13.無課金、追憶す
――夢を見ていた。
奴隷になった日の夢。
忘れもしない、十二歳の誕生日。
『僕』は『メニュー』を開けるようになり、人族としてようやく、生命力や霊力を得た。
そして成人の儀。この儀式でガチャを引いて、僕は『人』に『成』る。孤児院の優しい院長先生と、たくさんの騎士や侍を引き連れた監視役の貴族に見守られながら、ガチャを回した。
でも、僕が引いたのは、ハズレだった。
☆1式神【クレクレ乞食】――
誰がどう見てもハズレだった。
『――お前は奴隷落ちだ』
貴族がそう宣告したのと同時、あんなに優しかった院長先生が無表情になって、僕から興味を失ったように視線をそむけた。貴族に連行されていく僕が泣いても喚いても、見向きもしなかった。
奴隷になって、後から聞いた。
孤児院の職員が孤児たちに優しいのは、万が一、孤児が貴族や上級市民に出世したとき、便宜を図ってもらうためなのだと。
あの優しい笑顔は、打算にまみれた仮面だったのだと――。
それから辛く苦しい日々が始まった。
僕は奴隷の生活にうまく馴染めなかった。僕の髪が銀色なせいで、他の奴隷にいじめられた。奴隷や下級市民たちは、みんな黒や茶色の髪をしている。金髪や銀髪は高貴な血筋の証なのだと言われた。
『お前、貴族の子供だな!』
『ガチャでカス引いて捨てられたんだろ!』
『なんだてめえは! 貴族みたいな髪しやがって!』
罵られたし、嫌がらせも受けたし、八つ当たりで殴ったり蹴られたりもした。僕はいつもボロボロだった。
『……だいじょうぶ?』
でも、そんな僕に、別け隔てなく接してくれる奴隷もいた。
『回復してあげるね。みんなには、ないしょ』
それが、サンちゃんだった。
奴隷は名前を持つことが禁じられているけど、みんな、互いにあだ名で呼び合っていた。サンちゃんは、額に彫られたIDの入れ墨が『315-637-423』で3が多めだったので、サンちゃんと呼ばれていた。
ちなみに僕はゼロくん。IDが『000-010-000』でほとんど0だから。もっとも『銀髪小僧』とか『貴族のガキ』って呼ばれることが多かったけど。
奴隷なのに貴族のガキ。とんだ皮肉だ。僕は両親の顔さえ知らない。赤ん坊の頃に孤児院に捨てられていたから。
僕は銀髪が嫌いだった。
『……きれいな色だね』
サンちゃんだけは、そう言ってくれたけど。
『一揆じゃあああああッッ!』
場面が切り替わる。奴隷たちの反乱。わけもわからず巻き込まれ、鎮圧され、僕とサンちゃんも反乱者として捕らえられ。
『――お待ちくだせぇ! 貴族様!』
赤褌がトレードマークのゴツい男・奴隷頭が止めてくれなければ、そのまま処刑されていただろう。
奴隷頭が、年若い奴隷の無実を訴え、まだまだ神魔石が搾り取れる『利用価値』を説いたことで、貴族も考え直した。そして気まぐれと戯れにより、僕らは『朽ち果てた都』の中層を攻略して神魔石を手に入れ、許しを請うことになったのだ。
無理だろう、と思っていた。自殺行為だと。
だけど、奴隷頭のおかげで、何とかなった。
闘技場のようなボス部屋で、ボスが倒れて消滅し、虹色の神魔石を見たとき――僕らは快哉の叫びを上げた。
快挙だった。
嬉しかった。
みんな助かるんだ、と喜びあっていた。
『よし、これでお前らは用済みだ』
ドチュンッ、と音を立てて、仲間の胸から腕が生えるまでは。
酷薄に笑う奴隷頭が――仲間の心臓を、握り潰す。きょとんとした顔のまま、力なく倒れる遺体を、ゴミのように投げ捨てる。
『……なんで』
『最初からそのつもりだったのさ。ご苦労だったな』
お前らの石は、俺が有効活用してやる――
奴隷頭は一瞬で距離を詰め、僕の首に蹴りを放った。僕は血反吐を吹きながら倒れ伏す。
『ゼロくん!』
職業【祈祷師】のサンちゃんが、回復の祈りで僕を癒やしてくれた。だけどそのせいで、自分の防御が遅れた。
『あぐっ』
