実家もたたみました
よろしくお願い致します。
墓じまいの前に、実家をたたんでいます。
実家を5年前にたたみました。
5年前に母が突然、私と同居したいと言い出しました。私は独立して隣町に住んでいたし、実家に戻るつもりもなかったので、実家は?と聞くと、たたむとのこと。
たたむ=私に全部丸投げするからよろしくね。です。
実家は古いうえに、建築中に大工の棟梁が代金を持ち逃げして、ありあわせの材料で作ったぼろい家です。修理をしながら住んできましたが、家としても限界だったようです。
母も自分が年を取ったことや、震災などもありこんなボロ屋では危険だし、一人では心細くなったのかもしれないなと、同居することにしました。
実家は母が嫁いできたときに、将来はお前たちの土地にしてやるからここに住めと言われて、あてがわれた父の実家の隣です。そう言ったら、土地(農地)の分筆もしてくれると思うでしょうが、口だけだった祖父、伯父は全く何もしてくれませんでした。父が生前、何度も頭を下げて名義変更を頼みましたが、「俺たちが信じられないのか」と、一喝されて終っていました。自分たちの住む家を建て替える時に、ひいじいさんの名義だった土地を、自分の名義にしなければ建て替えることが出来ないことを知った伯父は、すでに父は亡くなっていたのでその娘の姉と私に、いったん財産放棄してくれたら、改めて特例で土地を名義変更するからと言って財産放棄を迫りました。名義変更するには…………特例が、云々。あ、これは、もう土地の相続はないな。伯父さん、あんたの腹はバレバレだよ状態です。母はすでに土地を諦めていたので放棄することを勧められました。どうせ口だけだから、住めるったけ住んで出て行ってやると決めていたようです。万一相続したら、ずっと恩を着せられるし、私に自分のように父の実家の女中のような生活をさせたくないとも言われました。なので、本当に一円も貰わずに相続を放棄しました。その後、伯父は何かしら言い訳を続けて何もしてくれませんでした。一番あてにならないのは、親戚の口約束だなあと確信した次第です。
実家をたたむ。それって、今から考えてもよくできたと思います。築45年。母は物が捨てられなかったので、家中が物置状態。姉と私が独立した後、子供部屋も物置状態。目の前が真っ暗になりました。
まず、母との住まいを考えました。色々あっても、父の実家とは疎遠になりたくない(お人好しな母です)、甥・姪が可愛いそうです。母の出した条件は、車は運転できないから、自分で父の実家と病院にいける交通の便のいい所。買い物には徒歩で行けるところ。この条件で新しい住まいを探します。私の条件は広さは2LDKくらいこれ以上広い所はダメ!これ以上広いと、また物置になることが決定です。
住むところが決まったら、実家の処分です。改めて実家を見たら本当に物が多くてクラクラです。家族の布団以外に、客用の布団は10組以上ありました。母曰く、田舎なので親戚が止まりに来た時用に準備が必要だそうです。また、昔は各家で定期的に集落の寄り合いがあったので、寄り合い用の食器も大皿小皿茶碗お椀湯飲みが50人分以上分あります。タンスも幾つもあります。各種引き出物も大量。もったいないと言って使わないので、40年くらい前の新品が沢山ありました。これは誰それの7歳のお祝いの引き出物など、思い出を語ってくれますが、塗りの禿げた漆器はゴミでしかありません。20年前にもらった電気ポットは新品だから使えるよね。と、嬉しそうに言われてもたぶんコンセントにつないだら火を拭くよ。捨てたはずの学生時代の教科書・テストが出てきたときにはマジ倒れそうになったり。もったいないからって捨てられなかった、空き缶、空き瓶、紙袋。挙句の果てに、親戚から押し付けられたファイリングキャビネット。炊き出しに使うような巨大な鍋、鍋、鍋!引き出物を含めて、鍋が30個以上。それも、半分以上ホーロー。タオルも数え切れないほど。タオルはほとんどが黄ばんでシミだらけです。一番困ったのが、大量のGブリたち。いたるところにお住まいになって、新しい住まいに実家から物を持って行くことを躊躇しました。
まず最初に行ったのは、仏壇の交換です。古くて大きな仏壇は、ハッキリって安物です。これも、田舎で父の実家の隣に住む弊害でしょうか。本家よりいい仏壇を買うわけにはいかないって理屈です。本家って言っても、ひいじいさんから住み始めただけですよ。Gを新しい住まいに連れて行きたくない、部屋が狭くなるの一点張りで交換を強行しました。選んだのは値段よりもよさげに見える、今時の小ぶりでおしゃれな仏壇です。位牌も取り換えることにしました。とにかく一式交換です。仏壇は購入したら、もとの仏壇処分をサービスしますと言う、仏具屋さんで購入。位牌も私で終わる家なので繰り出し位牌に。仏具なども全体的に少しおしゃれなものにします。それが決まると、お寺の住職に魂ぬき、魂いれの法要をお願いしました。出張費込みで2万円くらいでした。
神棚や雛人形はどんど焼きで燃やしてもらいました。実家のあった地域はどんど焼きの時に、そういうものを一緒に燃やす風習があって、お酒一升奉納するだけで、宮司さんがお祓いをして燃やしてくれるんです。ありがたい風習でした。
