32.もう少しですか?
アンドリューとミリアムを城外に送り出してから、ウィルは図書館で竜を倒す方法をひたすら検索し続けていた。武闘場で木偶に竜の行動パターンを記憶させ、討伐の予想図を立てる。また、一度消えた魔法陣を玉座の間に描きつける。
久方ぶりの孤独に、エマと暮らす以前の感覚が戻って来る。
無音の魔王城。
木偶の動く音。
思わず口にする独り言。
「エマ、あと、もう少し……」
事態は、意外に早く動き出した。
それからわずか一週間で、アンドリューとミリアムが魔王城に帰って来たのである。
彼らが連れて来たのは、まだあどけない三歳くらいの男児と──
王様。
「……どういうことだ?」
水瓶で何度も見た、この国を統べる老いた王がそこにいた。
アンドリューからモノクルを受け取り、ウィルはひょいと目の前にかざす。
王からは、禍々しい妖気が立ち上がっている。
「……魔族のなりすましか。本当の王はどこにいる?」
王は黙っている。
「俺も驚いたぜ。まさか魔王討伐を指示していた我が国の王が魔族だなんてよぉ」
アンドリューが話に入って来る。
「でも、これで辻褄が合ったよね。魔族が勇者を使って魔王を滅ぼそうとしていたの。だから私達、こいつらにずーっと騙されてたってわけ」
ミリアムが、にやつきながら王の背中をつつく。
「ほう、なかなか面白いことをするじゃないか、魔族も」
ウィルは久々に笑った。
「で?……一国の王をこんな所に連れて来て大丈夫なのか」
「ああ、召喚が終ったら帰ってもらうぜ?一応こいつにも仕事があるしな。それに──この秘密を握っている限り、こいつは俺たちの言うことを聞く。結構便利だから、もう少し王でいてもらってもいいかなーなんて」
「なるほど。そう考えると使い出がありそうだな」
それからウィルは男児に視線を移す。
金髪に、エメラルドの瞳。
「……エマによく似ている」
「ああ。そいつはエマの父親のいとこの子だ。つまり、エマのはとこに当たる。辺境の宿を経営する両親と暮らしているそうだ。エマを助けるために同じ血筋の子が要ると言ったら、快く送り出してくれたぜ。ま、王も連れていたし、これがなかなかてきめんに効いたな」
「そうか。おい、少年よ。名は何と言う?」
「……ネス」
「ネスか。覚えておこう。ネス、お前エマという女を知っているか?」
ネスは小さく頷いた。
「会ったこと、ある」
「そうか。エマはどんなお姉さんだった?」
「……うーん。足が速い」
「そうか。さすがは盗賊」
ウィルは目の前の四人に声をかける。
「では、早速魔法陣を発動させよう。向こうにまだ召喚されるための魔法陣が残っていればいいが……」
「えっ。もう行くの?」
ミリアムが疑問の声を上げる。
「……こっちは待ちくたびれてるんだ」
魔王が静かに言い放ち、アンドリューは小さく頷く。
「気持ちは分かるが……勝算はあるのか?」
「あるにはある。成功するかは未知数だが」
ミリアムが祈るように呟く。
「ウィル、くれぐれも無事で」
「分かっている。二人とは、いったんここでお別れだ。俺が帰って来るまで、彼らと留守をよろしく」
魔王は王とネスの方を向く。
「では、いいか?お前たちは立っているだけでいい。俺が詠唱する」
ウィルは描きつけた魔法陣の中に入る。
魔王と魔族と勇者の三人が陣内に揃うと、魔法陣が淡く光り出した。
魔法陣から風が吹いて来る。ミリアムとアンドリューは風に吹かれながら成り行きを見守る。
ウィルはゆっくりと魔法陣の中央に歩き出す。
光に包まれて、魔王は消えた。