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19, 着信バイブ

 自分の家庭が共働きしている状況にこれほど感謝したことは今までかつて無かったし、恐らくこれからも無いだろうと思う。私は泣き崩れて倒れてしまった白椿さんを家に連れ込んで看病していた。移動中何度か携帯電話が着信音を上げたが、白椿さんを抱えている状態で出れるわけも無く無視を決め込んだ。履歴を見てみてが、知らない番号だったのでかけ直すのも面倒になりそのまま放置している。

 あの酷く取り乱した様子の白椿さんを思い出す。


『あたしを、助けて!』


 あれは懇願であったに違いない。自分がなしえなかったことを、なんとしてでも私にやって欲しいという優先順位第一位の願いであった。私を頼ってくるだろうということは予想がついていたが、白椿さんの話と状態は私の予想の斜め上を行った。

 どこかの宗家に使える三つの傘下の家。分家とは違うらしいが、まさかそんな昔の日本でもあるまいし、家系どうのこうのでもめている状況が現代にあるとは思わなかった。しかも、だ。その中でも異端の中の異端を走るだろうその仕来り。白椿家は三つの家の中で『浄化』の役目を負っているのだと言った。その『浄化』とやらが一体何なのか、何の意味があるのかは全く掴めないが概要からして最悪の結末にたどり着いたことだけは確かなようだった。

 人を真っ白に染めることによる浄化、つまり真っ白とは全てを『白』に戻す、殺すということだ。人間は霊じゃないのだから、完全にその理論は破綻していると思う。どんな理由があるにせよ、昨晩のような大量殺戮を犯して良い理由になんてならない。恐らくその境が見えなくなるほどに追い詰められたのだろうと推測する。

 そしてその状況が、現在最悪だということが白椿さんの状態から容易に察すれる。まさかそんな状態で私に嘘をつけるほどの余裕があったとも思えないが、最初の不気味な様子は嘘をつくためのものではなかったのだろう。思い出してみれば、彼女がこの世のものとは思えない奇怪な言動を取っていたことが分かった。

 私は思考する。これから自分は何をすればいいのだろうかと。その殺人鬼と合って、白椿さんを巻き込まないように説得でもしろというのだろうか。


「……そんなの無理に決まってるじゃない……」


 殺人鬼とやり合えるほどに人生は捨てていない。とは言え、これは常識からは大分逸脱しているが彼女の家庭環境の問題に他ならないのだ。教育委員会でも動いてくれれば全ては丸く片付くのかもしれないが、恐らく惨殺されてしまうのがオチだろう。必要なのは自衛隊かもしれなかった。

 兎にも角にも、家庭問題は家庭で話し合わなければ何ら意味をもたらさない。彼女に纏わり着く因果の鎖を断ち切るには、その源に近づかなければならないのは避けようの無い現実だ。

 ――一人では、無理だ。

 ならば二人ならば出来るのだろうかという話になるが、それも人による。誰か、相手を上手く言いくるめられる人間が必要だ。いや、いっそのこと警察に白椿さんを突き出して、両親の情報を一から百まで喋らせてしまうのも手かもしれない。だがそれだと白椿さんの身が危ない可能性がある。


「…………あ」


 可能性を見出した。不本意ではあるが、この人物ならば……。


 ――ヴーン、ヴーン。


 突如、携帯電話が鳴り響いた。鳴ったと言ってもバイブレーターだが、私はそれを手に取って着信を確認する。先ほどと同じ、誰とも知らぬ電話番号だった。私は息を飲んでそれに出る。


「……はい」

『…………』


 相手は黙っている。いたずら電話かと思い、一度耳を離した瞬間に、声が聞こえてきた。


『成田空港入り口で待ってるよ』

「っ!?」


 その声に過敏に反応した私は、何か言い返そうと思って言葉を捜したが、その数秒の間に電話を切られていた。

 今の声は聞き覚えがある。無いはずが無い。

 灰田純一、彼に違いない。私は苛立ちから携帯電話をベッドに叩きつけ、先ほどの言葉を反芻する。

 

「成田空港……? 何で成田空港なのよ……」


 掴めない男ではあったが、まさか場所の指定まで予想だにしないところを突いてくるとはもはや掬えない水どころか空気である。意図が読めない読めるの以前の問題で、読もうとする意思すら許されないような門前払いだ。

