27.ここは浮遊大陸なのですか?
移動の間、テオドールに城から外を見るよう促され、エマはその光景に目を見張った。
天界とはよく言ったもので、エマの眼下にはかつて暮らしていた土地が遠く見える。
「ここは、浮遊大陸だ」
全ての町を俯瞰で見られるほどの高度だ。エマは魔王城を見つけ、咄嗟にテレポートを試みる。が、
「無駄だ。こことあの土地の磁力は違う。お前のテレポートの技は磁場を利用して引き起こす性質らしいな。そういうわけで、足元の磁力が違うと、テレポートは不可能だ」
てっきりこの城も魔王城と同じく、魔法障壁か何かでテレポートを防いでいるのかと思っていた。だが根本からその理由が覆され、エマは冷や汗をかいた。
この浮遊大陸から落ちれば即死だろう。
やはり竜の背に乗るしか、地上に帰る方法はないようだ。
「……帰りたい」
エマは呟いた。
「あの地上に帰して……」
しかしテオドールは無情にも
「帰すわけには行かない。こっちも一族の存亡がかかっている」
と彼女の要望を切り捨てた。エマは急に、体温が下がって行くような錯覚に襲われた。
竜を産む。
どういう感覚だろう。
想像するだに、体内が泡立つような不快さを感じる。
「テオドール様」
侍女のウェンディがやって来る。
「食事の準備が整いました」
「さあエマ、来るんだ。腹が減っているだろう?」
エマは決意を持って唾を飲み込んだ。
食べない。絶対に、食べるもんか。
(……死んでやる。死ねば産まずに済む)
エマは追い詰められていた。
長いテーブルに、これでもかというほどの豪勢な食事がすし詰めに並んでいる。この文化圏はとにかく食事を豪勢にするのが正義なのか、はたまた単純に彼らの食べる量が多すぎるのか。その食事量の多さに、エマは辟易した。
彼女の決意とうらはらな、食欲を体現するかのような挑発的な景色。
やってやろうじゃないの、とエマは思った。
「どうしたエマ、食べないのか」
テオドールが尋ねる。エマは硬直したまま、うんともすんとも言わなかった。
「食べなければ体に障るぞ」
それは、よく分かっている。分かり過ぎるほど。
見渡すと、ここでは使用人も共に食事をするようだ。大勢の使用人に世話を焼かれ、次々に話題が振られ、皆とても仲良く、ざっくばらんに会話をする。団欒の景色。竜族は周囲を親族で固め、大勢でわちゃわちゃと過ごすのが日常らしい。テオドールはよく食べ、よく喋り、時にエマの機嫌を取ろうと躍起になったりした。
エマはその光景に、どこか違和感を覚えていた。
魔王城での魔王を思い出す。彼は孤独だったけれど、内面はとても豊かそうに感じた。恐らく何でも全部自分でやってきたため、何でも出来るのだし、自分に自信があったのだろう。自分の孤独の処理の仕方も、よく分かっていた。
対してこの竜族の長には、そのような内面の豊かさが薄いような気がしていた。周囲に恵まれ、孤独など知らなさそうだ。皆が構ってくれるし、皆に甘えている。孤独とは無縁。その代わり、エマに対して少し自信がない。良くも悪くも、エマはそのような印象を持った。
(私の孤独は、孤独な人にしか埋められないのだ)
エマはウィルの、寂しそうな背中のことを思う。
(私、やっぱりウィルが好き)
エマがそう密かに結論づけていた、その時。
「エマ、どうした」
テオドールに声をかけられ、彼女はハッと我に返る。
「食べないのか?具合が悪いのか」
死ぬ予定です、とは言いたくない。そんなことを言えば無理矢理にでも口をこじ開けられ、食べさせられるだろう。
「ええ、少し」
「仕方がない。おい、ウェンディ。彼女を部屋まで送ってくれ。やはり、まだ具合が悪いのだそうだ」
ウェンディは立ち上がると、エマを支えて歩き出した。彼女だって食事の途中だったのに悪いな、とエマは思う。
二人で廊下を歩き出す。
歩きながらやや間があって、ふとウェンディが尋ねて来た。
「ハンガーストライキで、死ぬおつもりですか?」
エマはぎくりと体をこわばらせる。やはり、バレていた。
「そんなにお嫌ですか?死にたくなるほど」
エマは黙る。そりゃ、かなり嫌だ。答える気にもならない。
「愛する人がいる……とお聞きしました」
エマは黙っている。
「あの。私もそのお気持ち、分かります。愛する人がいるのに別の人と結婚しろだなんて、嫌だってことぐらいは」
ウェンディは何を言っているのだろう。
(何か裏があるのかしら)
きっとこうやって心をほぐして小さな友情を結ばせ、最終的に竜族を信頼させるつもりに違いない。
(その手には乗らないんだから)
今のエマは猜疑心の塊であった。誰も信じられない。
しかしウェンディが次に発したのは、思わぬ言葉だった。
「私、知ってます。あなたが身籠ることなく、地上に戻れる方法を」
エマはようやく、背の高いウェンディを見上げる。
「……お体が大丈夫なようなら、私について来て下さい。案内したい場所があります」
エマは迷った末、ウェンディについて行くことにした。
竜の城の事情を、何であれ知っておくに越したことはない、と己に言い聞かせて。