34, 世界破壊
おままごとしか出来ないのは、友達がいないから。
おままごとしか出来ないのは、それ以外の遊びを知らないから。
それ以外の遊びを知らないのは、ずっと一人のままだから。
物語には続きがあった。女の子はただ一人世界に取り残され、寂しく遊んでいたのだが、そのうちその孤独に耐えられなくなっていた。少し別の世界を覗けば、そこには溢れんばかりの人がいるというのに、自分はただ一人。一体何の恨みがあって自分をこのような世界に閉じ込めたのかと、毎日枕を濡らしながら神を呪ったくらいに。女の子は世界の理不尽さに気付き始めていた。
だから、女の子は他の人を招待しようと思った。私自身、その考え自体は否定できない。だが、女の子はホームパーティーの準備をしただけで、招待状など一通も出さなかった。それでは勿論人など集まるわけがない。人と触れ合わない女の子の知能はもはや幼児以下だ。
しかし、そんな日々も長くは続かず、女の子は不特定多数の人に招待状を送りつけた。送った人物がどのような人物かも知らずに、とにかく沢山の人に来てもらおうと思ったのだ。だが、身元も分からない招待状には人々は目もくれず、ゴミ箱の中に全て消え去っていった。
女の子は諦めない。ぞっとするような努力の量をこなし、本を読み、人の世界を知った。そうして彼女は『自分に合いそうな人物だけ』を招待することに決めた。そうすれば無下に断ることもないだろうと予想したのだ。
集まったのは、女の子と同じ、『おままごとしか遊びを知らない人たち』だった。招待状には「一緒におままごとをしましょう」とだけ書いた。それだけの文で人が集まるとは思えないが、物語ではかなりの人数が集まったようだった。
「でも馬鹿だと思わない? 結局その面子でおままごとをして遊んだの。何のために人を呼んだのか、全部忘れてしまってるのよ、その子は」
心底馬鹿にしたような口調で後ろを歩く灰田に言う。依然として灰田は死んだ魚のような目をしている。先ほど宿った子どものような瞳の輝きも瞬く間ということか。名残惜しくも無いが、囚人を引導しているようで気分は良くない。
勝手に言うと良い、と灰田が口から言葉を零した。もうダメなのだろうか。力なくぶら下がる装飾の腕は何も掴もうとなどしていない。雨と一緒に排水溝に流れ落ちてしまいそうだった。
「立場逆転……どころの騒ぎじゃないわよ、もう。どうしたの? 確かにあんたの世界は不安定な形で、それもあんたの望まない形で出来上がってしまったけど、それでもそんなに落胆することは無いんじゃない?」
「むしろ僕としては、その世界に巻き込まれた君がそれだけ冷静でいられることが驚きだよ。さすが選ばれた異端ということかな」
「別に私は巻き込まれたとか思っちゃいないわ。どうせ夢でしょ、とかそんな風にしか思ってないもの」
「楽観的なのか聡明なのか……」
「優等生だもの。常に冷静にならなきゃやってられないわ」
実際は口だけだ。これは夢でもなんでもないだろう。先ほど窓ガラスを素手で割ったときの痛みは夢にしては痛すぎる。忘れていたが、手の甲からは血が滴り落ちているようだ。雨の上に落ちて路上にふやけた模様を作り出していた。
雨が冷たい。これ以上歩いても何にもならないと判断し、長い校庭の半ば辺りまで来たところで私は立ち止まる。ちょうどここならば、校舎の中から傍観している黒住にも良く見えるだろう。
「……さてと、天才と優等生の話だったかしら。あんた、何か言いたいことはある?」
私はそう灰田に催促した。灰田の考えていることなど手に取るように分かるが、あえて一応聴いておくことにする。
「僕は……この世界を作ったことを後悔はしていない。完成形とは程遠くとも、それはまた集めなおせれば良い話だ。けれど、君が僕らと違ったということがあまりにも衝撃が大きかった。僕が落ち込んでいる理由はただ一つ、それだけだ」
「ふうん。何、私に惚れでもしたの?」
そう微笑を浮かして冗談めかして言ってみる。
「そこまで固執していた、という意味合いで言えば間違ってはいないだろうね。僕とまともに会話できたのは君が始めてだ。他の人は全て一言二言交わして異端へ還って行った。僕との会話で自分の何もかもを失い、破壊され、自分が異端だと認識することが出来た。しかし、君はいつまでたっても『自分を見失いはしなかった』」
それが灰田純一の『自己崩壊』の手口。白椿が殺し、黒住が破壊するという能動的なものに対しての唯一相手に対して受動、いや自動的なものとして相手を壊したセルフディストラクション。