最期に聞いたのは、そんな悲鳴とも呻きとも取れない短い声。奴隷頭が使役する式神【孤狼、リュウガ】に、喉笛を食い千切られて。
サンちゃんは、諦めと、絶望と、悔しさと、悲しさと、全てが混ざりあったような顔をしていた。僕は身を起こすのがやっとで、彼女に駆け寄ることさえ、できなかった。
ただ、僕を見たサンちゃんが、その青ざめた唇が、
『――にげて』
そう動いた。
僕は背を向けて逃げた。
『朽ち果てた都』の深層への入り口へ。
『ハハッ、女を置いて逃げるか、腰抜けめ!』
奴隷頭の嘲笑に、振り返ることもなく。
『その先は地獄だぞ! 俺なら苦しませることなく殺してやったのに!』
虹色の光が渦を巻く、ダンジョンの『門』に、僕は飛び込んだ。
あまりの悔しさと情けなさに涙を流しながら――
そして僕は――
僕は――
†††
――目を覚ました。
薄暗い。
ごつごつした岩肌がむき出しの天井。
思い出す。
ここがボス部屋の闘技場であることを。
「あ~……」
昨日は結局、寝落ちしちゃったみたいだな。それも数分とせずに。
まあ仕方がない。【極楽浄土ベッド】の寝心地が良すぎんよ……。
「おはようございます、主様」
「ぼうや、よく眠れたみたいねぇ」
そして、ジュリアとディディの慈愛に満ちた笑顔を見たら、夢見が悪くてムカついていた胸の内も、ちょっと軽くなった。
「……うん。おはよう」
俺は起き上がって、思いっきり伸びをする。
ぺたりと額を撫でた。奴隷の証、額のIDの入れ墨。これも、そのうち何とかしなきゃな、と思いながら大あくび。
相変わらず、ダンジョンの中にいると時間感覚が狂う。
「どれくらい寝てた?」
「10時間は経ってると思いますが、よくわかりません」
「ぼうやの寝顔を愛でていたら、あっという間だったわぁ」
「ほ~ん……。は?」
ディディの言葉を聞き流し――かけて、俺は動きを止めた。
「待って。待って待って。二人とも寝てないの?」
「寝てません」
「起きてたわよぉ」
「えっ、じゃあその間なにを……?」
俺の問いに二人が顔を見合わせて、きょとんとした。
「主様の寝顔を見ていましたが」
「ぼうやの寝顔を眺めてたわよぉ」
「えっ……」
なにそれこわい……
「いや、あの、主様。わたしたち式神ですから、寝たら消えちゃいますよー」
寝ぼけてるんですかー、とジュリアが俺の顔の前で手を振る。そう言われて、俺はハッと気づいた。
「あ、そっか。『睡眠』はアカンのか……」
式神とは、仮初の生命体だ。
そして眠りとは仮初の死だ。
よって仮初の生命体である式神が眠ると、仮初の死を迎えて消滅――送還されてしまう。『仮初の死者』たる【不死者】と、決して眠らない【精霊】には効かないが、『睡眠』はカルマ・ドーンにおいて最も恐るべき状態異常だった。
しかし、なんというか、ゲーム的な状態異常としての効果が強烈過ぎて『毒』や『混乱』と同列に考えてたから、「式神は寝れない(=寝たら消える)」という事実がすっかり頭から抜け落ちていた。
「……ごめんなぁ。俺だけぐっすり寝ちゃって」
「いえいえ、とんでもない! わたしたちも幸せでしたよ」
「ぼうやの可愛い寝顔を、存分に楽しめたんですもの」
慰めでも何でもなく、ジュリアとディディは心底満ち足りた顔でそう言った。
……式神という存在の本質を見た気がする。
その後、二人はコンディションをリセットするための再召喚を要求。そうだね、睡眠取らなくても、貴女たちにはその手がありましたね……。むしろ何時間も寝なきゃならない生身の人間の方が、ずっと不便なのかもな。
「さて、主様! 朝餉の時間ですよ!」
再召喚でリフレッシュしたジュリアが、元気にスプーンをブンブン振っている。例の【仕立て屋の小人たち】が作ってくれたヤツだ。
「お、おう、そうだな。召喚、【ダグザの大釜】【聖水瓶】」
ドンッ、と現れる大釜と瓶。今日もプレミアム粥だぜ。やったー!
