シルビナ①
すぅ……すぅ……
穏やかな寝息が部屋を満たします。
床で寝ると、頑なに同衾を拒んで床で寝たお兄様を横抱き――所謂お姫様抱っこにして、そっとベッドへ寝かします。
激しく運動したのでよく寝付いていますね。精神も肉体に定着しましたし、これからの成長は早くなると思われます。
「……ユイ」
ぽそりとこぼされた名前が、ちくりと私の胸の奥深くにある想いを刺激しました。
華道 唯華お姉様――お兄様の交際相手にして幼馴染。彼女の女性らしいプロポーションを“ひなた”は羨んでいましたが、今の私なら……と、思います。
事実、幾度かお兄様の視線を感じました。肩が凝るとよく聞きますが、この重りは本当に肩に負担を掛けます。ですが、お兄様の視線を釘付けにできるのなら、それも幸せの代償として受け入れられます。
話が逸れましたね。
端的に言えば、私はお兄様を異性として意識しています。この気持ちは“ひなた”であった頃から変わりません。自覚はなかったようですが。
兄弟の異性に想いを馳せることは一時、あるでしょう。しかし、それは身近な異性だから。幼さ故の世界の狭さから来る、気の迷い。
“ひなた”も時間経れば、お兄様への想いは風化し、兄妹愛に成っていたでしょう。その時間はを“ひなた”は与えられませんでしたが……
夕食の最中、お兄様は問いました。「お前の意識は“シルビナ”と“ひなた”どっちが強いんだ?」と。
私の答えは「半々です」でした。“シルビナ”と“ひなた”の精神が混ざり合い、溶け合った結果生まれたのが、“私”です。なので、解答に嘘偽りはありません。
ただ、厳密に言えば、“ひなた”をベースに“シルビナ”で頑強に補強した。そう答えた方が正確です。
五年間、この世界で戦わされて裏切られた“ひなた”はボロボロでした。
なので、補強が必要だったのです。その所為で、“ひなた”がベースなのにも関わらず、性格の大半、口調なども大きく“シルビナ”に寄ってしまったのです。
お兄様の信用を勝ち得るかは不安でしたが、それも杞憂だったようで、今は安心しきった寝顔を見せてくれています。
地球にいた頃の“ひなた”はおかしいと思いながらも、大丈夫だと言う兄の言葉を信じて気にしないようにしていました。
兄は甘く優しく妹に接するシスコンで、それはガールフレンドができても変わりませんでした。
“ひなた”と先約があると、唯華お姉様との約束は断り、電話越しに平謝りする兄を見ていました。
「お兄様、何故貴方に違和感を覚えるのか……見させていただきます」
ここに呼んで、お兄様の精神状態が異常であると理解できました。
魔法や異世界召喚に大きな忌避はなく、己が肉体が滅んでも大きなショックを受けず、死に直面した後でも平然としているように見えました。
“ひなた”も“シルビナ”も魔物を初めて見たときは『逃げる』選択肢すら取れず、大きな怪我を負い死の淵に立たされました。
それも、スプロムやドーラのような強力な魔物ではなく、ワイルドウルフという一般的な、どこにでも生息し、多少の戦闘訓練を受けた者ならば、数人寄れば十頭からなる群れを対処できる程度の魔物に、です。
半年間の戦闘訓練を受けたのにも関わらず、無様を晒しましました。
それなのに、お兄様は逃げることに功を奏し、横合いからの襲撃も避け、結界まで逃げ延びました。
更には、意図した私を許し、気遣う素振りも見せました。
それに朝食後から始めた鍛錬。幾度か、私の槍を避けてみせたお兄様の動きは素人そのもの……にも関わらず、動きは最小限で小回りを効かせて躱していました。
全てではないです。この両手には、両腕にはお兄様を打ち据えた感触が残っています。
賊に身を落とした者達を屠ったことはあります。ただ生きるために必死な魔物の命を奪ったことがあります。
良い感情は浮かびませんでした。気分の良いものではありませんでした。けれど、時が経てば忘れてしまうようなものでした。
でも、お兄様の身体を打った感触は一生忘れられないでしょう。今後も必要なので鍛錬は止めませんが……
「では……」
思考を続ける内に、準備が整いました。
記憶を引っ張り出すには、対象が夢を見ている瞬間が好ましいとされています。
寝ている間の記憶の整理――それが夢として再生されるのだそうです。なので、記憶にないものは夢の中には存在しえない。それがこの世界の専門家による説です。
事実、記憶を覗くには寝ているときが最適です。
余談ではありますが、予知夢を見る巫女がいます。的中率は平均にして八割。
【スキル】ではない、また違った力だそうです。一説によれば、彼女らは物事をよく覚えているそうです。その記憶力と把握能力が数多の事象を推測させ、未来視地味た予知を可能にしている、つまり、夢の整理で物事を組み立て、予知夢を見ているように思わせたのではないか?
