第三十四話 クワンド②
要は、意識の問題だ。意識すれば感覚が鋭くなって、意識しなければ並の人間と変わらない。
ドラゴンの肝は、俺にとってはそういう領域の匂いを放つ。シルビナはそう憶測した。
シルビナは俺のこの肉体を作るのに、多くのビースト・タイプの魔物を使ったそうだ。
魔物にはタイプが存在する。
定番のゴブリンやオーク、オーガ等の人型はヒューマン・タイプ。
俺を初めて襲撃したケルピーやスプロムといった獣がビースト・タイプ。魚類系や鳥類系、虫系統等々、多くの種類がここに含まれるらしい。
今から討伐しに行くクワンドのような魔物はゴーレム・タイプ。
ドラゴンや麒麟、ケルベロス等の希少種はファントム・タイプ。
遺跡なんかに封印されていたり、崇められていたりする魔物が存在するらしい。それらはゴッド・タイプと呼ばれ、魔物の最強種と呼ばれるドラゴンをも隔絶した力を持っているそうで、“シルビナ”が対峙した邪教に復活させられた魔物は都市一つを瞬く間に焦土に変え、嘗て“シルビナ”が使役していたドラゴンを食い殺したそうだ。
二日間の戦闘を経て、“シルビナ”はこれを封印したらしい。もう戦いたくないとは、うんざりした表情の彼女の語りである。
閑話休題。
そんなわけで、俺の五感――特に、嗅覚と聴覚――は軒並み人のそれから外れ、まさに犬並、猫並の感覚を手に入れたわけだ。
今まで気付かなかったのは、オンオフの切り替えができるから。
で、俺は自分の感覚が鋭くなっているとは思わなかった。シルビナも想像していなかった。だから、意識するまで、この一ヵ月分からなかった。
間抜けとは思わないでくれ。スイッチがあるなら、気付けないのも当然と考えて欲しい。
と、心中で誰に向けたのか分からな言い訳を独り言ちる。
とん、とん、と軽快な足さばきで木を蹴って前に進む。枝に乗るでも、地面に降りるのでもなく、木の幹を蹴り付けて跳び続ける。
シルビナに課せられた鍛錬の一環だ。
クワンド討伐のため、俺は東征している。目指すは東の浜辺なのだが、もう一時間はこうして幹を蹴って進んでいた。
背負った直剣と袈裟に回した背負い袋が揺れる。腰にはドラゴンの肝が入った布袋だ。
少し口紐を弛めて、匂いが外に出るようにしておく。あまり揺らして、こぼさないようにしないとな。
常に斜め前に跳び続ける。正面に跳んだところで、木にぶつかるだけだからな。
俺が知っているこの大陸の木々は十メートル近い位置に枝葉を茂らせる。が、それは内陸部だけのようで、ここら辺の木々は、根元から二メートル程の高さで枝葉を茂らせていた。
木々自体もさほどの高さはない。せいぜいが五メートルといったところで、進行方向に伸びる枝葉が俺の邪魔をする。
なので……
「疾!」
食い縛った歯の間から息が漏れる。
背負った直剣を抜き、身体を捻って回転。邪魔な枝葉を斬り落とす。
シルビナの所有する武器はどれも、業物と呼んでいい代物だ。
俺の腕ほどもある枝を、付け根から容易く斬り離す。そんなことができるのは、シルビナの剣故に、だ。
すぐに剣を背負い直す。手にあると邪魔だから。
アクロバットに進むことも課題の一つだ。
幹を蹴って進むこと、あらゆる角度、方法で道を切り開くこと、食事は木の上で、常に自分の位置を把握しておくこと。クワンドを討伐すること。
指折りに幾つか彼女が俺に指示を出した。それを遂行していく。
「っと」
枝に掴まってぶら下がる。身体が反動で前後に揺れた。
その反動を勢いに乗せて、振り子の要領で身体を大きく前後させて前に振った瞬間に手を離す。最高点で解放された身体は垂直に飛び上がり、更に高い位置の枝に到達する。
落ちる前に逆さまの状態で膝を引っ掛けてぶら下がる。
腹筋を使って身体を折り、膝を引っ掛けた枝に両手で捕まる。止まると勢いが死ぬから、そのまま身体を起こして、膝から太腿、尻へと身体をずらして枝に座った。
そこから立ち上がって、今度は木登りだ。課題の一つ、自分の位置を把握しておくこと、を遂行する。
木の頂点から顔を出せば、全方位、緑が続いている。平坦な地形だ。高い丘でもなければ、そう先までは見渡せない。
(意識を、向ける)
ドラゴンの肝の粉が入った布袋を閉めて、嗅覚に意識を向ける。そのままにしておくと、俺が危険だからな。
強くすんすんと鼻を鳴らした。
捉えたいのは潮の香りだ。風向きによって変わるだろうが、大体は海から吹き付けてくる。
それを捉えれば向かう先が分かる。
まだ自然にできない。意識を向ける、そう言い聞かせないと、上手くいかなかった。
「あっちだな」
布袋の口紐を緩めて僅かな潮の香りを頼りに、海の方角を辿る、それを何度も繰り返している。
鼻意識を解き、頭を引っ込めてするすると降りていく。ある程度降りたところで枝に腰掛けて、シルビナに渡された包みを解く。
芳ばしい香りが鼻腔をくすぐる。これは鼻に意識を向けなくても、強く感じられた。クッキーだ。
今回は少しの休憩だ。しっとりサクサクのクッキーをクセーフスの乳で流し込む。
プレーンのクッキーだが、ほのかな甘味が跳び続けて空いた腹を満足させてくれた。
休憩は長くて五分。これも課題だ。
長時間の移動と、短時間の休憩で鍛錬の一環にするらしい。
五分も経っていないと思うが、もう行くことにする。
ドラゴンの肝の効果は、実は永続ではない。ドラゴンが保有していた魔力は残るので、ある程度の魔物避けに使えはするが、臭いは消えてしまう。
期限は七十二時間。つまり、三日間だ。
いつドラゴンを退治して、この粉を作成したのか不明だが、効力は覿面だ。
この一時間、一切魔物と遭遇しなかった。正直、不安だったんだが、杞憂に終わって良かったと思っている。
そんなわけで先を急ぎたい。
座った枝を両手で握り、身体を前に出していく。
両足は膝を曲げて腹にくっ付けて、足裏を枝に接地する。身体の正面には地面があって、腕の力を抜くと落ちてしまう。
射出準備完了。
ってことで、足に力を込めて枝から身体を押し出すように伸ばすと同時に、腕に込めた力を抜き、枝を掴んだ手を離す。
「ひゃっほぉうっ!!」
と叫びたくなる勢いで景色が流れ、ものの数秒で眼前に幹が迫る。
実際には叫んでいないのであしからず。
そのまま行けば頭から突っ込むこと請け合いなので、身体を捻って幹を躱し、通過する前に足裏で蹴り付けて軌道を修正する。
何度か同じ行動を繰り返し、横倒しだった身体を徐々に立てていき、止まる前と同じ挙動で蹴って進めるようになった。
それから、一時間の跳躍と五分程度の休憩を繰り返し、日没頃に砂浜が見える位置まで辿り着いた。