唯一、彼らの中で『待っていること』を選んだ人間の手口だった。
「多くの異端を扉の中へと招き入れたつもりだったんだ。でも、ふと辺りを見回すと誰もいない。最初はどうしてか分からなかったが、きっと自分と同じものではないのだと思った。だから、君を見つけたときは飛び跳ねて喜んだものだよ。それでこんな結末とは……残念すぎる」
語る表情は懐かしいものを見る目のよう。もしくは、自分の死を悟って走馬灯に身を任せて何かを待つ者のよう。憂鬱、というものだろうか。
「私は……私は残念だけれどもそういう風に思われても迷惑にしか思わないわ。大体私の平穏な日常をぶち壊してくれたのはあんただしね。むしろ腹立たしいわ」
「そうかい……。でも、君と僕の、何が違うんだ?」
灰田はそう問うた。その問いは間違いじゃない。正しく、清い質問だ。単純な疑問。彼の得意な理論なんて何も存在しない。
天才と、優等生の違いとは何だったのだろうか。何故、私は灰田とここまで関りあいを持ってきて、今更あんたとは違う、などと口に出来たのだろうか。
事実、私はつい一ヶ月前までは灰田の自己崩壊の餌食となっていた。
森野医院での一件。虫嫌いな私は虫を踏み潰してしまった。記憶に薄いが、熱中症で倒れたわけではなかったことは確かなのだ。勿論虫嫌いな私がそんな気味の悪いことを成し遂げられるわけが無い。言えば、あの時は『壊されていた』のだろう。わけのわからないことも口走っていたかもしれない。
灰田は会うたびに私に問いを投げかけ、ある種の比喩で何かを伝えようとし、全てはぐらかしてきた。
織田、豊臣、徳川の図。白椿、黒住、灰田の図。誰が強かったとか、誰が弱かったとか、そういう問題ではなかったのだ。彼は単純に、『自分が待ちに徹していた人間』だということを伝えたかったのだろう。いや、加えて他の二人の立場をも説明していた。
また、彼は問うた。
世界と神はどちらが先に生まれたのだろうかと。今考えれば、あれは灰田自身の立場と、その存在について誰かに問いたかったのだろうと私は思う。そして、これこそが全てだった。
神が先か、世界が先か。そんなことは全世界の生物という生物の最もあとに生まれたとされる人間には創造も付かないことだ。だから私のあの時の問いの答えは『分からない』が正解だった。事実それは灰田にも分からないことだろう。
だが、それでも言えることがあるのだ。
神がこの世界に生を受けたわけ。何故、神が生まれたのか。
――世界が、寂しいから、神が生まれた。
そしてその神が、寂しいから、生物が生まれた。
灰田純一はその生まれた神の一人だった。彼の望んだ世界は、自分が寂しくない世界にも関らず、生み出すことを最初から考えず、誰かを他の世界から招くことだったのだ。
物語の女の子のように、自分とともに無意味なおままごとをしてくれる無機質な友達ばかりを望んでいたのだ。
天才は世界を作ることが出来た。だが、天才がゆえに、世界を作ることしか灰田純一には与えられなかったのだ。数式を編み出す、解く事において天才がいたとしても、その人物が日本の古語や石版に記された謎の言語の解明の天才には成れないように、世界を作り出すことという偉業を成し遂げることが出来た灰田には、他人と関りあうことへの才能が一切無かったのだ。
だから、「こわれたにんげんの、こわれたせかい」だったのだ。
そして、対する私は、そんな天才からはかけ離れた世界にいた。どこの誰が生み出した世界かは知らない。だが、平穏で、日常で、何も無くて、全てが揃っていた世界だった。
喜びも悲しみも、死も生も、普遍も狂気も存在した。
そしてそんな中で私は異端だった。何がどう異端なのか分からないほどに異端だった。
私には喜ぶことも悲しむことも出来た。死ぬことも生きることも左右するほどの力があった。日常を過ごすことも狂気の世界に住み込むことも自由だった。ただ一つ、世界など作れなどしないということを除いて、何もかもが出来た。
レールの上を走ることが出来たし、レールを作ることも出来た。ゆえに道は多数あり、そうして枝分かれした道を作ったからこそ、私には『寂しい』という感情は一切芽生えなかった。
私は、世界を作ることが出来ない代わりに、『扉』を作ることが出来たのだ。他人との架け橋、塞ぎこんだ世界の解放。そうして、私は優等生を名乗っていった。
「あんたが世界で、私が扉。そこまで差は開いていたのよ」
