第六話 魔物②
相当な衝撃が襲ったのか、二体は痛みに悶えて転げ回っている。
それだけで竜巻が襲ったように周囲の木々や根っこごと地面を荒らし回った。
《グガァァッ!!》
立ち直りが早かったのは嘴トラ(仮)だった。
後ろ足で立ち、炎を吹き上がらせた前足を振り下ろす。
先程と同じように空間が歪んで波紋を打ち、嘴トラ(仮)が纏わせた炎を吸収して一点に集中させ……爆炎を上げて嘴トラ(仮)を弾き飛ばした。
「ああ、そうか。これが結界か」
それで理解できた。俺とアイツらの間に、結界の内と外の境界があるんだ。見えないけど。
「その通りです、お兄様」
背もたれにした木の裏からシルビナが姿を見せる。
驚く元気はもうない。ただ、思考を働かせるだけしかできない。
「お前……俺を嵌めたな?」
「……」
黙りを極め込み、シルビナは俺の傍らに片膝を突いて鼻先に手を翳す。
起きたときと同じように、魔法で俺の顔面に広がる痛みを拭おうって魂胆だろう。
「“沢は結界の外にある”……それを意図して伝えなかった。目的は……俺に立場を教えるため。或いは、力のなさを実感させるため、か?」
「……っ」
表情を動かさなかったシルビナが目を見開く。
「なんだその顔は。まさか、お前が俺を殺すために伝えなかった。そう思った、とか考えたか?」
「……ぁっ」
おい、魔法を止めるな。まだ痛いんだぞ。正直、口を動かすだけで痛みが凄い。
「見くびるなよ。お前の記憶にある“お兄ちゃん”はそんなに“妹”を信用しないクソッタレか?」
「ぃ、ぇ」
「声が小さいな。俺の知る“ひなた”はもっと元気よく、ハキハキ喋るぞ。まぁ、後ろめたいことがあると、お前みたいに尻すぼみになるけどな」
怒っていないぞ、とアピールする。
理由がどうであれ、俺を危険な目に遭わせたことは違いない。普通なら怒るところだろうが、シルビナが本意でないことは分かるから、俺自信、そう強く怒りは抱いていない。
「治療を続けてくれ。まだ痛い」
「は、ぃ」
ダメだ。完全に意気消沈している。
俺を召喚したことといい、今回のことといい、行動は身勝手なのに、直ぐに後悔するってメンタル弱くないか?
いや、ひなたの精神が宿っていて記憶もあるなら当然なのか?
「お兄様、少し待っていてくださいね」
「ん?」
ぽーっと考え事に耽っていると、シルビナがすくっと立ち上がる。さっきの落ち込みようはどこへやら。
代わりに、声調が平坦で色が消えた。これは、怒ってるのか?
痛みは引いている。治療は終わったらしい。
「便利なんです、結界って。向こうの攻撃は通さないのに、こちらの攻撃は通るんです。許可した者以外を拒絶したり、魔力が無制限ならどこまでも広げられたり、光の屈折で中の状況を隠したり。できることはいっぱいあるんです。性能は術者の能力に左右されるのですけどね」
そこまで捲し立てたシルビナが、胸の前で右掌を下に左掌を上に向けて、拳一つ分の間を作って向かい合わせる。
シュルルッと風切り音が聞こえた。シルビナの向かい合わせた掌の間を注視すれば、淡い緑のスジが幾本か走るのが視認できた。
素早くサッと上下の掌を入れ替える。淡い緑のスジが呼応するように丸を描いて掌を追う。
回を重ねる毎にスジが増え、風切り音も強くなって球体を形成する。
周囲の空気を巻き込むように渦を巻いていった。
「細切れになりなさい」
出来上がった渦の玉を挟むように抱え、解放するように両手を大きく広げた。
ふわりと渦の玉が徐に前進する。
進みは遅い。俺でも躱せそうな速度で、二体の元まで進む。
俺には分からない何かがあるのか、カメレオンワニ(仮)と嘴トラ(仮)はソレが結界を抜けて近付いた段階で、既に背を向けていた。
「反応が遅いです。既に範囲内ですよ」
ボッと破裂音のような音を響かせ、渦の玉はドーム状に膨張する。
濃密な風の塊は可視化され、内と外をはっきり視認できた。
それは直ぐに二体を飲み込む。尻尾を巻き込んだ瞬間、パッと緑と赤の霧が乱れ散る。
悲鳴を上げる間もなく、後ろ足、胴を飲み込み、前足、顔に到達する。
風のドームは二体を飲み込んだ尻から、緑と赤の霧に変えてしまった。
こちらにまで届きそうだったドームは、一定の位置から広がりを見せなくなった。恐らく、そこが結界との境界線なんだろう。
数十秒間ドームの中は風切りが舞に舞、中のモノを切り刻む。
根元を細切れにされた木々がだるま落としのように垂直に落ちておが屑を散らした。
漸くドームが解けた頃には、緑と赤が混じった黄色掛かった液体が散乱し、おが屑の粉が降り積もっていた。
二体の姿はなく、骨一つ、肉の一片も残っていないぽっかりと開けた空間ができた。
渦に規則性でもあったのか、右回りに地面が抉れ、徐々にドームの中心に向かっている。ちょっとした窪地ができていた。
「……」
「片付きました。水、汲み直しましょうか」
あまりの惨状に唖然としていると、何事もなかったかのようにそう声を掛けられ、俺は「ああ」と頷くしかできなかった。