第五十二話 錬成
夜が明けて今日は暗幕の鍛錬場で、シルビナが送り込んでくれる魔物と戦う予定だったんだが、彼女は魔素を吸収するための魔道具を錬成するってんで、朝から別行動だ。
それなりに力の宿る場所――俺を召喚した小屋なんだが――を陣取り、せっせと銀粉を筋状に撒いていた。
魔力の通り易い鉱石を粉末にして銀粉に交ぜて魔方陣を描き、じっくり魔力を行き渡らせるらしい。
後は素材を置いて、思う通りの魔道具等を作成する、って手順らしいな。
「ほっ、とぁっ」
なんで、俺はすることもなく、昨日やけに懐かれたトレチュを連れてハイキングと称した、クセーフスの乳搾りに出掛けていた。
現在はその道中、魔物の襲撃を受けている。
二つの頭が付いたライオンのような姿形をしたデカい魔物だ。
蔦のような尻尾が合計十七本生えている。その尻尾から繰り出される多角度的な攻撃を、空中で身体を捻って躱す。
枝に着地して前宙を決める。枝が砕けるのが、ひっくり返った世界で見えた。
挑むのは無謀だ。ライオンの姿形ではあるものの、皮膚はゴム鞠のような弾力があって、剣も拳も弾く。
立ち向かうだけ、体力の無駄遣いだ。
「見えた。あそこに飛び込めばっ!」
地面に降りて数百メートル、身体を捻って跳んで木を盾にして駆ければ、見えてくる広く深い穴。クセーフスの住まいだ。
《キュッキュウッ》
肩に貼り付くトレチュが景気づけに、首元を激しく叩いた。
抗議のようにも思えるが、気の所為だろう。
《ギュゥッ》
「ふぉっ!?」
随分野太い悲鳴と一緒に、髪を掴まれて万力のような力で引き倒された。
横倒しになった俺の上を、魔物が通り過ぎた。
丁度、前足と後ろ足の間に身体が入って、踏まれる展開はなかった。
俺の胴体なんて、簡単に踏み潰せるような大きさの足がギリギリのところで落とされるんだ。
怖いなんてもんじゃなかったぞ。
「何するんだよっ」
急に視界から消えた俺達――多分標的は俺一択――を探す魔物から木の影に隠れて、こうなった原因に小声で怒鳴る。
《キュッ、キュキュッ、キューッ、キュキュッ》
「……ああ、そっか。魔素濃度」
身振り手振りであっちを指して危険だと伝えているようだった。
それで思い出した。
クセーフスは超濃度の魔素溜りでも生存できるように改良されているが、普通は魔素酔いを起こして、最終的には死に至るらしい。
トレチュはそれを嫌ったのか。この距離からでも分かるほどの魔素濃度。俺には分からんが、相当なんだな。
「そういうわけにもいかんのよ。クセーフスって魔獣の乳が必要だからさ。お前はどっか隠れてるか、群れに帰れ。良いな?」
反応を待たず、トレチュを肩から下ろして木の影から出る。
魔物はこっちを向いていない。
(あんな魔物でも、穴には近付かないんだな)
観察していれば、一定距離から近付かないのが分かった。
(それなら……)
決意を固め、駆ける。今の俺なら、五十メートルの距離を四秒ぐらいで潰せる。
足音で魔物に気付かれた。それは想定内だ。
こっちに振り向く前に、足を滑らせて地面に手を付く。スライディングの要領で魔物の腹の下を潜り抜けた。
ザァアアッと土埃を上げて滑る。
腹の下を通過した。映画では腹の下に潜って切り裂くってシーンをよく見る。
往々にして、腹は柔らかいことが多い。それだけじゃなくて、切り裂けば内蔵に到達する急所とも言える。
まぁ、今回はその武器もないから、試せないのが残念だ。
ガツンと背後で音がした。滑り出た俺に噛み付こうとしたヤツの、歯を噛み合せる音だろう。
獣臭い臭いが鼻腔を刺激する。血肉にまみれた、腐臭だ。
振り向きはご法度だ。敵う相手じゃない。このまま走るのが最適解だな。
穴までの距離は、二百行くか行かないかってところ。
ヤツがどれだけ近付けるのかも分らないけど、このまま飛び降りるしかない。
スピードは落とさず、飛び込み選手のようなダイブを決めた。
………………
…………
……
シルビナ⑤
銀粉で魔方陣を描きました。二等辺三角形を二枚重ねて、六角を作ってから円で頂点を結びます。
更に重ねてできた中心の空白にも円を描いて、古代文字の象形文字を描いてゆきます。
錬金術は、キモルサナと呼ばれた古代人が残した技術です。
キモルサナは既に滅び、錬金術も多くの技術を失伝してしまっています。
嘗ては、天を操り、地を脈動させ、海を割ったそうです。
今できるのは、生成と複製、修復、そして分解の基礎だけ。扱える者も極僅かで、私もお兄様の人体を錬成する為に修得しました。
一年を費やしたのは誤算でした。それぞれの物の元素から理解しなければ発動しないなんて、欠如どころの話ではありません。
