7, 因果マシンガン
少しコメディタイプの話です。
世界には今まで使えていたものが突如、本当に突然に使えなくなることがある。
筆も使っていれば段々と毛先が解れてくるし、機械も駆使していればいつかは壊れる。故にこの世界には壊れない絶対のものなどほとんど無いに等しく、それは人間の身体も同じである。身体の、脳の細胞が死んでいっていつかは動けなくなる。人間は機械のような身体だと比喩することが多いが、実際にその通りだと思う。
壊れない人間など人間に不等号である。
壊れる人間こそ人間に等号である。
なら、彼はどうだろうか。
灰田純一。彼は完全に壊れている。人間らしい部分なんて所詮言語を話す、DNAがそれっぽいくらいの共通点しか見当たらないだろう。
存在自体が暴力のようで、器は人形、心は灰色。
……と、ここまで考えたところで一気に馬鹿らしくなってきた。こんな戯言みたいな思考は私には似合わない。首を振って、もやもやとした頭の中を掻き消した。
今日は正真正銘、何の偽りも無く日曜日であることに語弊は無い。昨日は熱で一日中……と言っても半日だが、灰田があの後私の部屋に来ていたことを親に知られることも無く、ベッドの中で読書をしながら過ごしていた。
そのかいあってか、朝一番で熱を測ると三十六℃台まできっちりと下がっていた。関節を回してみるが、違和感は無い。快調のようだった。
と、私がベッドから出ようとしたときだった。
――ピンポーン。
家のインターホンが無機質な呼び鈴を鳴らす。今日は日曜日であるが、両親は二人とも朝早くから仕事に出かけている。なんともハードワークでお疲れさまであるが、休日も潰す親もそう多くは無いだろう。
「……ったく、朝っぱらから何なのよ……」
ここ一週間はきっと早朝の運が最悪なのだろうと思った。テレビをつけて確認してやろうかと思ったが、とりあえずは玄関に下りることにした。
「はいはい、どちら様〜?」
気だるげに扉を開けた、その瞬間だった。
「先輩っ! おはようございまっす!」
「……」
……誰?
目の前に現れた少女、少女と言っていいだろう彼女は、髪本来の艶を失わない程度に染められた茶髪に、後ろに一つ結びをするストレートポニーテール。服装は随分とラフなワンピースを着てきていた。手には小さなハンドバッグが握られており、今からデートにでも出かけるんじゃないかと思わせる風貌だった。
そしてどうしてか、彼女とはどこかで顔合わせをした記憶がある。先輩、と呼ばれたからには恐らく後輩なのだろうが、『先輩』と私を呼ぶ後輩は第一学年の数と等しいほどにいる。顔合わせをしたことに間違いは無さそうだが、覚えているはずも無かった。
「えぇっと、どちらさま?」
「忘れちゃったんですかぁ? ほらほら、金曜日に購買部でサンドウィッチを分けて貰った貧困民ですよ。因果ですよ因果。原因と結果です」
「……あー」
なんだか靄のかかっていた部分が取れかかってきている。金曜日と言えば、私が灰田と始めて出くわした日であるが、そのきっかけがこの少女ではなかっただろうか。第一印象、五月蝿い。
「あ、思い出してくれました? いやですねー、あたしも自分のことは結構薄々感づいてたんですよ、影薄いって。別に前髪垂らしてるわけでも背後霊背負ってるわけでもないのにあんまり他人から気にされないって悲しいと思いませんかぁ? あ、だからと言って友達少ないわけじゃないんですよこれが。しかも今回は先輩ちゃんとあたしのこと覚えてくれていたみたいだし、万事解決ですよ。因果ですよ因果」
訂正は無い、第一印象は五月蝿いで不動である。
それもまだ彼女は止まらない。朝日と同じく眩しい笑顔を輝かせながら言葉は続く。
「いやね、あたしもこの『因果ですよ因果』って毎回言ってるのも自分でうざいなぁとか思ってるんですけどね、こう、『運命ですよ運命』とかちょーっとばかし乙女チックな台詞ってあたし的にあんまり合わないんですよ。ほら、白馬の王子様とか存在するわけ無いじゃないですかー。ああいや、そりゃあヨーロッパにでも旅立って白馬飼ってる人にプロポーズでもされたなら別の話ですけどねー。やっぱそれも因果じゃないですか」
