第七話 魔物③
沢に戻ってきた。
俺が投げ出した桶のぶら下がった棒は、共に粉々の無惨な姿で発見された。踏み砕かれたんだろう。
「悪い、持っていく余裕はなかった」
「構いませんよ。普段、桶は使いませんから」
「……はい?」
「見ていてください」
声を弾ませて笑ったシルビナは沢のギリギリでしゃがみ、沢の水面近くで翳した右手をなにやらくるくる回し始めた。
反時計回りの円運動を一定の速度で繰り返し、十回を超える頃には膝を伸ばして腰を屈める。
水面から手が離れ、円運動の動きが大きくなっていく。
すると、彼女の手の動きに合わせるように沢から水流が登り始めた。
さながら、風呂桶から水を抜くときにできる渦の逆バージョンだ。
渦を描きながら水流がシルビナの手を追い掛ける。
「これくらい、でしょうか?」
こてん、と首を傾げ、腰を伸ばしたシルビナが勢いよく右手を上空に向けて振り抜いた。
それに呼応するように、水流が天に昇り、弧を描いて木々を超えて消えていった。
ある程度昇ると、水が途切れて沢をまた流れ出す。
「……なんだ、今の」
「水を小屋まで飛ばしたのです」
唖然と呟く俺に、くすくすと楽し気に笑いながらシルビナが答える。
もう「へ〜」としか声が出ない。
「少し魔力操作に時間が掛かりますが、少量の魔力で行使できるので、便利ですよ?」
覚えると生活に余裕が持てますね、と人差し指を胸の前で立ててふんわり笑い掛ける姿に、ドキリとするよりも、何を言ってるんだという不可解さが勝る。
「風魔法の一種でして、風で渦を巻かせて水を持ち上げていくんです。自分の思う分を風の渦で巻き上げて、えいやっと飛ばせば狙い通り、水瓶に入るんです」
「水瓶に入るんですか」
「入るんです」
いや、何で? 見えないだろ。どうやって狙うんだよ。
そう思うも、嬉しそうに笑うシルビナに何も言えなかった。
◇
小屋に戻る道中、横合いから襲撃を受けた。鷲のような鳥だが、トライアングルを組むように足が三本あり、例によってデカさが段違いだ。
さっきの嘴トラ(仮)でも、悠々と鉤爪で捕まえて持ち上げられそうだ。
が、シルビナが軽く腕を振るっただけで首と翼がスパッと切れ、遅れて首が飛んで息絶えた。
「……」
もう何も言うまい。そんな心境で、何が楽しいのかルンルンとスキップしながらバカデカい鷲に近づき、唐突にナイフを取り出して解体し始めた。
「今晩は焼き鳥にしましょう、お兄様」
血で汚れた衣服に似合わず、華やかで品のある笑顔を見せる。
「焼き鳥はいいけど、その脈打つ肉塊を見せながら笑うな。怖いぞ」
どの部位かは俺には見当もつかないが、どこかの臓器だろう。
「ふふっ、ごめんなさい。干して粉にして、魔草と交ぜると、良い薬になるんですよ? 切断された四肢も、繋げることができるんです」
「へぇ、それはなんとも」
さすがファンタジー。身体から離れた箇所をくっつけられるのか。
「……なぁ」
「はい?」
また俺に背を向けて解体を進めるシルビナに声を掛ける。
嘴を開いて、舌を切り取るのが見えた。グロ耐性のある俺でも少し気分の悪くなる光景だ。
ただ、この世界で生きるなら何度も見る光景だろう。自分も実行しなければならないかもしれない。
目を逸らして逃げるのは違う気がした。
「沢が結界の外にあるって知ってて教えなかったろ」
知らないはずがない。結界を施したのはシルビナ自身だ。把握していないわけもないし、そんな間抜けであるとも思えない。
「……」
シルビナの動きが止まった。努めて、声音に怒気を乗せないように、怯えさせないようにしたのだが、意味はなっかったらしい。
「あれは……」
「勘違いするな。別に怒ってない。お前が俺を殺そうとしたとも思ってない。ただ、理由が知りたいだけだ」
弁明を始めようとしたシルビナを遮って言う。
思うところがない訳でもないが、些細なことだ。それよりも、変に思い詰められても困る。
なるだけ、抱え込ませないようにしないと。
「……すぅ……。この世界の、危険さを知って頂こうと思いました」
立ち上がって俺に向き直ったシルビナは、気持ちを落ち着けるように深く息を吸い、真っ直ぐな目で俺を見る。
嘘はないと、危害を加えるつもりはないんだと。それは真摯さよりも、切実な、縋るような眼差しだった。
「……なるほど」
ポーズで納得したように見せる。
事実、合点がいった。日本の感覚でいるなってことだ。
一度外を出歩けば、そこは魔物が闊歩する無法地帯。安全はない。そう言いたかったんだろう。言葉にするよりも、実際に体験した方が理解もし易い。
異世界だと納得できても、真に理解しているとは限らない。その証拠に、俺は完全に無警戒だった。
「今度からは気を付ける」
そう言ったところで、どこまで意識を変えられるか分からないけどな。
修羅場の経験はあれど、サバイバルの経験はない。今後、どれだけ意識していけるかで、俺の生存確率は決まるんだろう。
シルビナの陰に隠れてばかりもいられない。最優先の課題だろう。
「怒らないのですか?」
やることは大胆で無茶苦茶なのに妙なメンタルの弱さがある。
話を聞くかぎり、ひなたもシルビナも話し相手ってのはいなかったみたいだ。崇め、敬い、陰で蔑まれていた。
ひなたはまだ幼く、理解できなかったみたいだけど、シルビナが召喚されたのは十七の頃らしく、この世界の人間が放つ秘めた悪意に勘づいていたらしい。
諸々の事情が重なって一人で行動することが増えた彼女らは、共通してコミュニケーション能力が乏しくなり、意思疎通を忘れがちになる。
誰かに頼れず、孤独の中で死んだ彼女ら――ひなたは死んでいないが――は、甘えることを忘れた。それが行動と精神面の弱さのチグハグを生んだのかもしれない。
「怒ってないとも言えないけどな。いや、怒りじゃないか。戸惑いなのかもしれない」
「戸惑い?」
「ああ。お前の仕草に俺はひなたを幻視する。でも、性格なんかはやっぱりひなたと似ても似つかない。まだ戸惑いの感情が強いから怒りだとか、恨みの入る余地がないだけかもしれない」
「……っ」
眉根を寄せる。怒り、恨みってのが少し過激さを演出させたのかもしれない。
ただ、心の片隅に『何してくれてんだ』と恨み節を吐く俺がいるのも事実で……
それを伝える必要がないにしても、多少の罪悪感を与えてもバチは当たらない。と、思う。




