37.許してくれますか?
「どうしてウィルがここに……」
エマが焦っていると、
「どうしてだと思う?」
とウィルは微笑んだ。エマは背後を振り返り、また前を向いてきょとんとする。
「……何か魔法を使って、私の行き先を監視して先回りしてた……とか?」
ウィルはふっと笑う。
「監視なんか、していない」
そして再び向こう側を向いた。
「ここに来たのは多分……俺も、エマと同じ気持ちになったからじゃないかな」
エマは痛む胸を押さえる。
「ウィル……」
魔王は振り返らない。エマはそっと歩いて行って、ウィルの背中に触れる。
向かい合わず、二人は互いの気配を感じ合う。
「エマ」
ウィルが背を向けたまま声をかける。
「……隣に来い」
エマは彼の隣に移動する。ウィルはふわりと風をはらませマントを外すと、エマの肩にかけてくれた。
ウィルは隣のエマを頭から爪先まで眺めると、
「いいドレスだ、よく似合ってる。やるな、テオドール」
と囁く。エマはその名前を聞き、どきりと体を硬直させた。魔王は何かを試すように、彼女の顔をそうっと覗き込んだ。
「エマの一番の魅力である鎖骨も出てるし」
「……」
「……どうした?」
「ウィル。私のこと、嫌いになった?」
ウィルは少し顔をこわばらせてから、エマの肩を静かに抱き寄せる。
「実は……」
エマはぎゅうっと目をつぶった。
「さっき、テオドールと話したんだ」
エマは意外な話に驚いて顔を上げ、目を見張る。
「あいつ、俺を部屋に呼び出して……何て言ったと思う?」
エマは顔を青くする。
「竜族のために彼女を犠牲にして申し訳ないって、謝って来たんだよ。そんで、エマは悪くない、協力してくれて本当に感謝している、とか言って来て……」
エマはうつむき、ウィルは少し笑う。
「あいつは短剣で切られて出血していて、起き上がれず、寝たままだった。それでも俺を呼び出して、そう言ったんだ。何かそれを見たら……凄く気分が萎えて」
風が弱まって来ている。
「許せないはずなんだが、怒りも出来なくなって、落ち込んだ。で、物凄く落ち込んで、今──ここに来たんだ」
マントごしにウィルの体温が伝わって来て、エマは熱くなった目をこする。
「あいつもあいつなりに、エマと竜族を守ろうとしてる。エマだって竜族の手前、やむにやまれず協力の道を選んだ」
エマは目を押さえ、小さくしゃくり上げる。
「そう理解してしまったら、怒るに怒れなくて」
エマは首を横に振った。
「ウィル、怒ったっていいのよ。私、怒られて当然のことをしたんだもの」
と、魔王が肩から手を離し、今度はエマの指先を握って来た。エマはようやくほっとして、前を向いた。
「むしろ私……あなたが怒ってくれない方が、落ち込むかもしれないわ」
ウィルは首を傾げる。
「……そうかな」
「ごめんなさい、ウィル」
「……エマまで謝って来るなよ。まだ俺は謝られたって、許すと決めたわけじゃないんだからな」
エマの表情が凍る。
ウィルは悲し気に微笑んでいる。
そうだ。あんな傷つけるようなことをして、許してくれなんて虫がよすぎる。
エマが肩を落としていると、魔王は彼女の頬を撫でながら呟いた。
「……まぁ、お前がどうしても許してほしいと言うのなら、許してやろう。ただし、条件がある」
エマは弾けるようにウィルを見上げた。
「じょ、条件?」
魔王はにやりと笑った。
「お前の一生を魔王に捧げろ」
エマの頬はみるみる色を取り戻して行く。ウィルはそれをうっとりと眺めると、エマの両の手を取った。
「……いいの?ウィル」
「何を言ってるんだ?監禁した上、毎日嫌がらせの拷問を行うんだぞ。何なら辱めもある。俺は若いままだがお前はみずぼらしく老け、日々その差を呪うだろう。地獄の毎日が始まるのだ。それでも逃げられないんだぞ、エマ」
エマはウィルを見つめたまま、ぼろぼろと涙をこぼした。こわばっていた体の芯がようやくふにゃりと溶け、同時に体中に熱が駆け巡るのが分かる。
「うう……ウィル……」
「お返事は?」
「愛してる」
「おかしいな。言葉、ちゃんと通じてる?」
「好き……」
「だから、返事」
「はい」
「よし、分かった。じゃあ約束だからな、竜の城を出たら、お前を魔王城に監禁する。外に出さない、二度と」
「……はい」
「よし。許してやろう」
「……馬鹿」
エマの涙をウィルの手が拭う。その濡れた指先が彼女の唇に触れる。エマは目を閉じた。
二人の唇が重なり合う。
魔王の唇は冷たく、凍えるように震えていた。