25.さらわれてしまうのですか?
ほどなくして、大勢の足音が聞こえて来た。
ミリアムは詠唱を始める。
玉座の間が、大勢の怒号と共にどかんと開いた。ミリアムが両手を前にかざす。
「はっ!」
ミリアムの吐息と呼応するように、兵の前に火柱が立ち上がった。猛烈な熱風と煙が立ち上がり、一瞬兵がひるむ。それでも煙霞を抜けてやって来た兵士に、アンドリューが立ち塞がる。
「アンドリュー!てめえも魔王側に寝返ったのかぁ!」
アンドリューの同僚だった兵士が怒りに満ちた叫びをぶつけて来る。アンドリューは奥歯を噛みしめると、苦し気に叫んだ。
「うっせーな……何も知らんくせに!」
彼は剣を次々に的確に動かし、難なく兵を打ち倒して行く。そして攻撃をかわしながら前進すると、混乱する兵士の間を縫ってシグの具足を狙いに走る。
「……やるな、アンドリュー」
魔王はそう呟くと、立ち上がった。
兵士の山の奥に、シグの姿がちらちらと見え隠れしている。アンドリューがようやく追いつき、彼に覆いかぶさった。
「今だ、エマ!」
魔王の横にいたエマは頷いた。
ふわりと風が凪ぎ、勇者は忽然と消える。
その瞬間。
魔王は目を剥く。
玉座の間の中央に、光り輝く魔法陣が現れたのだ。
「何だと!?いつの間に魔法陣が……!」
向こうでアンドリューがシグの足にタックルをし、シグが倒れ込んだのが見える。
「なぜだ?魔法陣を描くにはかなりの時間を要するはず……」
呟きながら、魔王はある可能性に行き当たり愕然とする。
「まさかメイデン、前に来たあの段階で、既に魔法陣を描きつけていたのか……?」
ウィルは震える声で叫んだ。
「このままだとエマの勇者装備が間に合わない……!」
そして魔王も、迷った挙句テレポートを選択し、ふっと玉座から消え失せる。
次の瞬間。
ギャアアアアアアアアアアア!!
魔王城をつんざく咆哮。余りの衝撃音に、兵士らは慌てて玉座の間から走り去った。
「きゃっ!何!?」
ミリアムが振り返って叫んだ、その時。
彼女に巨大な影がぬうっとかかる。
「!ま、まさかこれが……」
一方その頃、背後からエマに羽交い絞めにされたシグの具足を、足元に滑り込んで来たアンドリューが力ずくではぎ取っていた。
「……やったぞ、エマ!」
エマは具足を受け取った。そこにテレポートして来た魔王が加わり、シグをマウントポジションで組み敷く。
「貴様!」
魔王が叫ぶのを、身動きの取れないシグはにやりと仰向けに笑って見上げる。
「間に合わなかったな」
魔王は目を見開いた。
「……貴様、いつの間にあの魔法陣を」
「ふん。何も知らないとみえる……馬鹿な魔王で助かった。俺の勝ちだ」
ウィルは怪訝に眉を寄せる。
「召喚された竜は、勇者装備が整ったエマの言うことの方を聞くんだろ?」
「あはは……そうだな。うん、そういうことかな」
「……何がおかしい」
その間に、エマは勇者装備を全て纏い、魔法陣の前まで歩みを進めていた。
勇者とミリアムが見上げるその先に。
一匹の、巨大な竜が立っていた。青い竜だ。肌のうろこが虹色にきらきらと光り、腹はすべすべと白い。
「あなたが、古代竜?」
エマは巨大な竜に問う。竜はその優し気な目を細めると
「いかにも」
と答えた。エマは警戒心を見せぬよう、にこりと笑う。
「私を召喚したのは、お主か」
エマは曖昧に笑う。
「そ、そうね」
「名を何と言う」
「エマよ」
「ふむ。勇者装備……そして女……間違いない」
古代竜は首をそろりと下げると、エマをじいっと見つめ、こう言った。
「では、お前が私の花嫁だな?」
静寂。
「……は?」
「待ち望んでいたぞ、女勇者よ」
「ちょっと、待って待って」
「古代竜を産むのは女勇者の役目だ。さあ、私と天界へ向かうのだ」
エマは震え出す。そんな情報、全く与り知らない。
「えー!どういうこと!?」
ミリアムが愕然と叫ぶと、魔王に組み敷かれているシグがけらけらと笑った。
「よう魔王。分裂は順調に進んでいるかい?」
ウィルは震えながら目を見開き、シグを唖然と見下ろす。
「……!なぜ、貴様がそれを知っている」
「ちなみに、古代竜の発情期は三千年に一度だ」
魔王の目の色が変わる。
「その上女勇者が古代竜を身籠るとなれば──」
ウィルは声もなく激高し、怒りに任せてシグの頬を張った。シグは一瞬うめいたが、徐々に笑い出す。
「ふはは。俺は知っている。魔王が今まさに分裂中であることも、古代竜の発情期も、三千年に一度生まれる女勇者の役目も」
「きっ、貴様ああああああ!」
「三種族同時に動けなくなるのが、まさに今、この時なのだ!!その間に我々魔族が人間共を根絶やしにしてくれるわ!!」
エマはそれを聞きつけ、慌ててテレポートを試みた。が。
「で、出来ない……」
「兵士に魔法障壁を直しておけと命じておいたのだ。今しがた直ったみたい。お努めご苦労様、エマちゃん♪」
その時だった。
絶望のエマの背後から、古代竜が一閃の光を吐く。
シグのからかう声が、ぷつりと途切れた。
シグは竜の吐いた光で、一瞬にして消し炭になっていた。ウィルが組み敷いていたはずのシグの体は既に灰となって床に溶けている。ミリアムとアンドリューは声もなく腰を抜かす。ウィルも青い顔で呆然と床を見つめた。
古代竜の力は想像を遥かに超えている。本で知っている内容とは比べ物にならない。
「うるさい魔族だ」
古代竜はそう呟くと、エマの胴をその巨大な口でガブリと甘く咥える。
「や、やめなさい古代竜!私はあなたの妻になんかならない!」
古代竜はそう叫ぶエマを構わず宙にぶん投げると、その巨大な背中でキャッチした。
「……やめろ!」
ウィルは立ち上がると走って行って古代竜に乗ろうと跳躍した。しかしそれも空しく、彼は巨大な竜の尻尾に横腹を猛烈な一打で殴られただけだった。
ウィルは気を失い、床を滑り、冷たい床の上で動かなくなる。
「やだあ、ウィル……ウィル……!」
「そんなに泣くな、花嫁よ。これは運命。決まっていることなのだ。さあ、お眠り。眠っている間に着くから……」
竜が何やら詠唱を始めると、エマの泣く声はすぐに消えた。竜は魔王城の壁の一部を尻尾の痛烈な一打で弾き壊すと、ぐったりしているエマを背に大空へ飛び立った。
アンドリューが魔王に駆け寄り、懸命に頬を叩く。
「おい、起きろ。起きてくれウィル!」
ミリアムは走ると何事か詠唱し、竜の飛び去った方向へ手をかざす。
「エマ……」
彼女はそう呟いてからかざしていた手を下ろし、動かない魔王を振り返る。
「ごめんなさい、ウィル……私、何も出来なかった」
ミリアムは胸を押さえながら目をこする。ウィルはぐったりとしたまま動かない。