39.何を隠しているのですか?
空に雲の多い、不穏な昼下がり。
ようやく部屋に帰って来た冴えない表情のウィルを、エマは小走りで出迎える。
「お帰り、ウィル。鞭打刑は痛くなかった?」
ウィルは曖昧に微笑むと、
「……刑は中止になった」
と答える。エマは首を傾げた。
「え?何でまた……」
「温情だよ」
「そうなの?なら、わざわざウィルを刑場に連れて行かなくてもよかったのにね」
「……そうだな」
ウィルは窓辺に移ると、しばし外を眺めた。
「そろそろ我々も魔王城に帰ろうかと思っているんだが」
エマは目を輝かせた。
「本当?」
「ああ。俺からテオドールに打診したんだ。そうしたら、まあいいだろうとうことだった。ただし、エマを返すには条件があると」
「条件?」
「いつでも浮遊大陸に戻って来れるようにせよ、とのことだ」
「ふーん。別にいいけど……きっと、卵の関係よね?」
「……恐らく」
「いいわ、それぐらいなら。ウィルと暮らすためだものね」
エマはうきうきと魔王の前に歩いて行くと、手を取って彼を見上げる。
エマがあの日蹴り壊した魔王の洞角は伸び、そろそろ完全に治りそうだった。
「……これから、どうしようか」
魔王はエマを愛おしそうに見下ろして尋ねた。エマはくすくすと笑う。
「……どうするって、私を魔王城に監禁するんでしょう?」
ウィルは緊張の面持ちに戻る。エマは何かまずいことを言ったかと身構えたが、
「エマ。魔王城に帰ったら、お前に話さなければならないことがある」
エマはきょとんと彼を眺める。
「ん?今、言うのは駄目なの?」
「その……ここでは落ち着かないし、何事にもタイミングというものがある。もう少ししたら、エマに分かりやすく伝えられると思う」
「……どうしたの?今日のウィル、何か変」
「どうもしていない。考え事だ。ところでエマ、両親に会いたいか?」
「へ!?……いや、だから何でそんなこと聞くの?」
「いや……娘を貰い受けるからには、挨拶ぐらいしておいた方がいいかと思って」
エマはその問いに少し逡巡する。魔王を討伐するために育てられたと言っても過言ではないエマが、親にそれを告げるのはためらわれた。
「うーん、実は……あんまり」
「親とは上手く行っていないのか?」
実のところ少し虐待まがいの教育を受けていたので、エマは両親に会っても会わなくてもいいような気がしていた。魔王を倒せないどころか手篭めにされたとあれば、勇者の血筋である彼らの名誉にも関わるだろう。むしろ死んだことになっていた方が、ウィルと暮らすには何かと好都合とさえ思うのだった。
「やっぱり、いいかな……ちょっと、教育され過ぎていたのもあるし」
ウィルはエマの言葉に何か考えているようだった。
「確かに俺が水瓶でお前を眺めていた時、エマは毎日12時間くらい稽古を繰り返していたな。敵ながら、ちょっとこのままだと死ぬんじゃないかと心配したぐらい」
「うん。恨みには思っていないんだけど、この状況で会うのはしんどい」
「そうか……親と子は、上手く行かぬものなんだな」
エマはウィルの落ち着かぬ様子に、不穏な何かを感じ始めた。
「やっぱり変よ、ウィル」
「そうか?」
「私の親のことなんか、絶対気にしない性格だったはずなんだけど」
「……」
「魔王城で言う話って、何?ここで言うのは駄目っていう理由は何なの?」
エマの詰問に、魔王は降参するように肩をすくめた。
「いいだろ、じきに分かることだ。さて……そろそろ荷物をまとめよう。準備が出来たら、いつでも帰っていいそうだ」
エマは鼻白んだが、ウィルがどこか真剣な顔をしていたのでそれ以上は追及出来なかった。
とにもかくにも、彼が助けに来てくれたことがきっかけとなり、エマはようやく浮遊大陸から出ることが叶ったのだ。