そんな説を提唱する学者がいるそうです。まぁ、それでは説明の付かないことも多いそうなので、やはり説得力には欠けますが。
余談でした。
魔力でお兄様の脳を覆い、探ります。奥の奥。深層の深層まで魔力を行き渡らせます。
「……思い出してください。貴方を変えた出来事を……。……思い出してください。貴方が直面した困難を……」
声を掛けます。暗示、とでも言うのでしょうか。特定の記憶を探りたい場合、こうして関連するワードを囁けば、自然と思い出してくれるのです。
「――っ」
私とお兄様を繋いだ魔力を通して、脳裏に映像が流れます。
これは……遺影、でしょうか? 唯華お姉様の遺影のようです。
ザザッと映像が乱れます。パーッパーッと長く聞いていなかったクラクションが聞こえ、ドッと強い衝撃を受けました。
「――はっ、お兄様!?」
余りの出来事に、魔力線を切ってしまいます。
(こんな記憶は私にはありませんっ! 唯華お姉様が死んでお兄様が事故に遭うなど……っ)
続きを、と望み、再び魔力線を繋ぎます。
事故から目覚めたお兄様は、自室にいました。
混乱するお兄様。それはそうでしょう。事故に遭ったはずの自分が病室ではなく、自室で目覚めたのですから。
(……これは……)
ザザッ、ザザッと幾度も映像は切り替わり、唯華お姉様とお兄様の死を見届けました。
「……ふぅ」
脳がジクジクと痛みます。慕うお兄様の死を見るのは堪えました。唯華お姉様の悲惨な死も……
いえ、残酷な死ならば、この世界で多く見ています。言葉にするには少々躊躇われる程のものを。
ですが、それは名も知らぬ赤の他人ばかりで、身内ではありませんでした。
それが唯華お姉様、ましてや、お兄様ともなれば話は違います。
“ひなた”にとっての掛け替えのない兄が、こんな経験を積んでいるなど、想像の埒外です。
ですが、これで合点がいきました。
死への恐怖の薄さ、妙な感の良さ、疑り深さ、鋭い目、常に思考を回しているような顔、全ては唯華お姉様のために身に付けたお兄様のスキルなんですね。
「……唯華お姉様、私には“ひなた”の『嫉妬』の精神は宿っていませんが、“シルビナ”は別です。ここまでお兄様に想われている貴女に、強く嫉妬します」
ここにはいない、兄を射止めた嫌いで大好きな唯華お姉様に恨み節をこぼします。
「絶対に強くしますよ、お兄様。貴方が何も失わないように。傷付かないように」
それは予め決めていたことでもありますけど、より強い信念を持って、鬼の心でお兄様を鍛え上げることを決心しました。
大丈夫です。私には勇者二人分の経験値が備わっています。その粋を注ぎ込んで、最強のお兄様を作り上げてみせます!
あらすじで前作と大きな関わりがないとか書いたような気がするんですけど、ちょっと掠ったみたいになってしまいました。
あれはウソだ。……これ入れとけば問題ないですかね。