 時計を見る。現在時刻は四時少し前。白椿さんが眠ってしまったのはもう大分前の話なので、時が悪いとそろそろ起きてしまう頃だろう。このまま放っておくのも後ろ指を刺されそうだが、彼女を灰田の前に連れて行くのはあまりに気が引ける。私は急いでペンと適当なノートから紙を一枚破って書置きを残す。

 

「ったく、こっちは風邪気味で辛いって言うのに、次から次へと面倒な……」


 念のために医院で貰ってきた吐き気止めの薬を喉に流し込み、上着を手に取る。

 

「お願いだから、もう少し眠っててね」





―――




 銀色の髪の男は、成田空港の滑走路で風にその長い髪をたなびかせていた。何処から見ても美しいという形容詞が良く似合う。男は滑走路のステーション側から中心にいる黒い男を見ていた。この日を待ちわびていたように、宗教人が黙祷するようにその男はただ佇んでいる。

 銀色の彼は先ほど舞台に必要な最後の連絡を済ませ、時を待っている。昨晩の大量殺人事件は彼にとっても不幸で、それでいてタイミングの良いものだった。物事は須らく早急に済ませたほうが後味が良い。そう考える彼にとって、先ほどの電話もある意味では嫌がらせに近いものがあったかもしれない。

 彼はこの景色を以前に見たことがあった。何年前の話だったかは思い出せなかったが、同じように黒い服を着た人間が、殺人鬼を全便欠航された空港の滑走路で待っていた。以前と同じ、本当に同じならば、これからここで『本物の劇』が始まるだろう。醜く、無意味で、無価値で、それでいて彼らにとってはとても重要な劇が始まる。銀色の彼は傍観者だった。いや、観客というのが最も適した言葉なのだろうが、彼はそれを見ようとも思っていない。ある派閥とある派閥が争いあったとき、それに関連する第三者は無関係だ。そんなものに首を突っ込もうとするのはよほどの偽善者か、優等生だけ。

 しかし、舞台を用意した監督にとって劇を中断させられるのは非常に思わしくない。だから銀色の彼は異分子を取り除くために連絡をした。邪魔者はいらない。彼らは彼らで問題を片付けるべきだと彼は判断する。そして、同時に銀色の彼にも劇が待ち受けているのだろうと、彼は思っている。

 誰かが泥水を飲んでいる頃、誰かが蜂蜜を食べている。決して間違いではないと思うが、それは極論だ。一般論には程遠い。

 誰かが泥水を飲んでいる頃、誰かが次の泥水を用意する。それが人間の循環の仕組みであり、これこそが真理だと彼は思っている。穢れ役ではあるが、銀色の彼は後者を全うしようと考えていた。

 ここで劇を繰り広げる役者が泥水を飲んでいる頃、自分は次の舞台を整える。


「……くくっ」


 思わず口から嘲笑が漏れる。我ながら良い表現だと酔っていた。

 泥水を飲む側は勿論泥水を飲む。ここで、後者が蜂蜜を食べる人間ならそこで終わりだ。だが後者が泥水を用意する人間なら、『泥水を用意する側が泥水を飲まない』という理論は成立しない。上に立つ人間には責任がある。下っ端の犯した罪を擦り付けられなければならない。だが、その場合罪を犯した下っ端に罰を与えるのは被害者ではなく自分。そうして人間は循環していく。

 

「結局それじゃあ、終わりなんてこないんじゃないか」


 しかし、異分子がそこに紛れ込んだとしたらどうだろうか。

 例えば、『泥水を綺麗にしてくれる人間』がいたらどうだろうか。循環は変わらないかもしれない。だが、下にいる人間は少なくとも幸せになれるだろう。

 ――そんなことを許す、泥水を用意する人間がいるだろうか。

 有り得なかった。穢れと辛さと苦しさを提供する側が下っ端に休息を与えるはずが無い。だから銀色の彼は、叱咤されぬように用意を整える。恐らくは劇中で最も余裕があるのは自分だろうから。

 安寧を司る人間が、安寧な世界に住んでいるとは限らないのだ。


「本当に苦労人だよ、僕らは……」


 春先なのに風が冷たかった。それに銀色の男は顔を渋らせ、ゆっくりとその場から足を動かした。

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