まわせる気ですか?
テーブルに並べられた朝食を見て、エマは目を輝かせる。
焼き立てのロールパンに貝のクラムチャウダースープ、新鮮なミモザサラダにはレモンの甘酸っぱい香り漂うドレッシングをかけて。メインは仔牛の骨付き肉のソテー。冷たい牛乳が、グラスごと冷やして置いてある。
敵の懐とはいえ、食事が豪華だと心が躍る。差し向かいに座る魔王はにこやかに微笑んだ。
「おはよう、エマ。昨日はよく眠れたか?」
エマは舌打ちをする。眠れるわけがなかった。
仲間に裏切られた絶望感、魔王に拐われた恐怖、それから──
(この男は一体何を考えているのか……)
一番エマを眠らせなかった原因は、この疑問にあった。自分を脅かす存在である勇者を手元に置き、絶望の表情を見ることに執着し、そのくせ妙に手厚く世話を焼いたりして、一体彼はどこへ辿り着こうというのか。
(これはきっと、絶望の顔を見るための罠、又は布石なんだわ)
昨晩のエマは、そのような結論に辿り着いた。御伽噺によくある、親切を装って主人公を太らせ、最後に食べるという結末。そこを目指しているに違いないのだ。散々親切にしておいて裏切ることで、より強烈な絶望感を相手に味あわせることが出来るのだから。
(……その手には乗らないんだから)
エマはそう決め込んで、魔王の差し向かいに座った。朝起きてすぐに木偶メイドに着せられた、ゆったりしたハイウエストの白いロングドレス。量の多い金の髪も、いつものふんわりした三つ編みに結われていた。至れり尽くせりの朝。エマにはどこか恐怖の序章に思えてならない。
整然と並べられた白銀のナイフとフォークを選び取り、エマの緊張の朝は始まった。もしかしたら、食材が物凄く硬いとか、辛いとか、そういった罠があるかもしれない。エマは怖々骨付き肉のソテーを口に運ぶ──
あ、おいしい。
いやいや、まだ隠し球があるやもしれん。エマは今度は注意深くスープをすくいつつ、具材を確認するようにかき回し始めた。すると。
「くくっ」
差し向かいの魔王ウィルが、堪えきれずに笑い出した。エマは笑われた恥ずかしさに歯噛みして顔を上げる。
「な、何よ……」
「そ、そんなに……警戒しなくても」
ウィルは目をこすって笑っている。エマは真っ赤になった。
「だって昨日、あなたが言ったじゃない。私の絶望の顔が見たいって。そりゃ警戒もするわよ!」
「いや、さすがに食事中に何か仕掛けたりはしない。俺も、闇欲と食欲とを同時に満たそうとは思わんよ。それとこれとは別と考えてくれ」
そんなことを言われても、信用など出来ない。出来るわけがない。
こいつは魔王だ。
歴代の魔王は、人間を混沌に陥れるために何でもやった。それこそ、人間の絶望を腹一杯喰らうために。その欲のために、人間は多くを犠牲にしたのだ。こいつもその末裔。
今日も今日とて彼は大きなブルートパーズ色の大きな瞳に銀の睫毛を瞬かせ、少し艶かしい目つきでこちらを見つめている。
エマはふと我に帰った。
いけない、いけない。
危うく見惚れるところだった。魔族とは恐ろしい。こんな美しい顔して、人間の不幸を喰らって生きているというのだから。
「食事のあとは、この魔王城の中を案内しよう」
ウィルがパンを頬張りながら言った。
「これから長い生活を送る上で、必要な設備について説明する」
エマはフォークを取り落とした。
「長い……生活?」
「ああ。どうせ魔王城からは出られないだろうからな」
エマはかたかたと震えた。
「で、出てやるから……」
ウィルは聞こえないふりをするかのように、その銀糸の髪を耳へとかき上げた。
「絶対、ここから出てみせる」
「あまりお勧めはしないぞ。この魔王城は巨大なダンジョンだ。恐らくエマの力だけでは、途中で死んでしまうだろう」
「……やってみなきゃ分からないわ」
エマの決意のこもった視線に気づき、ウィルはとたんに困り顔になった。
「うーん、じゃあ、ダンジョンに行きたくなったら俺を呼ぶんだぞ。俺がついていれば、大丈夫だろうから」
エマは愕然とした。ここまで下に見られているとは思わなかったのだ。ウィルはグラスの牛乳を飲み干すと、快活にこう言った。
「よし。じゃあ食べ終わったら、早速魔王城探検だ。色々、案内したいところがある」
エマは眉をひそめた。勇者という、いわば「宿敵」に手の内を明かすとは、どういう神経をしているのだろう。これもまさか、何かの罠なのだろうか。
「全く、エマは退屈しのぎにうってつけだな。顔色がころころ変わるから、見ているだけで楽しい」
魔王にうっとりと見つめられ、エマは少し頬を赤くした。エマ自身、彼に振り回されて感情があっちこっちに飛んでしまっている。ただひとつ、言えることは。
(でも、いい機会だわ。手の内を教えてくれるっていうんだもの。何か、掴みとっておかなきゃ。勇者たるもの、みんなのためには、ただで帰れない)
エマは仲間に裏切られても、勇者であろうとしていた。
魔王の復活と共に現れた、数多くの魔物。
作物は荒らされ、怪我を負った人間は数知れず。これを狂暴化させたのは魔王であると、エマは子供の頃から教えられていた。その張本人が目の前にいる。力が及ばず倒せなくとも、彼を説得出来れば何らかの見返りや取り計らいがあるかもしれない。
(私の、出来ることをやろう。今はそれしかない)
エマは目の前の食事をいそいそと食べ始めた。ウィルはそれを向かいからニコニコと眺め、
「食材不足の中、急遽ダンジョン内で調達した吸血コウモリとアグリー蛇の合成食材だったけど……エマ、気に入ってくれたようで良かった……」
と人知れず呟く。そうとは知らぬエマは、女らしからぬ驚異的なスピードで皿を空にして行くのであった。