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第五十三話 はじめの一歩

 メェメェと鳴くクセーフスを押さえ、毛を掻き分けて乳を搾る。

 もう慣れたもので、くすぐったそうにする素振りはない。


「いっつつ」


 爪が剥がれた指を刺激しないように、そう思っても両手で作業する以上、どうしても軽い衝撃とか、クセーフスの毛に触れるとかってのはある。

 外気に触れるのも少し避けたい。


 頭二つの魔物から逃げて穴に飛び込み、地面にぐしゃっといくのを避けるために右手で壁面を掴んでブレーキを掛けた結果、人差し指と中指、小指の爪が剥がれましたとさ。

 痛みには慣れているけども、爪が剥がれるとじくじくと後に響くのが嫌だ。

 今はシルビナも居ないから、即治療というわけにもいかんし。


「ちょっと付くけど、ごめんな?」


 分かるはずもないだろうが、一言謝って乳を搾る。

 宣言通り、じんわり湧き出る血がクセーフスの柔らかな色合いの淡いピンク毛を、血で点々と汚してしまった。


「お兄様」

「ふおっ!?」


 何頭か乳搾りを続けていると、突然シルビナから声が掛かった。

 肩どころか、身体全体が少し跳ねたぞ、今。


《メェーッ!》

「がふっ!」


 クセーフスの乳を搾る時、頭は少し彼らの腹の下に入る。

 身体が跳ねた所為で、クセーフスに頭突きをかまし、驚いて十数歩逃げたクセーフスは怒りを俺に向けて突進。


 モロに顔面で受け止めた俺は、背中から地面に倒れ伏す。


「お、お兄様? 凄い音でしたが、何が……?」

「ああ、うん。大丈夫だ」


 シルビナは傍に居ない。それでも声が聞こえるのは、彼女が風に声を乗せているからで、俺の声が届くのもまた然り、だ。


「もう良いのか?」


 大分省いたが、魔道具の件である。


「ええ、錬成できました。登ってこれますか?」

「……おう」


 爪が剥がれているのが気になるが、まぁ、大丈夫だろう。

 これくらいで怖気付いてちゃ、この先やっていけん。


 クセーフスの乳が入った竹筒を四本束にして、布に包んで背負う。腹辺りで布の端同士を結んで、よし、準備オッケーだ。


 合わせて五十リットルにはなるクセーフスの乳を背負い、壁面に手を掛けた。


 ◇


 十数分後、漸く穴の外に手を伸ばし脱出に成功した。


「はぁっ……キッツイな、おい」


 思わず悪態が口を突く。

 止まり掛けていた血が再出血だよ、ちくしょう。


「お兄様、何時もより遅かった――っ!? そ、その指どうしたんですかっ!? 血がっ!」


 慌てた様子でシルビナが駆け寄ってくる。

 座り込む俺の傍で跪いて、両手でそっと右手を包んだ。

 すぐに暖かな緑の光が患部を癒す。


「ちょっと飛び降りた時にな」


 詳しくは恥ずかしいから言わない。


「ブルトルですね?」

「ブル、トル?」

「あの魔物です」


 シルビナは目線だけを向けて場所を示す。

 そこに輪切りにされて原型を失った魔物の姿がある。原型を失ってはいるが、特徴はさっきの魔物と合致している。


「まだ居たのか」


 俺が飛び降りてから一時間以上は経っているはずだ。


「穴の周辺を嗅ぎ回っていたので始末したのですが……お兄様を追っていたのですか?」

「ま、まぁな」

「……なるほど、それで」


 察したように頷いてふふっと笑う。俺の心中も察せられたようだ。


「出来たのか?」

「ええ、こちらです」


 片手で治療を続けられたままことりと置かれたエメラルドグリーンのリング。赤い石が嵌っている。これは……


「……指輪、か?」

「はい」

「魔素を吸収するための?」

「はい」

「漸くか」


 魔素が扱えると聞いて三ヶ月、長かった。

 まぁ、魔素で魔法を扱えるかは分からないそうだけど、期待に胸が膨らむ。


「それに合わせて、こちらです」


 更にとさりと置かれた……袋。


「指輪と魔力線で繋いだスピュラルトの粉末です」

「粉末。これをどうするんだ?」

「クセーフスの乳にでも混ぜて、摂取していただきます」


 左手で持つと、掌サイズの袋なのに思ったよりもずっしりくる。


 胡座を搔いた膝の上に置いて、中身を確認。

 中には赤い粉末。シルビナの言う通り、スピュラルト鉱石だろう。


「えっと? つまり、どういうことだ?」


 理由がよく分からんのだが。


「この指輪――仮に魔素吸収魔道具としましょう――は、ただ魔素を吸収し、溜めるだけなのです。魔素吸収がお兄様にできれば、バッテリーとしての面で扱えるのでしょうが……」

