第二話、阿呆面の彼奴。
東京都調布市。多くの建築物に埋もれながら赤茶けた煉瓦のビルがひっそりと建っている。そのビルの三階に掃討屋はある。
白地の壁はコルクボードやら張り紙やらで不可思議な模様が作られている。洒落っ気など微塵も感じさせない家具で出来た通路には、社員の誰かが拾ってきた黒猫が寝転んでいた。名前を「黒三郎」という。
「……おい、折田は何処行きやがった」
「山口正明」は大量の書類に判を押しながらそう言い、深く溜息を吐いた。目線の先には無人の事務机がある。
「折田さんならさっき早退しましたよ」事務員の一人が言った。
あの唐変木が、と山口は心中で舌打ちをする。早退などとは本当にいい度胸だ。
あの阿呆に対する憤りやら自身の指導力不足に対する苛立ちやらで、思わず机上を荒らしたくなる衝動に駆られたが何とか抑えた。代わりに二度目の深い溜息を吐く。
阿呆の名は「折田史和」。認めたくはないが、言葉通り前世からの付き合いだ。
前世からの付き合い。
本当に、言葉通りである。
人は皆、魂の成長のために輪廻転生を繰り返している。同じ魂で違う身体を転々としていると言えば解るだろうか。永遠の未来を目指して生まれ変わり死に変わりを幾度となく繰り返し、歴史を紡ぐ。過ごしてきた記憶は転生の際に深層心理へと封印されるのだが、稀に封が解けられる≪例外≫が発生する。
その結果が正明や史和といった『前世持ち』の人間だ。
記憶には其々それぞれで個人差があるが何いずれも己の最期を心得ている者が多い。その者の多くが人ではない「あやかし」の類を識別でき、異質の力を操ることが可能なのは、死に近しい影響なのだろう。
「あやかし」とは即ち「異形」。
「異形掃討屋」は彼らの異質の力を利用し、人間に害するあやかしを掃討するために存在している一方で、特異な彼らの心の拠り所としても機能していた。
己の死後の世界が見られるなど誰も思わなかっただろう。
そんなことよりも。
「……出掛ける」
山口はそう言って椅子から立ち上がった。
「副長、何処へ」事務員の一人が無機質な声で尋ねた。
「決まってんだろ、折田を連れ戻しにだよ」
言うが早いか、山口は万年筆とインク入れに蓋をして席を立った。机上の書類を片し、風で飛ばされないよう重しを置く。
「阿呆が何処にいるかは大体検討がついている。もし戻ってきた場合は椅子に……柱がいいな、柱に括りつけてお──」
「お疲れ様で〜す。ちょっと急用で再出社して来ました〜」
言いながら椅子に掛けていた外套に右腕を通していると、自分が開けるはずだった扉が勝手に開いた。
目の前にあるのは、忌々しい、阿呆面。
取手を掴もうとしていた山口の右手が行き場を無くして虚空に留まった。
「あれ、どうしたんですか山口さん、そんなに血相抱えて」
我慢だ、と山口は自分に言い聞かせた。
折田のこれは何時ものことだ。何も毎度毎度気にする必要は無い。
そして諸々の感情を飲み込むように、右手を外套のポケットに突っ込んだ。このぶんはツケておこう。
「……で、どうした」
山口が問う。
その問い掛けに対して、折田は何故か意地の悪い笑みを浮かべて「こう」言ったのだった。
「平助くんを見つけました」