11.それって、愛ですか?
ウィルの繊細な指の爪先が、エマの手に伸びる。
「闇欲に任せて色々とエマにちょっかいかけて来たが、その欲も発散するにつれ段々落ち着いて来た。そうなってからは、徐々にエマを失うことの方が怖くなって来たんだ。エマにはエマの勇者としての仕事があるだろうから、縛り付けられないのは分かっている。だからせめて俺を殺すまでは、魔王城にいろ」
エマは彼の熱を帯びた要請に顔を赤くした。ウィルは真剣な顔で、更に言う。
「例え拒絶であっても、反応があるだけで、孤独が和らぐ──」
からみついて来る彼の指から、エマは怯えるように視線を外す。
「……やめて」
エマは逃げるようにウィルの手を払うと、寒気をしのぐように自らの腕を激しく撫でさすった。ウィルの顔がやにわに凍りつく。
エマは混乱していた。
嬉しいはずなのに、辛い。怖いはずなのに、安堵する。体の奥の奇妙な感情が突如暴走し、得体のしれない震えが湧き起こって来たのだ。
魔王を殺すために頑張って来た今までの自分。だのに、魔王に乞われている自分。傷つけ裏切って来た仲間と、心を開こうとして来る魔王。相反する状況が押し寄せて来た時、エマの脳にどっと封印したはずの過去の記憶がなだれ込んで来た。
いつだって、そうだった。
どんなに頑張っても、どんなに抗っても報われなかった。
あとに残るのは。
孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独……
エマの瞳から、ぼたぼたと涙がこぼれ出す。魔王はそれを呆然と見つめる。
「エマ……?」
「も、もうやめてウィル……」
エマは泣きながら懇願した。
「私──つらい」
ウィルの顔が曇る。
「お前は何を言って……」
──俺とお前は同じだ。
図書館の地下で、既にウィルはエマの孤独を見抜いていた。エマはそれには目をそらし続けていた。けれど魔王が現れてから、それを絶えず目の前に突き付けられている気がする。まるで自分の身体のぱっくり開いた傷口を、見せつけられているような息苦しさだ。
「今のあなたを見ていると、私の一番嫌な記憶がよみがえって来るの。だから」
エマは、朝食の席から立ち上がる。
「ごめんなさい!!」
エマは自室へ向かって走り出した。ウィルも立ち上がったが、
「ウィルを通さないで!」
彼女が叫ぶと、食堂の前に木偶メイドが立ち塞がった。
「おい……木偶!」
ウィルが木偶と格闘している隙に、エマは自室に滑り込む。
エマは泣いた。何かを洗い流そうとするように、わんわん泣いた。
「魔王の馬鹿!」
何かのせいにしたくなって、叫んだ。
「魔王め、余計なことを……!私は勇者なのに……!私は……」
それからは、喉がつぶれたようになって声を出せなくなった。痙攣するようにようよう息をして、声もなく号泣する。
(私は、もう魔王を憎めなくなってしまった)
エマの勇者としての矜持が、脆くも崩れ去って行く。顎から涙が垂れ、魔王の肖像輝くブローチにぽたぽたと落ちた。
それから、何時間経っただろう。
空腹のまま、エマはベッドの中で横たわっていた。魔王なのだから無理にでもこの部屋に入って来られるだろうに、彼はあれからここにやって来ようとはしなかった。
ウィルなりに、遠慮しているのだろうか。
(そんなことされたら、余計に苦しいよ)
妙な心遣いに、エマは胸と腹を押さえた。
(だけど……お腹は空くのよね……)
ウィルとこの状況で顔を合わせるのはためらわれた。部屋の中に、何か食べるものはないだろうか。
……と。
トントン。
ドアをノックする音。エマはベッドの中で身を固くした。
ドアの開く音。次に聞き慣れたカラカラという乾いた音を聞きつけ、エマは布団から顔をひょこっと出した。
木偶メイドが、銀のトレーに軽食を乗せてやって来たのだ。
エマが起き上がるとメイドはかたんと首を傾け、トレーをベッドサイドテーブルに置いてくれた。
銀のトレーの上には、サンドイッチと冷たい牛乳が置いてある。エマはありがたくそれにありつこうとして、ふと気がついた。
軽食の下に、小さなカードが挟まっている。
恐る恐るそれを手に取り、裏面を見た。
ウィルの字だ。
──お気のすむまで。
エマは頬を火照らせ、どきどきと胸を鳴らした。
がさつな魔王のくせに、急に紳士の真似事をして。
けれど、それがどうしようもなくいじらしい。
エマはそれを眺めて、自分の気持ちや魔王の気持ちに抗うことをやめにした。どうせ、しばらくは出られないのだ。エマ自身もウィルの気持ちが理解出来るし、真正面から一度、彼の孤独とやらを受け止めてみることにしよう。
(これもきっと、ウィルなりの愛情表現なのよね……)
エマはベッドサイドテーブルを見やる。そのサンドイッチには、トマトに生ハムに卵にレタスに紫たまねぎにクリームチーズに……崩れんばかりの具材がアンバランスに詰め込まれている。
エマはそれを頬張りながら、腹と胸が同時に満たされて行くのを感じるのだった。