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---ごめんなさい。
眉間にしわを寄せ困った顔をした彼女は目にたくさんの涙を抱えて、今にもこぼれ落ちそうだった。
謝る必要はこれっぽっちもない。あくまで俺が勝手に好きになっただけなんだから。だから謝んな。そんな顔されて、俺まで泣きたくなる。
「…私、どうしようもなくあなたが好きみたいで」
「いや、だから……って、え?」
---頭がついていかない。
星野さんが俺を好きだなんて、いつから?
入社してすぐのこと、俺は比較的人とのコミュニケーションにおいては得意な方で、少し心配ではあったがすぐに会社に溶け込むことが出来た。
そして同期入社の星野さん。彼女は俺と打って変わって人とのコミュニケーションは得意ではないようで、俺から見ても少し浮いていた。特別美人ではなかったが醸し出す雰囲気がどこか近寄りがたいものを感じさせていた。
そしてとある日の昼休憩の時。俺は同期の大澤と昼飯を食べ終え、帰ってきたところだった。休憩時間が終わるあと少しの時間まで俺の席でくだらないことを話していた。くだらなさすぎて、他愛のない話すぎて内容はまるで覚えてはいないが、その時そんな会話が席が近いせいで必然的に彼女の耳に届いたのだろう、彼女がふふっと声を出して笑ったのだ。そしてその表情は何とも綺麗で。そしてその時そう思ったのはきっと俺だけではない。
「星野さん、そうやって笑った方がいいよ」
「え?」
「星野さんの笑ったとこ見たことなくて近寄りがたい思てたわ」
「席も近いしこれから仕事プラス、星野さんを笑わすことも頑張ろうかな」
冗談めかしく笑って言うと、彼女は少し俯きながらもまた笑って嬉しいなんて言ったんだ。正直それは俺にとって何気なく発言したことで、特に意識したものでもなかった。それでもそれが彼女の素を垣間見る、また心救うきっかけになったのだと思うと、急に顔が少し火照った。
「だから、あの、えと、」
「……うん」
「でも、こんな私じゃ釣り合わないって、思うの」
困った顔をして俯く彼女はいつもより小さくみえた。彼女のいう自分のことが嫌いというのは彼女が自分に自信がないからだ。今すぐの答えは要らない、そう伝えた。もちろんそれは彼女の気持ちが追いつくまで待つべきだからだ。
そうして彼女からのさよならを聞いてその日はそのまま帰路に着いた。
翌日、対して日常は変わらなかった。ただ一つ一応はお互いがお互いを好きだと言うことを知っているだけ。それだけで今は十分で、特に普段と接し方が変わったりなんてことはなかった。ただ今なにか気になることといえば、今日の夜。
「星野さん」
「ん?」
「今日の夜行くの?」
「私なんかが約束破れないでしょう?」
困ったようにいう彼女に、昨日も聞いてしまったことだったがために、しつこかったかななんてちょっと後悔。俺自身この好きとやらの感情に振り回されていることに少し苦笑いした。
それにしても、私なんかがって、なんでそう思うのか。
そうこうしている間に、約束の時間がきた。
仕事を終えて片付けをしているところ、北条さんが彼女の席に近づき、声をかけた。
やはり苦手というだけあって変にぎこちなく見える。心配ではあるが跡をつけるわけにもいかず、そのまま二人を見送るしかなかった。
「……なあ、圭」
「うお!大澤いたの?」
「面白そうやし、跡つけてみいひん?」
大澤は遠慮がない。そしてでも、たまにいいこと言う。それにのってしまう俺は、どうやら面倒臭い男なのかもしれない。
跡をつけてみると、なんともお洒落なイタリアンレストランに辿り着く。
レストランの特徴としては外の景色が見えるようにと配慮された大きな窓ガラスや、入口や窓ガラスを縁取る壁はレンガ造りだったりと、なんとも感じのいい店だ。俺の行きつけのラーメン屋とは大違いだ。
二人がガラス窓の側の席に着くのをみて、流石北条さん抜かりないな、なんて思った。
レストランの真向かいにあるファミレスに入り、二人を観察出来る席に座る。あくまで俺は大澤に付き添っているだけだ。別に嫉妬とかそういうんじゃない、そう言い聞かせて。
窓の向こう側の更に向こう側。ぎこちないながらも笑顔を見せる星野さんがみえた。どんな会話をしているかなどが分かるわけもなく、ただ遠巻きから見ていることしか出来ない。
そうしてしばらく、何かの会話途中だろう、彼女が立ち上がり頭を下げているのが目に入る。なにかあったのだろう。
「俺が思うに、北条さんに告白されたけど、断ったって感じかいなあ」
「……ふーん、」
事実は分からず、ただもどかしい想いを抱くだけで、跡をつけたことを結局は後悔する羽目になった。なにやってんだろう、俺は。そうして彼女たちが店を出る前に俺たちは解散した。大澤になんで不機嫌なん?なんて言われてしまったのもまた後悔の一つだ。
それから変わらず日々は過ぎ、北条さんも変わらず星野さんに接していたし、俺ともたまに行きつけのラーメン屋に行ったりと、まるで日常は変わらなかった。
少し変わったことがあるとすればあれから彼女が俺と話をするときいつも以上に困った顔をすること。
距離を縮めたくて俺が急に名前で呼びだしたりとか、そういうことで困っている訳ではなく、ただ申し訳なさそうなそんな顔をしている。
ちょっとしたこの違和感が気のせいではないとは思いつつ、もちろん食事の度に気になったし聞きたかったけど、彼女が言ってくれるのを待つことの方がいいなんて、そう思った。
でも、ある日、仕事を終えて、帰るその時。
「………木村くん、」
「ん?」
「ずっと言おうと思ってて、でも言えなくて」
「….うん」
---北条さんと食事に行くことになった日。
あの日告白されたんです。でも私なんかって断ったんです。それからやっぱり木村くんと付き合ってるの、とも聞かれて。
私そのとき、木村くんは関係ないって、私が憧れてるだけで、木村くんはただ優しいだけで、それだけで私によく話しかけてくれるだけです。って言ってしまったんです。
「…ごめんなさい」
大切なあなたがくれたあの時の言葉を未だに信じられなくて、否定してしまったんです。例えそれが直接的じゃなくても。私、私自身を許せなくて、こんな私なんて大嫌い。そう言って唇を強く強く噛んだ。
ばか。彼女の小さな頭の上にぽんと手を置いた。ぽかんとこちらに目を向けて、開いた口が塞がらないようなそんな顔をしている。本当にばかだなこの子。
「正直、小夜が自分自身を嫌いなことなんてどうでもいい。そうじゃなくて、俺と一緒にいるとき小夜はちゃんと楽しかったか、幸せか、それが一番気になるよ。」
俺と一緒にいるとき、その時だけでも彼女が彼女自身を好きでいられる瞬間に変わるのならそれでいいし、それがいい。
「それだけじゃ、一緒に居られない?」
彼女がいつも困った顔をして言うのを真似て言って見た。それを見てか、いつも通りか、やっぱり困った顔をして、でも、泣きそうに鼻を赤くして笑った。
それだけで十分だった。そうして彼女の小さな頭をくしゃくしゃにして目線を合わすように屈んで、見つめて、そして額にキスをした。