「あ、そうか。取り出す術が俺にないんだ」


 これまでで、何度も魔素を感知しようとしてみたが、どうも上手くいかない。

 体内に宿る魔力――俺自身のではなく、クセーフスで得た魔力――を掴むことはできた。ただ、それを体外に放出できないのが問題だった。


 クセーフスの魔力は時間経過で減衰して消えるから、ずっとこのままって訳にもいかなかった。


「魔素吸収魔道具とスピュラルトの粉末を魔力線で繋ぎました。以前説明した通り、スピュラルトは魔力を溜め込む性質を持っています。魔素と魔力の違いは説明しましたね?」

「ああ。性質は同じでも、内包するエネルギー量の差だったよな。魔素の方が魔力よりも何百倍も多いってことだったと思うが?」

「その通りです。並の者は僅かばかりの魔素を取り込んで体内に持つ、魔力変換器管で魔力に変えます。ですが、お兄様には魔力変換器感がありません」


 話の途中で治療の終わった右手をグッパグッパと開閉する。うん、違和感はないな。

 爪もしっかり生えてるし、名残りはベトっとした血痕くらいだ。


「お、む? 何となく分かったぞ。そのスピュラルトの粉末を俺に馴染ませて、魔素を溜め込める器官を作るって感じか?」

「ええ。胃や腸から吸収させた、分解されたスピュラルトの粉末は、お兄様の体内のどこかで再結合されます。と言っても、形のあるものではありません。言うなれば、力の膜のようなものでしょうか。そこに魔素を溜め込めるようにしておきます」


 要は、まだ魔素を扱えないって話だな。

 ワクワク魔法練習はお預けか……。


「馴染んだら、この指輪から魔素を送るってことだな?」

「魔力線は魔素が通れば専用の道ができるはずなので、繋ぎ直す必要もありません。……試した限りではと、注釈が付くので確実と言い切れないのは歯痒いのですが」

「まぁ、気長に待つよ。今すぐじゃないのは残念ではあるけど」


 立ち上がり、腰を押さえて伸ばす。長話で同じ体勢だったから、パキパキと軽快な音が鳴った。


 シルビナに言ったように、残念ではある。

 しかし、まだ身体を鍛えきれていないのに魔素に手を出すのは早い気もした。

 あっちもこっちもすることがあると、中途半端になってしまいそうだ。


「んじゃ、帰ろうか」

「待ってください」

「ん?」


 シルビナが俺の正面に回って引き止める。


「もう一つ。これを」


 手渡されたのはチェーンネックレスだ。

 白銀のチェーンにトップは同色の十字架だ。


「これは?」

「【異空間収納】の魔方陣を刻んだ魔道具です。青い石に刻んであります。強く握ると反応するので、試してみてください」

「こうか?」


 言われた通りに握ってみると、青い光が拳の隙間から漏れた。


「うおっ!?」


 思わず手を離したのは、光にビビったからじゃない。光の漏れと同時に、脳裏に武器の一覧が浮かんだからだ。

 名称ではなく、武器そのものが縦に並んだ状態で脳裏に過ぎった。


「……何だ、今の?」

「一つに焦点を当ててください」


 今の現象を理解しているらしいシルビナに、疑問を問う余裕もなく、言われた通りにする。


「お? おおおっ?」


 焦点を当ててみるってのはよく分からないが、取り敢えず、カーソルを合わせるイメージをしてみた。


 一際強く光が漏れる。漏れた光が眼前で形を作り、なんとなしにそいつを掴んだ。

 パッと光が弾けると、俺の手の中にはカーソルを合わせた通りの、直剣があった。


「すげぇ」


 自然とその言葉が漏れ、ニコニコと笑むシルビナが気恥ずかしくて視線を逸らした。

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