竜族とも色々あったが敵ではなかったし、図らずも竜族を助けられ、味方につけることも出来た。奇妙な巡り合わせと達成感に、エマはほっと胸をなで下ろしていた。
更には思いが通じ合ったウィルと、魔王城での甘い生活がスタートする。
引っかかることは色々あるにせよ、エマは希望に浮足立っていた。
数日後。
竜族の城の地階にある、花嫁を迎える魔法陣。
そこでエマとウィルは竜族に少しの手土産を渡されて佇み、テオドールを待つ。
テオドールはウェンディを伴ってやって来た。もう歩いても大丈夫なようだ。
竜族が見守る中、魔王と竜族の長が対峙する。
互いの間に散らばる、刺々しい空気。エマは少し怖くなって下を向いた。
「……魔王、そしてエマ」
先に口を切ったのは、テオドールの方だった。
「無礼の数々を許してくれ。こちらも過剰に必死になっているところがあった」
エマは恐々顔を上げる。
「エマ、協力ありがとう。まだ色々と迷惑をかけると思うが、その分、こちらもそちらへの協力は惜しまないつもりだ。特に、あの魔族──殺しはしたが、その残党がやはり機を狙って下界を動いている。その魔法陣からこちらに来られるようにゲートを開けっぱなしにしておいた。何か困ったことがあれば、いつでもこちらに来て貰って構わない」
エマはウィルに視線を送る。彼が頷くと、エマもテオドールを見上げて頷いた。
「魔王ウィルフリード。これからが大変だろう。何かあれば我々がすぐに駆け付けると約束する。さ、ウェンディ」
ウェンディが人型から、竜の姿に変身する。エメラルドの輝く鱗と翼。ウェンディが首をもたげると、それを合図に魔王と勇者はその背に乗り込んだ。
テオドールが二人に手を振る。
ウェンディが魔法陣の中央に乗ると、光と共に風が巻き起こり、三人はするりと消えた。
気づけば、魔王城の、玉座の間。
エマとウィルがウェンディの背中から降りると、彼女は言った。
「では、私は飛んで帰ります。あっちの魔法陣を描き替えて置きましたので、ここの魔法陣の中央に立てば、魔族や勇者が揃わなくともすぐ浮遊大陸に行けるようになっておりますわ」
「そうか。ご苦労だった、ウェンディ」
「いえいえ。こちらこそ、あなたの恋人をさらうような真似をして申し訳ありませんでした。また協力を依頼することと思いますので……どうかこれからの計画に向けて、お身体をお大事になさってください」
エマは前に進み、ウェンディの鼻先を撫でる。
「ありがとうウェンディ。私も竜族を滅亡させないために協力する用意はあるから」
「ううう……ありがとうございますエマ様、お優しい方。あなたと過ごせたこと、私、誇りに思いますわ」
玉座の間は、今でも壁にぽっかりと口を開けたままだ。ウェンディはのっしのっしと歩いて行くと、そこから再び大空の浮遊大陸へと飛び立って行った。
「さて、と」
飛竜を見送ると、ウィルはエマに向き合った。
「お帰り、エマ」
エマが頬を染めて頷く。
「ただいま、ウィル」
二人は互いの体にもたれると、そうっと口づけし合った。ようやく訪れた再びの平穏。
「ところで……」
エマは改まったように尋ねた。
「もう魔王城に帰って来れたわよ。ウィルの秘密、ちゃんと私に教えて?」
ウィルは面食らう。彼はしばし悩むように下を向いたが、すぐに決心したように顔を上げた。
「仕方がない……驚かないで聞いてくれ、エマ」
その真剣な眼差しに、エマは一瞬だけ、催促したことを後悔する。
「実は──」
エマは魔王の影を浴び、不安に目を泳がせる。
「俺も、子供が出来た」
静寂。
「は?」
崩れた壁から、ひんやりした風が入って来る。
エマの頭の中は真っ白になった。