ある靴屋
「お初にお目にかかります、春の姫さま」
「あらあら? あなたはだぁれ?」
管理塔の前でミアが出て来ないかと待っていたアルの前に黒髪茶目の、華やいだ四姫たちからすると些かみすぼらしい様相の青年がやたら大きい眼鏡をくいと持ち上げながらやってきた。アルは黒に近い茶髪の髪をさらりと傾げる。
ぽやんとした様子のアルに青年は恭しく礼をとる。
「僕は通りすがりの靴屋です。『外』の看板を見てここに来てみました。夏の姫と秋の姫から、お話は窺っております」
「あらあら! あの立て札に気づく人が本当にいるなんて!」
アルは、何故だかさぞかし可笑しそうに笑った。滑稽な寸劇を鼻であしらうかのような笑い方。──ルナやナミから聞いていたアルの姿とは明らかに違う。
クツヤは不審に思いながらも、くいと眼鏡を持ち上げて、柔らかな声で問いを放つ。
「まるで、誰も来ないと確信していたかのような口振りですね?」
「だって、気づかれないように置いたんですもの」
「ほぉ?」
四姫たちは永遠に続く冬、という状況を打破すべく、あの立て札を置いたはず。それを、わざと人間に気づかれないように置いた? 少なくとも、ナミやルナの言葉に嘘があるようには、クツヤには思えなかった。
しかしこれまた可笑しなことに、アルの言葉にも、嘘があるようには感じられない。
戸惑いながらもクツヤは平静に問う。
「つまり? 貴女はこの冬を終わらせるつもりなどないと?」
「そうだよ。だって、わたし、自分の季節が大嫌いなんだもん」
「……それは、また」
なんということだろうか。
アルは悪戯っぽい笑み──普段姉妹たちの前ではしないような表情を閃かせる。
アルは春の姫。それなのに春が大嫌い。
これははたまた珍妙な事態だ。永遠に続く冬と同じくらい。
──つまりアルは、春なんて来なくていいと思っているのだ。
「おやおや。春の姫が春がお嫌いとは。理由を聞かせていただいても?」
「ふふっ、あなたには話すよ? だってわたし、あなたに会うために、あの立て札を置いたんだからね?」
「……と、言いますと?」
首を傾げるクツヤに、アルは一つの事実を告げる。
「だって、あなたは世界を『造ってしまった』神様の末裔なんだもの」
神。
人間が崇め奉る、あるいは虚像の存在。
アルが語った言葉は、クツヤが信じるにはあまりにも壮大すぎる話だった。
世界を『造ってしまった』神、それは同時に『四姫』を『造ってしまった』存在である。
「これは他のどのお姫さまも知らないお話。春の姫だから、わたしだけに託されたお話なの。
あなたは、春をどんな季節だと思う?」
「新しい靴を買う時期ですね」
アルの問いかけに、クツヤはあまりにも靴屋らしい回答を返す。それが面白かったのか、アルはくつくつと静かに声を抑えながら笑った。
「やっぱり、全然変わらないね」
「え?」
「あ、いやこっちのお話だよ。神様は、いつも一途なんだ。奇遇にもあなたと一緒で最初はしがない靴屋だった。何にでも一所懸命だった。──だからこそ世界を造るなんて途方もないことができた。世界を愛することに一所懸命だったから。だからこんな、『人間にとって素晴らしい世界』が管理されている。
けれどね、こんな『綺麗な世界』のために、神様は自分を犠牲にしちゃった。
子孫は残していたみたいだけどね。でも、神様の犠牲の名残は、残っているでしょう? ──あなたは『悪しき者』と言われて育ったはず」
アルの指摘にクツヤは目を見開く。
「何故それを?」
問うと、アルは桜色の瞳を悲しげに細めた。
「だって、『世界』が綺麗であるためには『歪み』が必要だったんだもの。
わたしたち、『四姫』はその歪みを引き受けるために造られた。神様は『綺麗なだけの世界』を望んだけど、それが叶わなかったから、人間が『綺麗なところだけ見える世界』に造り替えたの。
『四姫』が季節ごとに管理しなければならないのは、それぞれの請け負う『世界』の『汚れたところ』が違うから。季節が変わらないと人間が『別な汚れ』に気づいて世界をたくさん嫌いになっちゃうから。
……神様は優しいから、人間に、世界を好きになってほしかったんだよ。自分なんて、二の次。──だから自分で『汚れ』を全部背負うことにした。それが、あなたが『悪しき者』と呼ばれる理由」
アルは可憐な桜色に似合わぬ虚ろな瞳で続ける。
「自らを『悪しき者』と嫌われるように仕組んだ神様は、わたしたちまで被害が及ばないように、と、わたしたちを世界から匿ってくれた。だから、ここには神様しか来られないし、神様はわたしたちの存在を人間に気づかれないように用心深く根回ししたんだよ? 例えば、字。
わたしたちには『人間』が喋っている言葉はわかる。管理のために必要だから。けれど、人間にはわたしたちの言葉がわからないの。神様はわたしたちが使う言葉や文字を『人間』にわからないように仕組んだの。
……だから、わたしたちが書いた文字を読めるのは、『神様』だけ。
これが、あなたが来るとわたしが確信した理由」
アルの説明は長く、難しいものだった。呑み込みきれたというと嘘になるが、クツヤは、自分が忌み嫌われる理由をあまり気にしていなかったため、アルに続きを促すことにした。
ずり落ちかけた眼鏡を持ち上げ、問う。
「僕のことはわかりました。では、あなたが春が嫌いなのは何故ですか?」