29.死なせてくれませんか?
夕餉をしっかりと食べ始めたエマを見て、テオドールはほっと胸をなで下ろしていた。
「よかった。食欲が回復したのだな」
エマは何も答えない。
夜になり、再び会食が催された。相変わらず騒がしく、不必要なほどに皿に盛り上げられた食事の数々。エマは食べながらもげんなりする。目からの情報だけで、腹がいっぱいになってしまいそうだ。
ウェンディが、ちらとこちらの様子をうかがっている。
(ウェンディ、頼むわよ)
エマの心の声を聞き届けたかのように、ウェンディが口を開く。
「あの、テオドール様」
「何だウェンディ」
「お食事後、少しお時間ありますか?」
「ない」
族長は即答した。そうしてすぐさまエマに顔を向ける。
「エマ。お前と話がしたい」
エマは口を真一文字に結んで硬直する。
「このあと、私の部屋に来い」
ウェンディの目が泳ぐ。エマは青い顔で震えた。
「お、お言葉ですがテオドール様」
ウェンディが助け舟を出した。
「いきなり何もかもを推し進めようとするのはいけません。エマ様は不安を感じていらっしゃいます。そのようなことはエマ様が少し、ここでの生活に慣れてから」
「何だ、ウェンディ。族長に意見するのか」
「は、はい。その……何事にも順序というものがございますので」
「ふん。私には私のやり方がある」
取り付く島もない。エマは絶望した。
やはり、だめなのだ。
エマは急に食欲を失って、かたんとナイフとフォークを下ろした。
かくなる上は、舌でも噛んで……
「もう食事は終わりか?」
ああ。何とも言えない、能天気なテオドール。
(私……こういう人、嫌い)
「さあ、私の部屋に来るんだ」
テオドールは立ち上がると、うなだれるエマの椅子を引いた。エマは諦めと絶望の中にいる。ウェンディも立ち上がる気配を見せるが、テオドールに睨まれてそうっと椅子に座り直した。
(終わった……何もかも)
テオドールの怪力に、肩、および体を抑え込まれ、エマは引きずられるようにして歩き出す。
族長の部屋は、竜族の城のてっぺんにあった。エマはつんのめるようにしてらせん階段を昇り、ぐるぐると死について思考する。
「ここだ。入れ」
エマは無感情にその部屋に入る。野草や小花がめいいっぱいに飾られた、意外にも素朴な部屋。
「……私が、怖いか?」
ぽつりと声をかけられ、エマは首を横に振った。
「怖いんじゃありません。私は、愛する人の元に戻りたいだけです」
テオドールは黙る。
「それは……魔王か?」
エマは口をつぐみ、恐ろしい可能性に突き当たる。
そうだと言ってしまえば、ウィルが殺されかねない。愛する人の正体は、命に代えても伏せなければ。
「……いいえ」
そう否定したが、テオドールがふっと笑ったのでエマはぞっとする。
「お前は、いい女だな」
エマはぎゅっと目をつぶる。
「かばっているのだな、魔王を」
(やめてやめてやめて……)
エマは自身の体が震え出すのを止められない。
「お前が俺の言うことを聞けば、魔王は殺さないでおいてやるが」
絶望。
(ひ、卑怯者……)
喉元から出て来る言葉を、エマは必死で飲み込む。
テオドールが近づいて来る。
「お前の事情は分かる。だが、こっちもこっちで竜族の命運を任されているのだ」
エマは下を向き、目を合わせぬようにする。と、再び肩に手が伸びて来た。
「来い」
テオドールの視線の先には、ベッドがあった。エマは強引に肩を抱かれ、連れて行かれそうになる。物凄い力だ。エマは青くなって叫ぶ。
「やめて!」
テオドールは焦ったのか、エマの足ごと抱え上げる。体が浮き上がったことに恐怖し、彼女は力の限り暴れた。
「ベッドに行くぐらいなら、ここで死ぬ!」
テオドールはその勢いに驚く。
「は?……死ぬ?」
「竜族のものになるぐらいなら死ぬ!!」
「なっ、何を馬鹿なことを……!」
「ウィルを殺されたら死ぬ!!」
「おいっ、落ち着け……」
「死んでやる!!」
エマは彼の腕からもがいて転げ落ちると、野生の猫のごとく寝室を走り抜けた。ここは最上階。ここから落ちれば確実に死ねる。
「やめろ、エマ!」
竜族はどうやら走るのは非常に遅いらしい。エマは錯乱状態のまま、寝室の窓を開けてそのへりにのしかかる。
すると。
ばたん!
「お待ちください!」
聞き覚えのある声がし、エマは我に返って踏みとどまった。
「エマ様!死んではなりません!」
青ざめるテオドールと、振り返ったエマの視線の先に。
「ウェンディ……」
思わず声が重なり、エマとテオドールは気まずそうに互いの視線をそらした。
ウェンディは寝室の扉を開け、肩で息をしている。
「間に合ってよかった……」
彼女は膝から崩れ落ちた。エマは走って行って、慌ててその体を起こしてやる。
「大丈夫?ウェンディ……」
エマがそう声をかけるや否や、
「テオドール様……!」
ウェンディがわなわなと震えながら叫ぶ。彼女の髪は怒りに逆立っていた。
「……あれほど警告致しましたのに!無理を通すと、勇者様ごと消え去ってしまいます。そうなっては何もかも手遅れなのです。あなたは、あなたは一時の欲に任せて、竜族ごと危機に陥れるおつもりなのですか……!?」
普段温厚な彼女がここまで怒るのを、族長自身も初めて目にしたようだった。
「ウェンディ、しかし」
「言い訳は結構です。あなたは族長として、今、最悪の選択をなさいました。私が止めなければ、エマ様の亡骸と共に竜族も滅んでいたのです」
「……!」
「エマ様、我が一族の長の非礼をお許しください。こいつは女性の扱いが分からないのです」
「こ、こいつ……?」
「ええ、ええ。今日こそは言わせてもらいます。本当に気の利かない、族長史上最低の男ですあなたは!」
族長はすっかりうなだれている。エマはウェンディをなだめた。
「ごめん、ごめんねウェンディ。私、やっぱり死なないことにしたから大丈夫」
「ううう、エマ様……何てお優しい方」
テオドールは頭を掻きながら、困り顔で女二人を見つめている。