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33.誰も悪くないのですか?

 一方その頃エマは──


 浮遊大陸、竜の城の中庭でひたすらレース編みに励んでいた。


 テオドールが用意した、滑らかな水流を思わせるような、ドレープを引きずる水色のドレス。


 その胸にはウィルから贈られた漆黒のカメオが陽の光を受け、重厚に輝いている。


 エマは白いアイアンチェアに腰掛けていた。


 その目の前、芝生の上にはテオドールが寝転んでいる。


「……退屈はしてないか?」


 エマは黙っている。


「あれから、体の調子はどうだ?」


 ……エマは黙っている。




 あれから。


 エマは竜族の高度な医学を全身に受けていた。


 採卵すると言うので、エマは何やら怪しげな薬をたくさん飲まされた。卵子を育てるためらしい。薬草は苦いし体温は妙に上がるし、少し吐き気も続いている。


 先週、エマはついにひとつ卵を採ることに成功した。その後のことは、気にしたくないし、聞きたくもない。


 一連の何もかも、一刻も早く地上に戻るための試練なのだ。


 何も考えず、我慢。


 エマは、今はとにかく気持ちを平穏に保つことを最優先にしている。


 だがテオドールの方は、そのように割り切れないものらしい。


「受精卵の分割が始まっているとウェンディから聞いた」


 エマの編む手が止まる。


「第一段階は成功したようだ」

「……その話はやめて下さい」


 エマは立ち上がる。テオドールは困り顔で体を起こした。


 この男はいつだって、エマを気にして、エマを追いかけようとする。


 エマはその気配を感じるたび、心が引き裂かれそうになる。エマと竜族との受精卵が育っているなど、ウィルに対してとんでもない悪事を働いているような気分だった。


 エマはテオドールを置いて中庭を去ると、自室に入り鍵をかけた。


 体は無事だ。


 でもどうしても、心は無事ではいられない。


 竜族はみな、エマに良くしてくれる。ウェンディとも、当初より仲良くなれた。彼女は気遣いの出来る、心優しく頭の良い女性だ。彼女には気持ちの面で何度も助けられていた。


 まず、治療はしてもその話を生活に持ち込まないでくれる。落ち込んでいる時はさりげなく話を引き出してくれる。自分がもし男性だったら間違いなく惚れている。


(テオドールは……)


 当初は何でも力ずくで突破しようとする勘違い男なのかと思っていたが、あの一件以来、エマとコミュニケーションを取ろうと躍起になるようなことはなくなった。今の彼はエマに話しかけたい気持ちを我慢して、なるべく遠巻きにしようと努めているようだった。


 けれどたまに、先程のようにどうしても好奇心に勝てない時があるようで。


(……あの人にウィルのことを聞かれた時は驚いたなぁ)




 ある時テオドールは先程のようにエマのいる中庭にやって来て、こんなことを聞いたのだった。


「なあ、魔王ってどんな奴だ?」


 その時のエマは飛び上がるほど驚いた。テオドールのエメラルドの瞳は、好奇心に少し輝いている。


「えーと……」

「ほら、どんな性格で、お前にどんなことをしてくれるのだ?」


 エマは少し顔を赤くして答えた。


「基本的にはいい人です。ちょっと強引なところもあるけど」

「そのブローチに肖像があるようだが、それがウィルか?」

「……はい。彼から貰ったものです」

「ふーん。自分の顔入りとは、ちょっと悪趣味だな」


 エマは思わず笑ってしまった。それを見て、テオドールも笑う。


「……で?どこを好いてるんだ?」

「あの……。急に何ですか?」

「聞きたくなっただけだ。嫌なら答えなくていい」


 エマは考え込んでから、ぽつりと言った。


「孤独を、分かってくれるところです」


 テオドールは何かを思い出すように斜め上を眺めた。


「あー、なるほど……」

「私も孤独でした。だから、彼といると安心するんです」


 テオドールはエマに視線を戻した。


「……理解した」


 エマは少し赤くなる。


「理解してどうするんですか?」


 彼女がそう尋ねると、彼は寂しそうに笑ってこう答えた。


「……言わせるな。今は頑張ってお前を諦めようとしているんだから」




(結局、悪い人ではないのよね……)


 そう、いつだって事実はきしむような現実を突き付けて来る。


 誰も悪くない。ウィルをぶん殴ったことは未だに許せないが、竜族の生態系も、女勇者の体も、全て誰も変えようのない現実なのだ。


 エマの頭の中がこんがらがって来た、そんな時。


 トントン。


 ドアをノックする音。エマは扉の向こうの気配に気づき、ドアを開ける。


 ウェンディと、その仲間の竜族の女たちだ。エマはほっとする。


 エマは竜族の男であれば片端から警戒しまくっていたが、竜族の女に関しては警戒を解いていた。彼女たちは今、とても浮き足立っている。


 地上から来たエマの情報と、ひとつの卵の誕生が、彼女たちの今の最大関心事だった。


 お茶とお菓子を持ち寄って、女子会に花が咲く。


「卵がかえるのはいつかしら?」


 エマは曖昧に笑ってノーコメントを貫くが、代わりにウェンディが答える。


「卵に殻が生じて、培養液から引き出せるのが今から早くて一ヶ月。そこから二ヶ月は温めなければならないから、誕生まで三ヶ月くらいかしら」

「ああ、早く竜族の赤ちゃんを抱いてみたいわ!きっと可愛いわよ……」


 竜族の女はみなうっとりする。エマは複雑だ。腹の中で育てるわけではないからまるで現実感がないが、それは紛れもなく自分の遺伝子を持っている。しかもテオドールとの間に出来た卵だ。気持ちが悪いが、皆の無垢な喜びようを見ると、そんなことは言い出せない。


 早くやり過ごして、解放されたい。


 ウィルの元へ戻りたい。


「そう言えばウェンディ、魔法陣の清掃はまだなの?」


 竜族の女たちは午後のスケジュールに心を砕いている。エマは何も考えないように、ムカムカする胃を抑えている。


「それなら今日やるわ。エマ様が来た今、もはや無用のものだから」


 ついて行けない話題の時、エマは心を無にする。


(早く時が過ぎ去ればいい)


 エマは念じるように、手元のティーカップから紅茶をがぶがぶと飲んだ。

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