26.竜の花嫁になるのですか?
暖かい日差しが降り注ぐ気配がある。
エマは目を覚ました。いつの間にか勇者装備は外されている。ふかふかのベッド。天窓から柔らかい光が差し込んでいる。天井の梁には生花が飾り付けられている。花々の甘い香りが優美に漂う。
「ここは……?」
エマは起き上がり、周囲を見渡す。
と。
「ようやく起きましたか?」
部屋の隅で花を活けていた女性が振り返る。その容貌を見て、エマは驚愕した。
体こそ人間だが、顔に鱗がある。髪は水草を思わせる深い緑色。人間の1.5倍はある上背。その虹色に鈍く光る鱗に、エマは見覚えがあった。
「あなたは、もしや竜族……?」
「あら、ご存じでしたの?」
「ここはどこ」
「ここは天界でございます。奥様」
エマは固まった。
「あなた、今何て?」
「天界でございます?」
「違う!その後よ!」
「奥様」
「!!」
竜族の女はエマに近づくと、ベッドの前で膝をつく。
「わたくし、奥様づきの侍女に任命されましたウェンディです。どうぞお見知りおきを」
「やだ!私、こんなところにはいられないの!」
エマはベッドから降りると、侍女の制止を振り切って走り出した。ウェンディはそれを見送るように眺めると、ため息と共に無念そうに目を閉じる。
廊下を走るエマに、立ち塞がる影がひとり。
咄嗟によけることが出来ず、エマはぶつかった。
「いった……」
「起きたか、花嫁」
ふと顔を上げ、エマは顔を歪める。
青色の髪、虹色の鱗の肌の、大きな体躯の凛々しい青年がそこに立っていた。切れ長のエメラルドグリーンの瞳がしっかりとエマをとらえ、自信ありげに微笑む。
「あなたは……」
「声に覚えはないか。私があの古代竜だ」
「!あなたが……?」
あの時召喚された古代竜は確かに竜の姿をしていたし、エマの三倍の高さがあったはずだ。
しかし目の前にいるのは、人間と似た容姿の男。
「申し遅れた。私は竜族の族長、テオドールだ」
エマはいやいやと首を振る。
「怖がることはない。これは決まっていることなのだ」
「……決まっている、ですって?」
エマは絶望に震えた。
「三千年に一度生まれる女勇者と、三千年に一度婚姻する古代竜の長。竜族を産む──これは君の役目だ。我々は離れられない運命で結び付けられている。だから、エマ」
テオドールがひざまずいた。
「悪いようにはしない。ここで共に暮らそう。最上級のもてなしをすると約束する。竜族の繁栄のため、私と共に歩んでくれ」
エマがあとずさると、背後に気配がした。竜族の家来、メイドがわらわらと廊下に集まって来る。
「なぜ?……竜族は、絶滅したと」
「絶滅はしていない。確かに魔族に襲撃された歴史があるが、人口はあの頃から再び回復している」
エマは見知らぬ種族の登場にくらくらした。しかも相手は自分と婚姻すると言い張っている。
「だめ、私……」
エマの脳裏に、あの光景がよみがえる。
古代竜に腹を打たれ、冷たい床で動かなくなったウィルの姿。
エマは目を吊り上げて宣言した。
「私は絶対、竜族と婚姻などしない」
テオドールはそれを聞くと眉を下げ、困ったような顔をする。
「まあ良い。どうせ人間は天界から出られないのだからな」
エマは口をきゅっと結ぶ。似たような台詞を、愛する人から聞いたことを思い出したのだ。
──ウィル。
「私は絶対、あなたのものになんかならないわ」
エマの瞳が決意をもって光る。
「私には愛する人がいるもの」
テオドールはそのエメラルドグリーンの瞳を眺め、不敵に笑った。
「……どうだか」
エマは怒りに震える。
「全ての願望が叶うこの天界で、いつまでその強情が続くかな。今までここに来た歴代の女勇者は皆天界の美しさ、快適さにほだされ、我が竜族の妻になった。エマ、君だってそうだ」
「気安く名前を呼ばないで……!」
「まあいい、長期戦は覚悟の上だ。おい、エマがお目覚めだ。早速食事を用意しろ」
エマはその言葉で気づく。
随分眠りこけていたらしく、腹が空っぽだ。空腹の状態で食事をぶら下げられ、懐柔されるのは、想像するだに耐えがたい。
(ああ、早くここから出なきゃ)
同時に、エマの中にはある覚悟が芽生え始めていた。
(もしも出られなければ、古代竜に娶られる前に死んでしまおう)
確かメイデンは、古代竜の発情期がどうのと言っていた。子を産まされるとなれば、最悪の事態も想定された。エマはねじれる胃に歯を食いしばり、すぐに死ねる方法をも模索する。
(私……)
テオドールが、エマの肩を抱いて歩き出す。エマはある決意を持って、顔を上げた。
(決めた。これから絶対に、食事も水も摂らない)