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それからのことは……墨汁をとかしたような墨色の紗がかかったようで……記憶が混濁している。
棺の中、花に埋もれて横たわる聡。
火葬場で体中がかきむしられるようにつらくて立っていられなかったこと。
葬儀にはかつてのクラスメートも参列したはずだが、まるで覚えていない。
将は、外で聡の煙が青空へと帰っていくのをぼんやり眺めていた。
ふいに、柔らかな手が将にさしのべられた気がした。聡の手のような柔らかな感触。
桜の花びらだった。
桜の花びらはふわりふわりと舞い落ちてくる。
強い風が吹いて、花びらが吹雪のように舞い乱れた。
「アキラ……!」
泣き崩れる将に、黒いワンピースを着た香奈が付き添った。
香奈も将に付き合うように泣いていた。
「それからの50年はあっという間だった。俺はもう一度総理になり……すべてを忘れて国のために身をすり減らした。75で若い者にあとをゆずり、大磯に隠居した。俺の跡を妻の香奈が継いだ。香奈は女性初の総理大臣になったが、苦労したのか10年前に亡くなった」
「そうか。お前は頑張ったんだな」
奇妙な服を着た若者は、将を労うようだった。
「頑張った……んだろうか。頑張れたんだろうか」
「頑張ったんだろうさ。さて……わしはそろそろ行くぞ」
目をあげたときには、奇妙な青年はすでにいなくなっていた。
「俺は死んだ。じゃあこの俺は何なのだ」
将は自問自答する。
考えられない。ただ、あの人にもう一度会わなくてはならない。
そんな妄執だけが将の魂を動かしていた。
将は再び長い石段をのぼる。石段はいつしか長い坂になっていた。
いくら登っても疲れないかわりに、いくら登っても終わらない。
もう、あの世界のことはすべて忘れてしまっていた。
ただ、あの人に会いたい。
それだけを胸に抱いて将は登る。
坂の行く末が光っていた。
「あそこへ行けば、あのひとにあえる」
あのとき、君が言ったとおり。
『またね』
君の言葉が。こうして今、本当になったんだね。
本当になったんだね……。
将は、将の魂は、ひたすらその瞬間に向かって昇っていった。
●後書き●最終場面のアップまで随分間隔があいてしまいました。すいません。