「うふふ……」
スプーンで粥をかき混ぜるジュリアをよそに、ディディはベッドに腰掛けたまま静かに笑っている。
正直、俺にあ~んする権利を巡って、ジュリアとディディが血で血を洗うバトルを開始するのではないかと心配していたが、杞憂だったようだ。
「さぁ、ぼうや。お座りなさい」
と、ディディが俺の肩を掴んで引き寄せた。そのままディディの膝の上に座らせられる。
おうっふ……背中にもにゅっと柔らかなクッションが……!
ディディの腕が俺をギュッと抱きしめ、ジュリアがニコニコ笑顔でスプーンを差し出す。
「はぁいぼうや、ご飯にしましょうねぇ」
「主様、あ~ん」
連携プレイ……!
二人が争わなかったのは既に役割分担が決まっていたから……!
されるがまま給餌されていく俺。
なんという堕落した朝ごはん……!
自分では指一本すら動かす必要なし。
ダメだ、このままでは人としてダメになってしまう!
「でも抗えねえ……!!」
ディディのボディに沈み込んで、ジュリアにあ~んしてもらうのがあまりに快適すぎる……!
「はい、主様あ~ん」
「もぐもぐ」
「お水も飲みましょうねぇ」
「ごくごく」
快適すぎる……ッッ!
……大丈夫。きっと大丈夫。
ちょっとぐらいならへーきへーき。この現状に危機感を抱いているうちは、俺は駄目人間にはならずに済むはずだ。
だから大丈夫。大丈夫……。
ずぶずぶと自堕落に沈みながら、俺は朝食を終えた。
「さて、今日の予定だが」
気を取り直して、真面目モードに突入する。
俺は切り替えが早いタイプだ。やるときはやるぜ。
「どうするのぉ、ぼうや」
「あへぁ……」
後ろから抱きかかえるディディが、俺の頭をなでなで。
なんで他人に髪をいじられるのって、こんなに気持ちいいんだろ……
「ぅん……とりあえず、」
「今日はお休み! のんびり過ごしましょうよ~主様~!」
俺の言葉を遮って、ベッドに寝転び翼をパタパタさせるジュリア。
「やめろォ! 俺を自堕落の沼に誘うんじゃない!」
「うふふ……もういっそのこと、此方とここで幸せに暮らしましょう……?」
「自堕落レベルが高いッッ!!」
やだよこんなボス部屋で一生を終えるのは!!
「とりあえず! 恩寵の検証だ。無難にレベル上げをしながらな」
二人の誘惑を振り切り、俺は頭の中で予定を立てる。
……確かに、このままダンジョンに引きこもっていれば、美少女と戯れながら、ちょっと退屈だけど平和に生きていけるだろう。
だが。
目を閉じれば、今でもよみがえる。
あの青ざめた顔が。
最期に「にげて」と告げた、あの唇が。
「……サンちゃん」
仇は、討つ。
俺はこんなボス部屋で、一生を終えるわけにはいかないんだ。
「よし。とりあえず、『上』に戻るか」
鋼の意志で自堕落を振り払い、俺は立ち上がった。