2
すいません、今回で終わるかと思ったのですが、終わりませんでした。
ホスピスの最寄り駅に将が降り立ったとき、もうあたりはすっかり暮れていた。
桜の季節だというのに、かなり冷え込む。
駅を出た将は、寒さに肩をすくめた。
指輪を注文しに行くだけのつもりだったが、政党関係者に会談を請われて話し込んでしまった。
将のあとを継いだ総理の支持率がどんどん下がっているという。
やはり進みすぎた二極化を是正すべく、大多数の国民のための改革をやり遂げるには将の絶大なる人気が必要なのだ、復帰は難しいのか、いや、ぜひ復帰してほしい、頼む……と頭を下げられて将は当惑した。
事情はよくわかる。将もその気持ちに応えたいのはやまやまである。
しかし、いまの将には、もっと大事なことがある。
いま向き合わないときっと、一生後悔することがあるのだ……。
すっかり遅くなってしまった、と将は腕時計を見る。9時すぎ。
まだ、起きている時間だろう、と見当をつけてタクシーに乗り込んだ。
かばんに、入っている指輪のデザイン画。
オリジナルでつくらせたそれは、シンプルながらセンスがいい。
聡の華奢な指によく似合うだろう。
早く聡に見せたい。
将の中に覚悟はすっかりできていた。
いくら今は総理ではないとはいえ、元恩師と結婚、となれば世間は大騒ぎになるだろう。
高校生の頃から、一人の女性としてずっと愛していた。恩師としてでなはく……その事実を将は世間に聞かれればあきらかにするつもりだった。
それは真摯な思いではあるけれど、香奈とは離婚し、家族を傷つけるわけだから、バッシングを受けることも覚悟している。
だけど、後戻りはしないつもりだった。
「ありがとう」
タクシーの運転手に礼をいって降りて見上げた将は、水銀灯に照らされた桜の恐ろしいほどの美しさに思わず見とれた。
冷ややかな光に照らされて、逆に薄い色が際立つようだ。
おかげで、聡の部屋に灯りがついていないことに気づくのが遅れた。
――今日はもう眠ってしまったのかな。
受付ロビーの蛍光灯はついているが、カウンターには誰もいない。
しかし、夜は人数も少なくなるので、将はさして気にせず、階段を登った。
起こしたらいけないと、そっとドアをあける。
「アキラ……もう寝てる?」
寝ている聡を起こさないよう、将は暗いままの病室に入った。
カーテン越しに水銀灯が少し透けている。
目が慣れたら静かに寝ている聡がそこにいるはずなのに……ベッドはもぬけの殻だった。
将は、灯りをつけた。
やはり、ベッドには誰もいない。
部屋を間違えてはいない。壁にかかっている絵は聡が好きな海辺の夕陽の絵だ。
ズキン。
体を揺るがすほどの動悸と同時に将は部屋を出た。
「あ、鷹枝さん」
声をかける看護師をなかば無視するように会釈だけし、足早に「そこ」へ向かう。
しかしその看護師の表情を、見てしまった。
もう何も目に入らない。
将はその部屋の扉をあけるやいなや、白い布を取り除けた。
……聡は静かに、眠っているようだった。
しかし、胸の上で組んだ手も、頬も花冷えに染まって、すでにひんやりとしていた。
「19時20分でした……」
呆然と立ち尽くす将に、陽の声が聞こえた。
外のベンチに陽がいたことも、気づいていなかったのだ。
「夕方、急変して……。突然……本当に突然でした」
陽は涙声で、聡の最期を告げた。
あまりにも突然すぎて、感情すら湧いてこない。
将は、聡の傍らに立ち、その顔を見下ろした。
もう生きていないとは信じられない。
朝、たしかに「またね」とその口でいったのだ。
まだ2時間前までは生きていた、その唇――。
「月舘さん」
それが倣いになっているから――将は陽を芸名で呼んだ。
「少しだけ、お母さんと二人にしてくれる?」
陽は涙の染み込んだハンカチを握り締めながらうなづくと、将と聡を二人きりにしてドアを閉めた。
将は、聡の唇にそっと自分の唇を押し当ててみた。
乾いている。そして冷たい。
だけど、将は聡が目が覚めることを心のどこかで期待せずにはおれなかった。
だが、聡はそのまま動くことはなかった。
「アキラ……」
突然旅立って、将を一人きりにしてしまった……。
「明日、二人で花見すんじゃなかったのかよ」
と耳元でささやいてみるにしてみるも、聡は微笑んだような顔のまま、眠りから冷めなかった。
長い時間、将は涙も流さず、聡のなきがらの傍らに立ち、その顔を眺めていた。
年内で完結と予告していたと思いますが、書き足しながら書いてたら終われませんでした。あと1~2回あると思います。
よろしかったらお付き合いくださいませ。