35.約束してくれませんか?
浮遊大陸から見る美しい日の出も夕暮れも、もう見られない。
エマは地下の独房に入れられていた。ウィルの状況、テオドールの状況、どれも全く先が見えず、不安に押し潰されそうだ。
ウィルはどうやら召喚魔法でこちらに来たらしい。
大人しくエマにコンタクトしてくれればよかったのに、よりによって周囲に攻撃を仕掛けるとは。
(ウィルの馬鹿……)
しかし。
(あんなウィルの顔、初めて見た)
いつも、彼はエマをからかうように愛していた。
怒りに狂った顔など、見せたことがなかったのだ。エマを奪われたことが、余程頭に来ていたらしい。思ったより、ウィルは真剣にエマのことを愛していた。彼の本心を知れて、嬉しいことは嬉しいのだが……。
(私達、これからどうなるんだろう)
先程の様子だと、ウィルはエマがテオドールと何かあったと誤解しているようだった。
(早く誤解を解かないと、何をしでかすか分かったもんじゃないわ)
それにしても、久しぶりに見るウィルは少し痩せていた。顔色もどこか冴えなかった。体調が悪いのだろうか。
(色々あったから大変だったのよね。殴られた傷はもう大丈夫なのかな?)
ぐるぐるととめどなく不安が渦を巻く。
その時。
独房に人影が現れた。座って壁にもたれていたエマは、すぐに立ち上がる。
やって来たのは、ウェンディだった。
「……エマ様」
彼女は言いにくそうに口火を切る。エマは頷いた。どんな話でも受け止めるつもりだった。
「……何?」
「テオドール様の状況をお伝えします」
「……どうだった?」
「傷は表皮を少しばかり裂いただけで、軽傷でした」
エマはほっと胸をなで下ろした。
「そう、良かった……」
「一方、ウィルフリード様の状況なのですが」
エマは嫌な予感がした。
「ウィルは……?」
「それが、駄々っ子のように周囲を魔法で攻撃しておいでで。既に独房はひとつ破壊されました。もうひとつの移管された独房も、今夜までもつか分からない状況でして」
エマは苦虫を噛み潰す。
「その……会議の結果、やはりエマ様を釈放した上で、あの方をなだめてもらおうかと」
エマは頭を抱えた。
独房のウィルは手足を縛られて寝転がっていたが、口から絶えず火を吹き出し続けていた。
まるで竜族だ。そろそろ独房の鉄格子が熱でとろける。
灼熱地獄の中エマが現れると、魔王はとたんに火を引っ込めた。
「……あ。エマ!」
「何してるのよウィル。……誰かに危害を加えるようなことは、もうやめて」
ウェンディと看守が見守る中、エマはようやく鉄格子ごしにウィルと再会した。ウィルは不安げにエマの顔を覗く。
「エマ、お前は……」
ウィルは言い淀んでから、続けた。
「……テオドールに、何をされた?」
エマは恐々答えた。
「……何もされてないわ」
「本当か?では、卵がどうのという話は一体何だったんだ」
エマはどきりとする。彼はいつ、どうやって、そんなことを知ったのだろうか。
「その話、誰から」
「テオドールからだ」
万事休す。
あのことを、言わなければならなくなってしまった。
(言ったらきっと、ウィルは怒り狂うに違いない。……また誰かを傷つけるようなことがあれば、独房入りぐらいでは済まされない可能性だって)
「……エマ様」
見兼ねた様子で、ウェンディが申し出る。
「あなたには何も、恥ずべきことなどありません」
彼女はきっぱりとそう言った。ウィルはそれを聞き、怪訝に眉根を寄せている。
「エマ様のあの決断は、竜族全体を救う決断なのです。魔王様ほどのお方なら、きっと分かって下さるはず」
エマはため息をついた。
「……ウィル。ひとつだけ、今から私と約束をして」
ウィルは事情を呑み込めないながらも、恋人の懇願を聞き届けこくりと頷いた。
「あなたに見せなくてはならないものがあるの。でもそれを見ても、怒りに我を忘れて周囲を破壊しないで欲しい。もし当たりたくなった時は、私に当たって。いいわね?」
ウィルが頷くと、看守の判断で彼を縛っていた縄が外された。鉄格子が開かれると、ウィルとエマは久しぶりに互いの無事を確認し合う。エマがそうっとウィルの手に触れると、彼はこらえきれず彼女を抱きしめた。
エマは荒れ狂った獣をなだめるように、彼の背をそうっと撫でる。
それけら、回した腕で彼が少し痩せたことを感じ取り、声を震わせた。
「久しぶり、ウィル……」
ウィルもその声に応えるようにエマの額に頬を寄せると、無言で少しだけ鼻をすすった。