1.無課金、転生す
「がはッ」
全身に激痛。
呼吸が止まりかけていた。
あえぐようにして空気を貪る。
薄暗い、視界がぼやけて何も見えない。
そして痛い、熱い。体中の骨が砕けちまいそうだ。
何が起きた――?
俺は――そうだ、思い出した、俺はトラックにはねられて――
ここは『朽ち果てた都』の深層、僕は【腐敗竜】に――
いや、待て。
俺は、いや僕は?
おかしい。記憶が定まらない。
何かを思い出し、そして忘れている。
「コホッ、ごぼッ」
地面に転がったまま、血反吐を吐いて咳き込みながら、笑いそうになった。
そりゃトラックに撥ねられたら、記憶の一つや二つ吹っ飛んでもおかしくない。むしろよく即死しなかったもんだ……今にも力尽きてしまいそうだが……救急車、早く来てくれ……ってかトラックの運ちゃんごめん、俺が前方不注意でガチャを引いたばっかりに……
とりとめのない思考。浮かんでは消える。
なぜか身体の痛みが徐々に和らいでいる気がした。
そして意識がはっきりするにつれ、空気の匂いに違和感を覚え始める。
どうしようもないカビ臭さ。吐き気を催すほどの強烈な腐敗臭。
手を動かして、地面を撫でる。これは――アスファルトじゃない。石畳?
そもそも視界がおかしい。茜色の夕焼け空ではなく、ぼんやりとした青白い光が辺りを照らしている。
薄暗闇に目を凝らす。
「どこ、だ……ここ……?」
廃墟。
中世、いやそれよりもっと古い時代を思わせる建築様式。
ひび割れ、風化し、半ば崩れ落ちた石造りの家屋が並ぶ。
薄暗い廃墟の片隅で、俺は石畳の道に寝転がっていた。
この風景――見覚えがある。
痛みを堪えながら上体を起こし、自分の手を見た。
幼い手だ。
擦り傷と打ち身だらけの痛々しい細腕。「えっ私の手、白すぎ……」とか言いたくなる。この肌の色は決して『俺』のものじゃない。
そうだ、思い出した。
『僕』は奴隷だった。
ハイジーン帝国南部、第53奴隷居住区。
そこで暮らし、ダンジョンの『発掘作業』に従事する労働奴隷。
孤児院出身で、名前もつけられず、ろくな教育も受けられず、成人の儀のガチャでハズレを引きそのまま奴隷落ち。まともな『式神』と契約できず、ろくな装備もなく、ダンジョン攻略は過酷かつ困難を極めたが、どうにか今日まで生き延びてきた。
しかしそんな日々は、唐突に終わりを告げた。
『一揆じゃああああァァッッ!』
居住区で一揆――奴隷たちの反乱が起きたのだ。巻き添えを食らった僕は、何もしていないのに反乱者の一味として捕らえられ、危うく処刑されるところだった。
が、幸か不幸か、チャンスが与えられた。僕のような若い奴隷は、まだほとんどのダンジョンを踏破できていない。処刑してしまうと、本来簡単に手に入るはずのダンジョンの神魔石が無駄になる。
そこで、僕らは『奴隷頭』と呼ばれる古参奴隷の引率の元、ダンジョン『朽ち果てた都』の中層を踏破し、神魔石を貴族に献上することで、許しを請うことになったのだ。
ハッキリ言って、無茶だった。
レベル50にも満たない若い奴隷が、中層に踏み込むのは自殺行為に近い。もっと低層で経験を積むべきなのだ。チャンスなんてのは名ばかりの貴族の戯れで、要は死んでこいと言われているようなもの。
だが、僕らを引率する奴隷頭は強かった。彼の助力により、紆余曲折を経て中層のボスを撃破。神魔石も無事にゲットし、これで貴族にも許してもらえる、良かったね――と皆が喜んでいたところで。
「あいつ……裏切りやがった……ッ!」
思わず、呪詛の言葉が口をついて出る。
奴隷頭が、仲間を皆殺しにしたのだ。
そして神魔石を奪い取った。『お前らの代わりに、この石は有効活用してやる』と笑いながら――僕も瀕死の重傷を負ったが、仲間の一人、『サンちゃん』と僕が呼んでいた女の子が、死に際の回復スキルで僕を救ってくれた。
「サンちゃん……!」
身体が震える。サンちゃん――『俺』の知らない娘だ。だが『僕』にとっては、かけがえのない友達だった。居住区の奴隷の中で馴染めず、邪険に扱われていた『僕』に、優しく接してくれる数少ない仲間の一人。
きっと――自分じゃわかっていなかったが、ただの『友達』と言っても、『僕』は彼女が好きだったんだろう。
だから、こんな、腸が煮えくり返るような想いをするんだ。
奴隷頭が――サンちゃんを殺した。体の奥からマグマのように激しい怒りが湧き出てくる。『僕』にとっては、つい先ほどの出来事。『俺』はただ『僕』の憎しみに圧倒され、制御できない感情に翻弄されるしかない。
全身の痛みにもかかわらず、血を吐いてでも叫びたい衝動に駆られる。
だが、今は、落ち着け。深呼吸を繰り返す。
そして――そう、その後のことだ。
僕は逃げた。奴隷頭と正面から戦っても勝てないとわかっていたからだ。
裏切りの現場のボス部屋を脱し、奴隷頭とは反対方向、深層への入口の『門』に飛び込んだ。
奴隷頭は追ってこなかった。
ダンジョン深層は、ベテランの奴隷頭でさえ容易に踏み込めない人外魔境。クソ雑魚の僕が逃げ込んだところで、数分とせずにモンスターの餌食となる――と、判断したのだ。
あながち間違っちゃいない。現にこうして死にかけている。
深層に踏み込んで、僕が真っ先に知覚したのは強烈な腐敗臭。
マズい、と思った次の瞬間には、もう吹き飛ばされていた。
「ホント、よく即死しなかったもんだ……」
カフッ、と血を吐きながらも、俺は立ち上がる。この身体――『僕』は十三歳になったばかりで、劣悪な生活環境のせいもあり発育不良だ。だが、それでも『俺』よりは頑丈だったらしい。『生命力』のおかげか……?