いまや世界は黙りこくっていた。灰色の雨を降らすのみで、それ以外が死んでいた。灰田は濡れた髪を払おうともせず、そうか、と小さく呟いてうつむいたままだった。
「一つ言わせてもらえば、あんたは神になんか向いてないわ。さっさと止めて人間にでもなっちゃいなさい」
「――は?」
いつか私が灰田の言葉に大口を開けたように、灰田もそうして珍しいものでも見るかのような目で私を見た。
「だからあんたには神なんて向いてないの。全知全能であらせられる神が、寂しいとかそんな下らない理由で、世界一つ作ってんじゃないわよってこと」
「馬鹿にしているのか君は?」
「馬鹿にしている? そうじゃなくて馬鹿でしょ、あんた。天才と馬鹿は紙一重……変態だったかしら。まあ、どちらにせよ同じね。おままごとで遊んでる青年なんて変態そのものじゃない」
「君って人は……一体何をしにきたんだ」
怒りをあらわにして灰田が吐く。何をしにきたと言われても、灰田に呼ばれたからとしか返しようが無い。
……というのは嘘だ。言い訳だ。ここまで来たら、意思に従うしかない。
私は黒住から譲り受けた鉄塊を胸の高さまで上げて、弾が装填されているかを確認する。残弾は一発のみだった。安全装置を下げ、その女子の腕には負担が大きい重さを灰田のほうに向けた。
「……僕を、殺しに来た、ということかい?」
怖れている様子は微塵も無かった。覚悟を決めた、ということだろう。
「殺しても良い、とは思ってるわ。私が元の世界に帰れるならね」
「保障は無いよ。少なくとも、この世界からは出られるだろうけど。異次元の話なんて所詮人の形をしている僕には予想も付かないことさ」
「ま、だろうと思ったわ。だから、ここであんたに選択肢を与えることにした」
雨脚が弱くなった。ポツポツと、誰かの涙のように私の頬に雨粒が落ちる。灰色の空は段々と青色を取り戻しつつある。日差しはまだでない。
「ここで死ぬか、扉をくぐるか。この二択よ」
引き金を絞る。逃げはしないだろうが、私は灰田に選択を迫るために、そうせざるを得ない。
「扉をくぐるというのは、どういう未来の話だい」
ふん、と私は鼻を鳴らす。口元を吊り上げて、精一杯いやらしく答える。
「あんたみたいな寂しい子のために、私が特別に招待状を送ってやるって言ってるのよ。普遍的で、残酷で、とても楽しい世界へのね。勿論条件があって、あんたはきっと神を止めなきゃいけないわ。人間の世界に神なんて場違いな生物いらないもの」
灰田は黙る。頭の中の細胞という細胞をフル活動させてさぞかし悩んでいることだろう。そのさまがやけに面白くて、私は不意に笑みを漏らしてしまった。
それに釣られたのか、灰田も似合わない笑みを浮かべて言った。
「どうすれば、神を止められるんだろうか……?」
「それはあんたの仕事でしょう? 『自己崩壊』さん?」
「そうか……そうだね。これは僕の仕事だ。君に頼むべきことじゃなかったね」
「ええ。でも、馬鹿なあんたのために、私も少しだけ手伝ってやることにしたわ。一応あんたに了承を取っておきたいのだけれど、良い?」
灰田は静かに頷いた。私もそれに返すように頷く。
空から日差しが覗いた。雨に濡れた路地が光を反射して輝く。とても眩しい。私は思わず目を背けて、手で影を作った。灰田の姿が見える。だらしのない、びしょびしょに濡れた服で立っている。その背後には扉があった。
握ったものに力を込める。
「私があんたの世界に生まれて、黒住や、白椿さん、それにあんたみたいな変な名前をつけられるのだとしたら、こう呼ばれていたかもしれないわね」
灰色の空を切裂くように、銃弾が飛び出す。
「『世界破壊』。とかね」
世界に亀裂が入る。灰色の空はどんどん青空へと変わっていく。
ここまで長かった。孤独に飢え死ぬ神との世界へ架け橋をかけることが、これほどまでに難しいことだとは思わなかった。それをなしえたのも、私が優等生だからだろう。私の後ろに、一つ、世界が出来上がる。
まとめて全員に招待状を送ってやる。狂った世界も狂った人間も、白椿家も黒住家も。そうしてまた一つ、私たちの世界は面白くなっていくのかもしれない。
灰田がこちらに歩み寄ってくる。相変わらずの綺麗な顔に、紅葉模様が一つ。滑稽な光景だった。
「君に、聞きたいことがあったんだ」
「何? スリーサイズなんて教えてやんないわよ」
「安心してくれ。そんなもの後から何度でも調べてやるさ」
「変態ね……。で、何?」
彼は手を差し出した。私は、それを握った。それで世界は繋がった。
「――君の名前を、聞かせてくれないか?」