第三十話 修行⑨
ゴッと足の小指をぶつけた。
「ひぎぃっ!?」
情けない悲鳴を漏らして、俺はぴょんぴょん無事な足で飛び跳ねる。
「……これ、無理だろ」
真っ暗な視界に、途方もない孤独感を覚える。
「人間は視覚に頼りがちなのだそうです。視覚情報が大半を占めるとか」
シルビナの声が傍からする。
「視覚を遮断すれば、他の感覚――聴覚、嗅覚、味覚、触覚が鋭敏になるそうです。私には、魔力探知という第六の感覚があるので、不要ですが、魔力探知ができないお兄様には必要かと思われます。なので、結界で目を覆い、光を拒絶しました」
用途が多すぎる。つくづく、何でもありだなと実感させられる。
火山へ行った日の翌朝。目を覚まして瞼を開いても、俺の視界は暗いままだった。
混乱は一瞬だった。扱きの一環であることは、状況的に推測できたから。
シルビナという強者がいる中で、俺に危害を加えられる者がいるとも思えないし、そもそも、シルビナがここに居ることを知っているやつ自体いないらしい。
交流のある魔人族も知らないらしいからな。その辺は徹底しているそうだ。
「ベターな鍛錬方法だな」
漫画やアニメ、ゲーム、映画でも使い古された感覚を高める鍛錬方法だ。故に、だからこそ、実績があり、効果がある……と思う。
実際、ベッドから起き上がって暫く、シルビナの息遣いや、小屋の外の鳥のさえずり、葉擦れの音も微かに聞こえる。
「これでいつまで生活するんだ?」
「準備が整うまで、ですね」
「準備?」
「はい。今日のこれは昨日言った鍛錬を厳しくする意味合いも含んでいますが、それとは別に、前倒しただけ、というのもあるのです」
その準備期間中に、闇に慣れろってことか。
「分かった。不便だけど、必要ならやる」
「お願いします」
「でも、普段の鍛錬はどうするんだ?」
ふと気になった。この状態を続けるなら、相当やり難いと思うんだが。
「勿論、行いますよ?」
「……ああ、そうですか」
まぁ、当然だなぁ。サボるわけにもいかんし。
「それでは、今日も張り切っていきましょうか」
「おう!」
「お兄様、私はそっちに居ませんよ」
…………締まらないなぁ。
◇
目が見えないとホントに苦労する。屋内の間取りや扉までの間隔、食事時のお椀や皿、コップ、箸やスプーン、フォークの位置。
全部シルビナの誘導で手にし、把握していく。熱々のスープに指を突っ込んだ時は、指が千切れたんじゃないかと錯覚した。まぁ、溶岩に落ちた時と比べれば、大したことはなかった。
反射的に熱いと思っただけだ。見えないからこそ、過敏に反応したとも言える。
既に効果は出ている。目が見えないだけで、音を敏感に聞き、異臭を素早く察知し、料理の味の詳細が鮮明に分かり、肌のちょっとした刺激が鋭敏に感じる。
「良いですか? 得物を自分の身体の一部だと思ってください。触れたその先に何があるのかを思い描いて」
シルビナの指導に耳を傾ける。彼女の声は涼やかで、とても聞き心地がいい。目隠しをして分かったことだ。
目から与えられる情報は、想像以上に多く、雑多なものが大半だった。
余計な情報が消えたお陰か、今まで気にしなかったことが、妙に気になる。
小屋の周辺で聞こえる鳥のさえずりは主に二種類。獰猛性のない、可愛らしい小鳥のもの。
結界の外に出ると、獰猛性のある鳥類系の魔物の咆哮が聞こえる。それは複数。独特な間を刻む鳴き方、かん高い鳴き方、重低音な鳴き方、引き笑いのような鳴き方、判別できただけで十を超える。
森を歩くだけでも視線を感じるようになったのも、成果の一つか。
アツイ、アツーイ視線だ。今にも舌舐めずりが聞こえてきそうだ。
そんな視線、嬉しさなんてあるはずもない。ただ、今の状態だと逃げることもままならないから、シルビナがこの瞬間だけは守ってくれている。
リザードマンは倒せても、まだ小屋周りの魔物は倒せない。
朝食を終えた今は、森を進んで、開けた場所にいる。
周囲を把握するためにと、結界から出た。
「風の流れを読んで、音を聞き分けてください。周囲の状況を頭の中で映像化できれば上出来です」
言ってくれるなぁ。そこまで鍛えるのに、どれだけ時間がいるんだよ。
「……」
「集中して下さい。私の声さえも、風景を彩る一部です」
渡された直剣の切っ先を下に向け、両手で感触を確かめるように握る。
「――っ」
逆袈裟に切り上げた刃は、切っ先を天に向けて停止した。
「ハズレです。……そう上手くはいきませんね」
シルビナが言うには、俺の前には百五十センチほどの丸太が突き立っているらしい。
それを的に剣を振るっているわけだが、距離の把握、身体を向ける位置を一人で把握しなければならない。
なかなか厳しいぞ、これは。
空振った直剣の切っ先をまた地面に向け、間合いを図る。
熟練の魔法使いの中には、自身の魔力を飛ばして周囲の状況を把握する術者がいるらしい。シルビナもその熟練の魔法使いに加えられるそうだ。
地球でも音の反響で世界を見ることができる人達がいる。確か、エコーロケーションだったと思う。
舌打ちで反響した音で距離、大きさを把握する能力だ。それを試してみたが、さっぱりだな。帰ってくる音とか分からんぞ。
音はよく聞こえる。柔らかなそよ風にさえ匂いがあるように思え、気温も森の中と開けたこの場とでは違うように思う。
ただ、これは目を瞑っていれば誰でも感じれることだろう。俺が――シルビナが欲するのは、その先、音の世界、匂いの世界、動きの世界だ。
魔力をなしに、自前の五感で生き抜ける術だ。
魔素は切り札。そもそも、まだ見に付けていない力を頼りにするのは、愚かが過ぎる。
まぁ、それも先の話だ。当面の目標は動かない丸太を、シルビナの誘導なしに切ること、だな。




