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3, ナクナッチャッタ世界

 その光景を私は見ていた。

 どす黒い血まみれの少女が、怯えて声も出ないか弱い女の子の脊髄を抜き取り、五臓六腑を抉り出し、ついには手探りするように体内に手を巡らせて脳髄を刈取った光景を。

 女の子は精細に作られた彫刻が壊れるような無慈悲な音を立てて崩れ落ちた。血だまりに二人の子供が沈んでいき、倒れた子の眼球が赤く、赤く、赤く……。

 悲鳴は無かった。

 途中会話が少し聞こえただけで、二人とも誰かに助けを求めたりもしなかったし、襲うほうもずっとケタケタ笑っているだけだ。――時折涙を流しながら。

 矛盾している彼女の行為は恐ろしい。笑いながら人を殺し、殺した挙句嘆き悲しんで、悲しんだかと思いきや笑って次の獲物を狩っている。逃げ出すことすら忘れた私が見ただけでも、もう何人もの子供が血だまりに沈んでいったのを確認していた。

 鳩尾の辺りが酷く苦しかった。

 喉の奥からすっぱい味が舌の奥に伝わっている。少しでも気を許したら胃液を逆流させそうな緊張感を私が随時包んでいた。


 ――アレハナンダロウ。


 表現のしようの無い狂気の沙汰。ホラー映画や、グロテスクなゲームはいくつか見たことがあるが、このような血祭りは見たことが無い。

 突如現れて人を驚かすゾンビ。

 宇宙からやってきて、人を惨殺していく恐ろしいエイリアン。

 捕食欲望の赴くままに人を喰らう猛獣。

 自らの快楽のためだけに殺人を犯す人。

 一体どれなんだろうか。内臓は取り出してもそのまま。相手は悲しんでいるから快楽じゃない。侵略が目的でやってきたわけでもないし、驚かすためだけにこれだけのことをするわけもない。

 私の常識から逸脱した凶行の数々。

 これを見てしまった私が罪人か。触れてはいけない世界に触れてしまったのか。

 逃げ出したい。ニゲダシタイ。ニゲダシタニゲダシ……。


 ――炯々(けいけい)とした眼光が私を貫いた。


「ひぃっ!?」


 思わず悲鳴を上げていた。裂帛れっぱくとした声は上がらない。喉の奥に音がつっかえて発声しきれなかった。代わりにがらがらとした肺の中で空気の震える音が口から漏れた。

 悪魔が、化け物が、女の子の皮を被った『何か』がこちらにひたり、ひたりと冷たい足音を立てて近づいてくる。荒唐無稽だったはずの存在がひたり、ひたりと私を狙う。

 左手には血濡れの臓器。右手には血濡れの臓器。左足には捻り潰された残骸。右足には捻り潰された残骸。彼女の口元には、啜った血液が涎と混じって垂れていた。


 ――ねぇ。


 声になっていない問いが私に向けられた。

 頭の中で反芻するように響き渡る。いらないと放り出したくても、彼女の意思が伝わってくる。


 ――どうして殺さなくてはいけないの?


 また、あの世界の悲劇を全て見尽くしたような悲しみの表情。これから当の本人がその惨劇の記録を更新しようとしているというのに、まるで他人事のような呟き。

 ぐちゅぐちゅと音を立てる嗚咽の向こうに彼女の本心があったとしても、私はそれを救うことは出来ない。自己保身で精一杯だ。

 笑みが、笑みが、笑みだけが彼女の表情を支配する。そこには一点の悲しみも苦しみも無い。だが、だからと言って感情が喜というわけではなく、複雑に絡んだ喜怒哀楽が存在していた。まるで人間のように笑い、悲しみ、ふとした時には優しそうな表情を浮かべ、次の瞬間には怒っている。

 今はどうだろうか。笑っている。アハハと愉快な声を漏らして、笑っている。

 アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。


「来ないで……っ!」


 気付いたときには私は拒否と否定の意を込めて、そんな言葉をぶつけていた。威勢を張ったは良いが、ガタガタと震える両手両足は脳からの信号を完全無視する。動けとどれだけ反芻したところで、全部が無為に還る。

