34.あなたなのですか?
束の間のお茶会が終了し、エマは部屋の窓から夕暮れ時の空を見て考え事をする。
気が進まないので余り聞かなかったが、仮に勇者と竜族が通常通りに結ばれた場合、いくつの卵を産むことになるのだろう。鶏のようにひとつずつ溜めて産むのか、はたまた亀のように一時に出産してしまうのか。
(亀パターンだったら一度で済むからいいけど、鶏パターンだったら発狂しそう)
竜はどちらかというと亀寄りよね、きっと……と、エマは少し笑う。
それからふと考える。
(ちょっと心に余裕が出て来た、かな)
自分の体をほとんど痛めなくていいのは不幸中の幸いだった。だがウィルには、この一件は黙っておこうとエマは心に決めていた。
(隠し子が発覚するようなものだもの)
魔王との間に子は出来ない。だのに竜との間に子がいるなど、どうして許されようか。
遠く下界の魔王城を見下ろす。
と。
エマは「あっ」と小さく叫ぶ。
魔王城が一瞬閃光のように、白く光ったのだ。
(……何かしら?)
エマが眉をひそめた、その時。
急に下の階がバタバタと慌ただしくなった。エマは胸騒ぎがし、椅子から立ち上がる。
「エマ様!」
モップを持ったままのウェンディが転がるようにして駆け込んで来た。
「……どうしたの?ウェンディ」
「た、大変です。魔法陣から見知らぬ男が現れ、竜族を次々襲っています!」
「……魔法陣?」
「とにかく、ここにいては危険です。エマ様、避難致しましょう。私の背にお乗りになって……!」
言うなりウェンディが緑の竜に変身する。エマはそれを眺めてから、ふと彼女に尋ねた。
「ねえ、その魔法陣って、召喚魔法に使うもの?」
「は、はい?そうですわ。とにかく、私に乗って……」
「ねえ、その見知らぬ男って、牛の角みたいなのが生えてなかった?」
ウェンディがきょとんと目を見開く。
エマは黒いカメオブローチをとんとんと指さす。
「……あっ!」
「……やっぱり、そうなのね?」
「ということは」
「……魔王ウィルフリードよ。彼がやって来たんだわ!」
ウェンディはするりと変身を解いた。
「エ、エマ様。どうにかなりますか?」
「どうにかするわ。ウェンディ、私を彼のところまで案内して」
「は、はいっ」
エマはウェンディに連れられ、部屋を駆け出して行く。
エマの胸は期待と不安に膨れ上がっていた。
(ウィル、むやみに竜族を傷つけないで)
魔王城で見た限り、テオドールの強さは尋常ではない。
(族長の怒りを買わずに、無事でいて……!)
早く止めなければ、ウィルの命も危うい。
エマは、族長への懇願の文言を考えながら城内を駆け下りて行く。
と、向こう側からウェンディと同じくモップを持った竜族の女たちが駆け出して来た。ウェンディはすれ違いざま、彼女たちに声をかけた。
「みんな!無事だった?」
「ええ。テオドール様が来て下さったから……」
それを聞き、エマは居てもたってもいられない。ヒールの靴を脱ぎ散らかし、裾をまくって城内を駆け抜けていく。
「エマ様!待って……!」
ウェンディの声が遠くなる。エマは階段を駆け下りようとして、叫び声が聞こえた気がして立ちすくむ。
「ウィル!!」
エマはつまずく。
階段を転がり落ち、床に仰向けになって見えたのは、対峙するテオドールとウィル。
「……やめて!」
叫んだが、その声は二人には届いていない。
エマは身を起こすと、再び走り始めた。
ウィルは振り立てていた剣を横に投げ、両の手を前面に出す。
テオドールはそれを機と見たか、ウィルの懐に飛び込んだ。
体躯の大きいテオドールに体当たりされ、あっという間に組み敷かれるウィル。しかし魔王は詠唱を辞めようとはしない。
「……ほう、〝竜殺し〟か」
言い当てられ、ウィルは顔をしかめる。
「申し訳ないが、それを唱える以上はお前を殺すしかない」
テオドールとしては、それは警告のつもりだった。だが、やはり彼は詠唱をやめようとしない。
「……残念だ。お前をエマに会わせてやろうと思ったのに」
魔王の詠唱が、ぴたりとやむ。
「エマ……?」
魔王が力を抜くように呟き、テオドールは質問に答えるように頷いた。
「彼女は無事でいる。しかし少し事情があって、浮遊大陸に留め置いている──うまく行けば、のちのち地上に帰してやろうと思っていたところだったのだが」
「事情?」
魔王は怪訝な顔をする。
「そうだ」
テオドールは頷いた。
「卵が孵れば、帰してやるところだったのだ」
静寂。
ウィルは隠し持っていた懐の短剣を抜くと、テオドールに向かって切り上げた。テオドールは咄嗟に半身を起こして避けたが、胸に横一線の傷を負う。
ウィルの顔面に返り血が飛び散った。
「……ぐっ」
「──殺してやる」
魔王はブルートパーズの双眸を見開いた。
「エマの体に何かあったら殺す!」
テオドールはよろめき、片膝をつく。ウィルは立ち上がり、捨て置いていた剣を手に取った。
魔王が鬼の形相で剣を振り上げ、今まさに竜の首を跳ねようとした、その時。
「だめ!」
聞き覚えのある声に気づき、ウィルの手が止まる。
「……エマ!」
そう呟いたウィルの前に、エマが駆けつける。
──と思いきや。
エマは二人の男の間に割って入るとウィルと対峙し、テオドールをかばうように腕を広げた。
「……エマ?」
ウィルが怪訝に問うと、エマは青ざめながら言った。
「やめて、ウィル。彼を殺さないで」
その言葉で、ウィルの顔から全ての感情が消え失せる。
「……なぜだ?なぜ、そいつをかばう……」
「ち、違うの、話を聞いてウィル。竜族は今、絶滅の危機に瀕してて──」
「エマ!」
ウィルが泣くように叫ぶ。エマは焦った。
「とにかく、もうやめて……お願い、ウィル」
その時だった。
竜族の男たちが、竜に変身して部屋になだれ込んで来たのだ。気づいた時にはもう遅く、ウィルはあっという間に竜に囲まれ、後ろ手に拿捕されていた。
「ぐっ……やめろ、離せ!」
エマも立ち上がろうとするとようやく追いついたウェンディが歩いて来て、冷徹な目でエマを見下ろした。
「……ウェンディ」
「今、救護を呼びました。すぐに援軍が来ます。申し訳ないですが、エマ様」
ウェンディは血を流してうめいているテオドールに視線を移した。
「……この状況では、さすがにあなたを擁護出来ません」
エマは絶望の表情になった。
「事態が落ち着き事情を把握出来るまで、お二人ともそれぞれ独房に入っていただきます」
エマは床にへたり込む。
「そんな……ウィルをどうするの?」
「……法に則れば、死刑も免れないかもしれません」
エマの頭の中は真っ白になった。
終わってしまった。
何もかも。