36.嫌われてしまうのですか?
ウェンディと共に、エマとウィルは地下室に足を踏み入れた。
複数の水槽が淡く光る幻想的な光景に、ウィルは目を見張った。
水槽の中には、奇妙な動物たちがたくさん浮かんでいる。
「……合成獣だ」
ウィルは水槽をなぞりながら、ぽつりと呟いた。
「伝説では聞いたことがあったが、竜族の医学はここまで発展していたのだな」
「はい。移植、合成、大抵のことは出来ます」
エマはどきどきと冷や汗をかく。ウェンディはエマの隣に立つと、そっとその背を押した。
言わなければ。
「……ウィル?」
薄暗い地下室で、ウィルの輪郭が逆光に浮かぶ。
「私……あなたに、言わなければならないことがあるの」
ウィルは真剣な表情でエマを見つめる。
「何だ?言え」
「……卵の話」
途端にウィルの顔が曇るが、いつかは分かってしまうことだ。
エマは歩いて行って、ある水槽の前に立つ。
彼女はウィルと共に、水槽を眺めた。
半透明の球体。いつの間にか、肉眼で確認出来るほどの大きさになっていた。
「これが、テオドールの言っていた卵なの」
ウィルの横顔が、ある予感に凍っている。
「怒らないで聞いてね。私、竜族に卵子を提供したわ」
ウィルは水槽から目をそらした。そしてエマに顔をそむけたまま呟く。
「……は?」
吐き捨てるような言葉に、エマは泣きそうになった。
「だって私、テオドールのものになるわけには行かなかった」
「……」
「でも私が卵を提供すれば、手を出すことなく地上に戻してくれるって」
「……」
「だから私、ウィルに会いたい一心で」
「……」
「……ウィル」
エマは彼にすがりつきたかったが、出来なかった。
ウィルの醸し出すひりひりするような空気に、全てを壊されるような気がして。
「あのさ」
ウィルが全てを察したように口を開いた。
「前、言ったよな」
エマはぎゅっと目をつぶる。
「魔王と人間の間には、子供が出来ないって」
エマは目をこする。いたたまれない。
「それを知ってて、あのテオドールとこんなことが出来るんだ、エマは」
たまりかねたウェンディがエマの背中をさする。エマは急に悲しみに喉を突き上げられ、ひーっと小さく悲鳴を上げた。
怒ったり暴れたりされた方が、まだマシだった。
目の前のウィルは何もかもを諦めたようにただ佇んでいる。
「……ごめんなさい」
謝ってもどうしようもないことは分かっている。しかし、そう言うしかなかった。
「ごめんなさい、ウィル……」
「ウェンディとやら」
エマの声を無視して、ウィルが声をかけた。
「独房に戻してくれ。もう疲れた」
ウィルは微かに笑っている。ウェンディは沈痛な面持ちで頷いた。
「……ご案内致します」
ウィルは誰よりも先を歩き出した。こんな部屋にいられない、と無言で訴えているかのように。
エマは絶望した。
抜け殻になったような体をどうにか立て直そうとしてみたが、動けなかった。
ウェンディは立ちすくむエマにそっと目配せすると、ウィルと共に地下室を出て行く。
エマはひとりになった。
夜の竜の城。
エマはひたすらに外階段を上っていた。ばたばたと水色のドレスが夜風にたなびく。
城の兵士の目をかいくぐり、エマは窓から壁伝いに外階段へ出ていた。皆、エマが勇者であったことなど忘れ去っているらしい。身体能力はその辺の女とは違う。こんなことは朝飯前だった。
しかし、心はその辺の女と同じ。
エマは死んだ心で、ひたすらに城の頂上を目指した。
(死のう)
エマはひどく疲れていた。
(やっぱり私、何をやってもだめなんだわ。……誰かのためにと頑張ったことが、全て裏目に出る)
燦然と輝く月も夜空の星も、エマには見えていない。
孤独と闇。
足元に広がるそれは、エマをいたずらに高所へと急がせる。
頂上付近にはテオドールの部屋があるが、それも既に消灯している。
その部屋の更に上に、小さなバルコニーがあるのをエマは知っていた。
風に翻るドレスの裾を抱え、階段が途切れた先に。
あった。
この城の屋上。一番高い場所。
あそこから落ちれば、死ねるはずだ。
エマは吸い込まれるようにバルコニーの手前まで来て、ふと気づく。
バルコニーの奥に先客がいる。
エマはその影に目を凝らしてから、呆然と立ち尽くした。
人影がこちらを振り返る。
月明かりに浮かぶその人は──
銀糸の髪とマントを冷たい風にたなびかせ、透き通る瞳でこちらをじっと見つめている。
「ウィル……」
エマは思わず呟いた。