最大の課題は実家の荷物です。何でも持って行きたい母と、持って行きたくない私とのケンカが始まりました。母には「お前は何でも捨てようとする」と、泣かれました。でも、私もこればっかりは負けるわけにはいきません。Gを新しい住まいに持って行きたくない!収納場所がないから、とにかく捨てる!その一点張りです。母が諦めるまで、突っぱねました。冷たいと思われても、言われても負けませんでした。今時10組の和布団(式布団+掛け布団2枚+毛布+枕がワンセット)を収納できるところがありますか。湯飲み茶わんが50個もいりますか?IHヒーターなのに、使えない鍋が必要ですか?一つ一つ説明しながら諦めてもらいました。服も古いものは捨てて、田舎ですが町の中心地に住むことにしたので、農家のおばちゃんルックはやめて、こぎれいな物を買うということに落ち着きました。食器は私が趣味で集めていたものを使うことにして、古い半端な食器は処分。昔の人だから割れたコーヒーカップのソーサーも小皿として使っていたんですよね。そうして半年かけて色々なものをあきらめてもらいました。
母には申し訳なかったですが、同居するにあたって、なんでも母の言いなりになるわけにはいかなかったのです。
諦めてもらったものは家いっぱいです。さあ処分をどうしようかということになりました。ハッキリ言って、自分で布団や家具などの粗大ごみを処分場に持って行くことは無理です。いつまでたっても終わらないし、時間を掛けたら、諦めてもらったものへの未練が再燃して、また大変なことになります。
色々と考えて、すべて業者さんにお願いすることにしました。解体業者さんに相談したところ、ごみの分別、搬出、家の解体、更地にするための土入れまですべてお任せのコースがあると教えてくれました。値段は家の体積で決まるそうなので、中にどれだけ物があっても値段は変わらないそうです。冷蔵庫、エアコン、テレビ、消化器などのリサイクルが必要なものも処分してもらえて、値段は木造2階建て5K(昔の家なのでキッチンと畳の部屋が5部屋。リビングなどはありません)で、N-Box一台分でした。トイレの浄化槽の処分も含まれています。汲み取り手続きもいらないと言われました。
私には妥当な値段でした。会社を休んで延々とごみを捨てる日々。きっと物をあきらめきれない母とケンカも再燃するでしょう。姉と義兄には母が嫌がるので頼めません。到底、一人で片づけるのは無理です。心と体を壊す前に、金で解決も一つの方法だと決意しました。代金については母も協力してくれましたから。
業者さんはタンスの中も、押し入れも全く出す必要はない。そのままにしておいてくれて大丈夫。分別は全部こちらでやりますと言ってくれました。
まず、ガスと電気を止めてくださいねと言われたので、すぐに電話して止めました。固定電話もすぐに止めました。ついでにNHKもやめました。水道だけは、解体時に水を撒く必要があるので最終日まで止めないでおいてくださいと言われたので、止めずに置きました。
母に最低限のものを持ってもらって新しい住まいに引越しです。母の物は私の車で何往復かして引っ越しが終りました。私の物はベッドなどもあったので、コンパクトな引越しをお願いしました。
私の住まいのゴミも全部、実家に入れて処分してもらうことにしました。こんなに入れてもいいのかと思うほど、ごみを入れました。外にある物置の物もすべて入れました。
家は神棚をはずす時に、宮司さんにお祓いをしてもらっておきました。
ゴミの分別に一週間。家の解体に三日間。ありあわせの材料で作った割には柱は丈夫だったそうです。
土入れに一日。あっという間に実家はなくなって、更地になりました。追加料金も一切ありませんでした。
母がお茶をもって毎日現場に通って見ていました。
母の感想は「簡単に壊れるもんだね~~。無くなっちゃたよ」です。思ったよりもあっさりとしていました。
実家が無くなって、何も感じないと言うことはないのですが、お一人様人生を歩んでいる私には実家の存在も重荷でした。母が死んだ後はこのゴミの山をどうするんだっていつも思っていましたから。母が同居を提案してくれたことは、ある意味、渡りに船だったのです。
解体代と、最後の水道代を振り込んで実家は無くなりました。本家の方に土地も返却しました。
本家は私たちを空約束で追い出したという不名誉?なレッテルが貼られたそうですが、貼られて当然だと思っています。母も私もそれを訂正はしませんでした。
同居して5年。いろいろどたばたしていますが、母も元気に老人会で楽しんでいます。
引っ越して一番心配だったのは母が引っ越し先になじめなくてボケてしまうことでしたから。友達もできたようで、今では私よりよほど地域に溶け込んでいます。歩いて服も買いに行けるようになったので、生まれて初めておしゃれを楽しんでいるようです。以前は、嫁いで何十年たっても××の新屋と言われて本家より下に見られていました。引っ越し先ではそれもなくって、仲間から対等に扱われるのもうれしいようです。
100%とはいきませんが、そこそこ幸せな毎日だと思っています。
実家をたたんで、背中に伸し掛かる大きな荷物を捨てました。たたむことが出来たのは、自分の土地じゃなかったことが勝因だったと思います。自分の土地だったら、田舎過ぎて買い手がいない。建物のない土地は固定資産税が高くなるなどあって、とても実家をたたむことなんてできなかったと思います。父との約束を反故にした祖父と伯父を恨んだこともありますが、今では少しは感謝の気持ちも出てきたような、出てこないような、少し複雑な気持ちです。
この経験が4年後の墓じまいにつながりました。
ありがとうございました。
何かの参考になれば幸いです。