汚れ~春の姫~
神様にしか、話せる人いないからね、と、アルは場の少し淀んだ空気にはそぐわぬほどにほわりと微笑んで応じた。
無論、クツヤが神様なわけではない。ただ、アル曰く『神様』の血筋だからこそ、アルの言葉を解するし、聞けるのだろう。聞くことを拒む気など、クツヤには毛頭なかった。
そして、聞いていた雰囲気との明らかなる口振りの違いと言葉回しから察するに、姉妹にすら明かせない『事実』をこの姫は抱えている。
話せるのが自分だけというのなら、それを拒絶するという選択肢はクツヤにはなかった。
そんなクツヤに、アルはまた悲しげに笑う。
「いつだって、神様は優しいや……」
泣きそうだけど、涙の零れない彼女の心境をまだ何も知らないクツヤには到底計ることなどできなかった。
ただ黙って、続く言葉を待った。
続きを話し始めるのに、少し長い沈黙があったのは、気にすまい。
かちゃり、と沈黙を遮るようにクツヤが眼鏡を持ち上げると、それをきっかけにアルはゆったりと口を開いた。
「さっき、神様はわたしたちに『世界の汚れているところを見えないように管理する存在として造った』って感じのこと、言ったよね。それはつまり、『四姫』という存在は『汚れ』をそれぞれに負っているの。わたし以外は、それを知らずに過ごしているけれど」
虚ろな桜色の瞳には何もないが、クツヤにはその目が潤んでいるように見えた。黙って、続く言葉に耳を傾ける。
「わたしたち『四姫』には、それぞれ『人間』が嫌ってしまう部分を植え付けられているの。大まかに四つに分けられている。
姉妹の中で一番上のようなしっかり者のナミお姉ちゃんの『汚れ』は『聡明すぎること』。
物をたくさん知っていることは一見するといいことだけど、なんでもかんでもわかってしまうことに、人は時として苦しみを感じ、狂ってしまうから。
だから心を落ち着かせる『秋』という季節を担当することになった。
次に、夏のお姉ちゃん、ルナはナミお姉ちゃんとは真逆の『無知』。無知、無邪気は汚れがなくていいことのように思えるけれど、実はとても残酷。
わかり合えないことを、人はよく呪うでしょう? それは何も知らないが故のもどかしさがもたらす『汚れ』。だから、ルナの性格はその汚点に目が向かないよう、あんなにも明るいの」
言われると、道理が通っている気がしなくもない。語られなかったが、秋の姫ナミの落ち着いた性格は、聡明さをいい捉え方をしたものなのだろう。
アルは続いて、塔を見上げる。
「冬の……ミアは、『孤独』を背負う子として造られた。もっと言うなら、『感情』の全てを背負っている。
楽しい、嬉しい……人を笑顔にする、前向きな感情もあるけれど、ミアが請け負わされたのは、『負の感情』。簡単に言うなら『嫌悪』や『憎悪』。塔の中で罵詈雑言の数々に晒されている。そのせいで『孤独』晒される。……閉じ籠りたくなるの、わかるよ。
ミアは『嫌われたくない』『嫌われているなら、嫌う部分を治せば』って奔走してるの、きっと。とても悲しい子。
ナミお姉ちゃんとは違う意味で聡明だからね。
でも、自分の辛さに押し潰されて、周りは見えてない。
最後のわたし、わたしに託された業に」
「業って……」
アルの卑下するような言い種に、クツヤは眉根を寄せ、渋面になる。けれどそれにはお構い無しにアルは続けた。
「わたしに与えられたのは、誰も避けられない運命。──『人が出会い、別れる季節であること』
死んだり、消えたり──
春は出会いの季節、なんて言うけれど、隣り合わせで別れの季節なの。あなただって、知っているでしょう?」
こてん、と小首を傾げて問うアルにクツヤはゆったりと頷いた。眼鏡が例によってずれたが、今度は直そうとしない。
最後まで、聞かなければならない。そんな、使命感のような義務感がクツヤを動かさなかった。
それは、アルの言う通り、クツヤが『神』の血筋の者であるからかもしれないが、クツヤは『人間の一人』として、話を聞きたかった。
春とは、アルの瞳と同じ色の花の咲く季節だ。人の目を賑わせ、すぐ儚く散る。散る姿も愛でられるが、散ってしまえば忘れ去られる。
──まるで、出会いと別れという運命をそのまま切り取ったような花ではないか。
「ミアはいい子よ。何も知らないお姉さんたちと違って。あの子も自分が嫌いなのに、向き合おうとしているの。あの子に与えられた『汚れ』──『負の感情』、『孤独』から逃れるために、自分の存在価値を証明しようと、必死なの。わたしはそれを利用してる。
春が来なければ、人は『別れ』を知ることはない。ミアにはこの通り、人を『死なせない』ようにする才能がある。なら、『別れ』をもたらす春なんて、来なくていいわ」
そこまで聞いたところで、クツヤはようやくずり落ちている眼鏡を持ち上げた。
その口が紡ぐ。
「それでは僕の商売あがったりですよ、春の姫」
予想外のクツヤの言葉に、アルは目を丸くした。更に──予想外に抱き寄せられ、アルの桜色は更に見開かれる。
「一人で背負わせてしまったんですね。一人で抱えていたんですね。
けれど、僕は思います。『いらない季節などない』と。
何故なら──」
耳元で囁かれた言葉にアルは目を見開き、ぶわりと涙を流してその場に崩れた。
その背を何度かさすると、クツヤは塔の扉を重々しく開き、その中に入っていった。
「なんであなたは変わらないのかなぁ……」
アルは寂しげに呟いたが、その瞳は少し嬉しそうな光を灯していた。