一般では扱えないのも自明の理。廃れてしまうのも自然の理。そういった技術です。必要がなければ、私も修得しようなどとは思いません。
「これが――だから、ええと、こっちが――こう? いえ、違いますね。こっちです」
古代象形文字はそれぞれ、多くの元素を表しています。それが余りにも多く、覚えきれないのでメモ書きに残しました。
これさえ理解していれば、錬金術は扱えます。逆に、一文字でも間違えれば失敗です。慎重に必要な古代象形文字を描き足さなければ……
世界中のキモルサナの遺跡に潜り続けて模写した結果、象形文字辞典が完成しました。
解読に間違いがなければ――間違っていたら、お兄様はこの世界に存在していませんが――マナドレインリング――お兄様が魔素を吸収するための魔道具(指輪型)――は完成するはずです。
イメージはできています。
クワンドをフレームに使い、コムラットをベースにしてスピュラルトを磨いて一点の窪みに嵌め込みます。
セプラムはベースにしたコムラットの装飾に使います。
「これで完成、ですね」
仕上がった面長な魔方陣を見下ろします。
最後に、象形文字をメモと見比べ、方角も確認します。
さほど大きなものではありません。私が大きく跨げる程度のもので、肩幅に足を開けば届きうる幅しかありません。
古代では、それぞれ北、西、南、東、中央に力が宿るとされていたそうです。
火を宿す北。
大地を宿す西。
水を宿す南。
木を宿す東。
そして、命を宿す中央。
北東や南西など、もっと細かく分類されているのですが、失伝された技術を言っても仕方ないので、このまま進めます。
周囲の北、西、南、東に素材を置いて、巡らせた力を中央に集めて形を成させる。
そうすることで素材同士が溶け合い、混じり合い、結合され、構成されます。
ただ置くだけでは何も始まりません。理力を重点的に行き渡らせ、力場を発生させる必要があります。
理力と記述にはありましたが、これは現代で言い換えると、魔力のことです。
屈んで片膝を突き、両手で銀粉に触れます。そうして魔力を流せば……
キュィイインと淡い緑の光が、触れた場所から魔方陣全体に広がって行きます。
最初は外円を淡い緑に染め上げ、次は二等辺三角形を、その次は内円を、最後に、象形文字を頂点の位置から右回りに順繰りに染めていき、やがて魔方陣全てが淡い緑に染まった頃、光が強くなりました。
それぞれに配置した素材が数多の淡い緑の粒子となり、今度は左回転を始めます。
火から大地へ。大地から水へ。水から木へ。木から火へ。
それぞれの粒子が合流していきます。
合流した粒子は隣り合う粒子と結合していき、大きくなっていきます。
粒子が結合する毎に回転は速くなり、五週目を超えた段階で、私にも残像を捉えるくらいしか出来なくなりました。
粒子が光の尾を引いてやがて残像が繋がり、円を描きます。
その頃には粒子の数も数える程度のもので、ピンポン玉程のサイズになりました。
それらがキュインキュインと回っている最中、淡い燐光を散らして分離してゆき、中央に集まってゆきます。
やがて外円を回っていた粒子の全てが分離し、中央に集まります。
回転もなくなり、中央に淡い緑の光の玉ができます。ここからが正念場ですね。
触れた場所から、魔方陣と繋がった魔力線を伝ってイメージを送り込みます。
長引けば長引くだけ多量の魔力を消費してしまい枯渇に陥り、失敗してしまいますからね。イメージは速攻で行いませんと。
(最初にイメージした通りに行きましょう。お兄様は凝った装飾を好みません。華美にならず、質素に、を心掛けて)
“ひなた”の記憶からお兄様の好みを割り出し、思い描きます。
パァンと光が弾けました。イメージさえ固まれば、それを魔力線に伝わせるだけです。
錬成時の仰々しい光景は、すぐになりを潜めました。
「……できました」
思ったよりも魔力を消費してしまいました。
額に浮かぶ汗を、手の甲で拭って立ち上がります。少し腰が痛いです。
くくっと腰を軽く伸ばして、魔方陣を踏まないように一歩中に入り、それを手に取ります。
エメラルドグリーンをベースにしたリングです。
焦げ茶色の木質のフレームが側面を覆い、リングの中心部にはこんもりとした筋が一周しています。中にはセプラムの角が入っています。
一周した盛り上がりは、一部を避けて窪みを作り、そこに赤色の丸い石が嵌っています。
「さて、まだ終わっていません。もっと大きな魔方陣が必要です。描き直しますよっ」
声に出して気合いを入れます。
全ては幸せな未来を勝ち得るために。