――ああ、そうか。
今更のように思い当たる。
トラックに撥ねられた『俺』は、多分死んだんだろうな。
なぜだか知らんが、俺は今『カルマ・ドーン』にそっくりな世界に、奴隷として存在している。記憶を取り戻した――と解釈していいのか。わからない。
何もわからないが、今、俺が感じている痛みこそが現実だ。
ドゥサッ、ドゥサッと巨大な質量が風を切る音。
感傷じみた心境も、突風に消し飛ばされる。
地響きとともに、眼前、廃屋を押しつぶすようにして怪物が降り立った。
見上げんばかりの巨体。
粘液にまみれた翼。
大蛇のようにくねる太い尻尾。
それは――全身の肉が腐り落ちた呪いの竜。
「【腐敗竜】、か」
ダンジョン『朽ち果てた都』の深層に出現する、高位アンデッドと化した竜種。
なるほど、コイツにやられたのか。
おそらく尻尾のなぎ払いだろう。のしかかり、噛みつき、【ポイズンブレス】、どれを食らっても現状の俺だと助からなかったはず。……なぎ払いにしたってかなりの威力のはずだが、返す返すもよく死ななかったな。ロクな装備も加護もなく、作務衣みたいな奴隷用の服しか着てないのに。
「にしても、こんなのどうしろってんだよ……」
勝てっこねえぞ。体長十メートル超えの化物に、発育不良なボディで立ち向かうとか無茶振りってレベルじゃねえ。しかも『俺』はまだこの世界にも慣れてないってのに、どんなチュートリアルだよ。クソゲーかよ。
内心毒づく俺をよそに、【ドラゴンゾンビ】がぐるりと首を巡らせる。
おおよそ視力があるとは思えない、白濁した両の眼が、しっかりと俺を捉えた。
――嗤ってやがる。グルルル、と唸り声を上げ、【ドラゴンゾンビ】は俺を嘲るかのように口を開いた。腐った体液とも涎とも知れぬ粘性の液体が垂れ、骨をぎざぎざに削り出したような牙が、ずらりと生え揃っているのが見えた。
今からこれでお前をかじってやるぞ、とでも言わんばかりの態度。無力で、弱りきった獲物を前に、舌なめずりしている。えづきそうになるほど臭い息が、数十メートル離れていてもなお届いた。元はドラゴンとはいえ、たかがゾンビのくせに知能があるのか?
「舐めやがって……!」
大人しく食われるつもりはない。恐怖はあったが、『僕』は萎縮する以上に怒っていたし、『俺』は色々と超展開すぎて感覚が麻痺していた。
だが、現実問題、どうする? 初期ガチャしか引いてないクソ雑魚ナメクジの今の俺が、こいつとどう戦える――? 『僕』の記憶を頼りに、この世界での『やり方』を思い出す。
「『メニュー』」
小さく呟くと、立体映像のように、スマホ大のメニュー画面が現れた。ゲームのカルマ・ドーンそのままのUIだ。思わず笑いそうになる。
宙に浮かぶ画面をタップして、メニューから『契約枠』を参照。最大限の戦果を上げるため、手持ちの駒を確かめる。
――そこに表示されたデータに、俺は驚愕した。
俺が契約する『式神』――それは紛れもなく、『俺』が遊んでいたカルマ・ドーンのデータと全く同じだった。
登録された名前も、奴隷時代の9桁のIDから、ゲーム内でのプレイヤーネーム『シュタイン・モンロー』に変わっている。
マジか。
なら――余裕だわ。
改めて、眼前の【ドラゴンゾンビ】を見やる。「怖いか? ん? 怖いか?」と言わんばかりに、ガチガチと歯を鳴らして何やらアピールする姿が、今となっては滑稽だった。
「……やっぱナメプはダメだよな」
ゲーム時代、対人戦で相手が初心者だと思って手加減したら、実はアカウント転生したガチプレイヤーでそのままボコられたことがある。
目の前のコイツも、まさにそれだ。
もったいぶらずにさっさと俺を襲っていれば、とっくに捕食完了してたろうに。
――『僕』を痛めつけた上、『俺』にナメプした代償は払ってもらう。
「召喚――」
ずぐん、と胸に脈打つ異様な感覚。
『式神』の強大な霊圧が、俺の『魂の器』を圧迫する。
だが問題ない。この程度の負荷ならば。
周囲の霊力が収束していく。
眼前、虹色の光が渦を巻く。
「グルルォ?」と【ドラゴンゾンビ】が当惑の声を上げているが、もう遅い。
「――来い、【堕天聖騎士・ジュリア】!」
俺の最強の手駒の一つ。
☆5の亜神が、今ここに降臨する。