 その時、ずいっと女の子が顔を寄せてきた。まるで初めて見る昆虫を観察するような好奇心の眼差し。あまりに近すぎたそれは、眼球が接触するんじゃないかと私に思わせた。相手の黒目に私の怯えた表情が写り、きっと私の瞳には彼女の狂気に歪んだ表情が写っていることだろう。

 私は激しい焦燥に駆られた。

 殺される。殺される。コロサレル。コロサレル。

 誰が私の脳内をこんな汚らしい言葉で支配してしまったのかは知らないが、もしやった人が近くにいたのならば、早急に解除してほしい。こんな、こんな恐怖を味わうくらいだったら全財産をあげても良い。だから、誰か……。

 切なる願いも声に出せなくては意味を持たなかった。いや、声が出たところでこの世界にいる人が私を助けてくれるなどとは思ってはいない。

 だって、彼女と私しかいないのだから。


「ねぇ、どうして私はあなたを殺さなければいけないの?教えてよ、ねぇ」


 優しい手つきで私の頬を撫で、愛しい人を扱うように唇を寄せてくる。血生臭い臭いが鼻につき、思わず身を引きたくなったが、下手に動けばその頬に添えられている手が凶器にも化すことを恐れて縮こまった。


「ねぇ、あなたも知らないの?どうして知らないの?教えてよ、ねぇ」

「し、知らないわよ。だからその手を、その手を離して…お願い……」


 もう問いの内容を理解しようとする余裕すらなく、とにかく私は彼女から離れたい一心でいた。けれども、それは彼女にとって不服を催すものだった。

 突如として彼女の表情が喜怒哀楽で言う喜と哀から怒へと変貌する。

 答えをもらえないことに不条理にも苛立ちを覚える幼児のような、どうしようもなさ。駄々をこね始める子供をあやすのは至難の業だった。


「ち、ち、違う。そうじゃないの。私はただ……」


 そこまでだった。

 狂気の空間はここに生成された。私は被害者。創生者は女の子。

 女の子は私の顔に置いていた頬をゆっくり横にずらすと、耳の穴に指を捻じ込んできた。


「あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!」


 悲鳴とも言えない喉を押しつぶすような声が私の中から発せられた。次の瞬間には喉が潰れ、空気がスースーと虚しい音を立てるだけ。

 女の子の侵略は止まらない。耳奥に捻じ込んだ指は私の頭蓋の中で蠢いて顔面を引き裂こうと腕に力を入れていた。鼓膜はずたずたに引き裂かれて音を感じ取ることはもはや不可。それどころか段々と眼球付近に感覚が押し寄せてくるのを感じて、私は一層大きな悲鳴を上げた。

 目の前で彼女は笑った。

 まるで私の悲鳴を聞いて楽しんでいるかのように、痛みを楽しんでいるように。

 女の子の腕は長かった。耳から侵入した、もう腕とは言えない何かは血みどろの体内を水泳でもしているようにどんどん泳いでいく。

 私の身体は既に動かない。指先一本に力を入れることすら許されず、眼球はもう無かった。どこへ行ってしまったのかと聞かれれば、きっと私の顔に付いているんじゃない?と曖昧な返事をするだろう。

 だってそれがある感覚すら私には無いのだから。

 嗚呼。もう私の中身はなくなってしまったことだろう。五感を全て失ってしまった私にそれを確認する手段は既に無いが、そうなってしまったことこそが一番の証拠になる。

 今彼女の手は私のどこにあるんだろう。心臓かな、肺かな、脳みそかな、子宮かな。

 無くなっちゃった。

 何もかも無くなっちゃった。

 あはは。無い、無い、無い、無い無い無イナイナイナイナイナイナイナイナイ。


 ナクナッチ――。


 ぐしゃり、と音を立てて世界は終わった。


 ――私は殺された。


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