訂正しよう。五月蝿いとは五月の蝿が特にうるさいことから発足した言葉であるならば、この子を五月蝿いと呼ぶには語弊がある。第一印象はマシンガンに決定した。以前遭遇した時も静かな子ではなかったが、まさかここまで舌が回る子だとは思いもよらなかった。扇風機顔負けである。
「ま、待って貴女。少し落ち着きなさい……。まず、名前を名乗って」
すると、彼女は私の注文が何故か意外だったのか、一瞬呆けてからニコッと笑って答えた。
「白椿菊乃っていうんですよあたし。マジに不吉だと思いません?この名前。椿は首落ちでお見舞いにタブーだし、菊は習慣的に葬式にタブーですよこれ。因果ですよ因果。椿あるところに菊ありって、いやまあこれはあたしが勝手に考えたんですけどね」
「そんな豆知識はどうでもいいんだけれど、結局私の家に何をしに着たのかを教えて頂戴。――あ、その前に何で私の家を知ってるわけ?」
「家ですかぁ? そりゃあの日にストーキン……じゃなかった。お礼を言おうと思ってこっそり付け回してたんですよ」
「貴女、それ訂正する意味が無いわ」
「おぅっと! 失態ですね。いやね、あたしも今巷で流行のケーワイでしたっけ?空気読めない人間にはなりたくなくてですね、先輩が親しげに男性の方と歩いてたもんですから自重させていただいたんですよ」
その言葉に私は顔をしかめた。あの豪雨の放課後、灰田と共に帰宅していたところをこの白椿さんに見られたらしい。どうやら深読みはしていないみたいだが、あまり私としては放っておける事態でもなかった。
放っておける、というのは決して『灰田と共に見られた事』ではない。問題は、
「貴女、あの男のこと知ってる?」
――この点一つに限られる。
「あはは、嫌味ですか先輩? あんなやつのこと、知ってるわけ無いじゃないですか」
「……そう」
知らないらしい。刹那ではあるが、表情に笑みが消えたのは気のせいであろう。というよりも、何か違和感を感じる。
――嫌味? 嫌味って何だろうか。
「というよりも何でそんな質問を? あれって先輩の彼氏じゃないんですかー?」
「あれが彼氏だったら私は今頃棺桶の中よ。貴女も見たならなんとなく感じなかった? 彼、ちょっとおかしいわ」
「いやー、あたし千里眼っていうんですか? そういう因果に関係無いことは全く分からんのですよ。『見る』っていう原因に対して『理解する』っていう結論は結びつきますけど、『判断する』とはまた別物ですからねー。奇跡とか信じない性質ですし、あの灰色の方と面識があるならまだしも遠くから見てるだけで人を判断できたら今頃あたしは聖徳太子ですよー」
「聖徳太子は別に千里眼なんて持ってなかったと思うけど……」
頭が良いのか悪いのか分からない発言を良くする子だと思った。
しかしこの白椿菊乃という少女、果たして『因果』という言葉の意味をしっかり理解しているのか悩ましい。確かに千里眼は因果とは全く関係の無い超能力と称されるような事象であるが、結果的には『千里眼を使えば見える』というしっかりとした因果の元に成り立っているものであったりもする。一見して卑怯な理論に見えないことも無い。
そもそも、因果律、つまり原因と結果の法則は、ある結果の前には必ず原因があるというが、閉鎖性の成されていない因果律など因果と呼ぶにはあまりに不確定要素が多すぎた。彼女の言ったものを例とすれば、『白馬の王子様』が現れた原因は『ヨーロッパでプロポーズを受けたから』ということになるのだろうけれど、それは別に『留学生だったから』とか『過去に馬の飼育場で働いたことがある』なんてアホらしい原因でも構わないし、むしろ言ってしまうならば『偶然』なんていうのも有り得る。
因果なんて格好の良い言葉ではあるが、実際のところあまりにも不安定な基盤なのだ。
「ああ先輩、そんなことよりもですね、今日はお礼に参りましたんですよ」
……と、閑話休題、といったところだろう。白椿さんは私の手を取ってぶんぶんと上下に振る。早朝から元気なことこの上ない。目覚まし時計には少々鬱陶しいくらいだ。
「そうだったわね。で、何かしてくれるの?」
すると彼女は満面の笑みでこう答えた。
「朝マック行きましょう、朝マック!」
「……え?」
元気系と健康優良児は同等ではないことをこの朝知った。