voice
「チョコ渡すよ!」
2月3週目金曜日の朝。
まだまだ寒い通学路を歩きながら私は言う。
友達のアキちゃんとユイちゃんは呆れたように薄ら笑いを浮かべながら私の肩を叩いた。
「「マキには無理でしょ」」
「渡せるよ!」
こんな風に言われるのも理不尽ではない理由がある。
何故って去年と一昨年渡し損ねた前科があるからだ。
口では反論しつつも内心は「確かにそうだよね」なんて諦めもしてる。
ダメだなあ、私。
私たちも高校3年生。
もう自由登校に入って卒業式までに登校する回数は2回になってしまった。
私が片思いし続けた佐山くんと会えるのも数回だ。
春からはお互い違う大学で違う道を歩くことになる。
だからこそ伝えなくちゃいけないんだ。
私の思いを。想いを。気持ちを。
ポケットにあるチョコと手紙を入れた包みをぎゅっと握った。
「マキはあと一歩踏み出すだけでいいんだからもうちょっと力を抜こうよ」
「そうそう! 今日の為に長かった髪をバッサリ切る勇気はあるのになんでチョコ渡せないかなー」
「それとこれとは違うじゃん! 佐山君の前に行くとさ、あの、ほら。こう……頭が真っ白になっちゃうの!」
「乙女か。うっざ」
「傷つくなあ!」
髪をバッサリと切ったのは人生で5番目以内に入る決断だったと思う。
けど、それとこれとはやっぱり違うよ。
髪を切ってもらうのは人にやってもらうけど、チョコを渡すのは自分でしなきゃなんだ。
目の前にいるだけで心臓が鼓動を激しくするのにそこからチョコを渡すなんて……。
考えただけで顔が真っ赤になっちゃう。
それに恥ずかしいだけじゃなくて怖がってる自分もいる。
チョコを渡して、手紙を読まれて、その後に拒絶されたらどうしよう。
卒業式にどんな顔で会えばいいの?
その後買い物なんかしてて偶然遭遇しちゃったときにどうしたらいいの?
起こるかどうかも分からない『もしかして』は私の決意を鈍らせていった。
「じゃあ聞くけど、このまま伝えられずに終わるのと、伝えて玉砕するのとじゃどっちがいい?」
「そりゃあ伝えて玉砕する方だけど……。って玉砕するって決めつけないでよ!?」
「そんな半端な気持ちで伝えても玉砕するよ」
ツン、とアキちゃんの冷たい人差し指が私の広いおでこを押す。
後ろによろけると同時に額に冷たい感触だけが残った。
冷えた部分が元に戻っていくに連れて僅かな痛みが襲う。
それはまるで言葉の弾丸で撃ち抜かれたようだった。
「マキは可愛いんだから、『よしっ、行ける!』って気持ちで行けば大丈夫だろ」
「そう……かなあ?」
「ユイ様の言葉が信じられないってかー!」
「いやいや、信じてるけど! 信じられないのは自分って言うか……」
指を合わせながらもじもじしている私を見て二人はため息を吐く。
この二人には本当にごめんなさいとしか言えないなあ……。
笑えない。
「マキ。最後にもう一回言っとくぞ」
いつになく真面目なトーンでの言葉だった。
その表情にもいつものような呆れた笑顔の色はない。
低く、重たい言葉でアキちゃんは続ける。
「渡せよ、絶対だからな」
私にはどうしてこんな強い言葉でアキちゃんが言うのかわからなかった。
いつもなら笑いながら言うような言葉をどうして。
そう聞こうと口を開こうとする私の口をアキちゃんは指で閉じる。
「渡せなかったら後悔するから。じゃあ私先に行くね」
最後に意味深な笑顔を浮かべてアキちゃんは通学路を走り去って行った。
残された私とユイちゃんは顔を見合わせて頭の上に疑問符を浮かべる。
「まあ、私もアキちゃんに賛成だなあ。マキには後悔してほしくないし」
「ユイちゃんまで」
「後悔だけはしないでね。するにもせめて渡したあとでの後悔で」
ユイちゃんも早足に切り替えて通学路を去っていく。
その背中はどこか辛そうにも見えた。
気のせい……だろうか。
「最後のチャンスだし……渡そう。怖いだなんて言ってられないよね」
最後の決意をして今はもうない髪を手で払う。
冬の冷たい空気だけが手に当たって今はそこにない髪が恋しくなった。
だけどもう後悔しても遅い。
行動に移したら最後。振り返ることは出来ないんだから。
あっという間に全日程が終わって放課後。
声のしなくなった校舎で私は佐山くんの背中を追っていた。
傍から見たら完全にストーカーだと思う。
なんでこんなことになってるのかなあ!?
さっさと渡せばいいのにどうしてこんなことに……。
一歩が踏み込めない、とはアキちゃんも上手いこと言ったものだ。
どうしようどうしよう。
テンパったままの頭が真っ白になって何も考えられなくなる。
手に持った包みの重さだけが私を現実に戻してくれた。
校舎の静寂が私の鼓動の音を余計に大きくさせる。
もしかしたら佐山君にも聞こえてるかも。
そんなどこかのラブソングの歌詞みたいなことを考えてしまう。
「うわああどうしようどうしようどうしよう……。声かけられないよ……」
「何してんだお前?」
「ひゃああ!?」
いつも間にか目の間に来ていた佐山君の声で驚いてトンデモない声を上げてしまった。
佐山君も驚いている。
「急に大声出すなよ」
こんなことをしても呆れることなく小さな笑顔だけで済ませてくれる。
後ろを付けていた私にも気兼ねなく話しかけてくれた。
私なんかのことに気が付いてくれた。
そんな些細なことどころか、思い込みにも近いことだけですごく満たされた気がする。
単純だなあ、と自分のことながら笑ってしまう。
「なに笑ってんだよ。こんな時間まで残ってどうした?」
「え、いやその……」
手に持っていたチョコを体の後ろに隠す。
視線も逸らしちゃったせいでまた怪しさが増してる。
落ち着いて落ち着いて……。
心臓の鼓動はまだ早さを増していた。
「あれ、もしかしてバレンタインのチョコ?」
胸を撃ち抜かれた気がした。
心臓が爆発して血が溢れ出したのかと勘違いしたほどだ。
絶対顔も真っ赤になってる。
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!!
「そ、そ、そんなわけないじゃん!」
「わかってるよ。冗談に決まってんだろ」
意地の悪そうな笑顔が可愛らしくて目が合わせられない。
可愛い、だなんて思ってしまった自分はどうかしてる。
そんなことを考えてるからまた鼓動が早くなってしまうのに。
「寒いんだし早く帰れよ! 風邪引くぞ」
「う、うん……。そうだね」
たった一言。たった一言だけ「チョコを受け取ってください」とだけ言えばいいのにどうしてそれが口にできないんだろう。
そこまで行けばあとは突っ走るだけなのに。
初めの一歩が、踏めない。
「じゃあ俺人待たせてるから行くわ。じゃあな」
行ってしまう。
止めなくちゃいけないのに。
喉から声が出ない。
どうして、どうして出ないの。
この三年間の全てがここで終わってしまう。
手作りしたチョコも、三日も考えた手紙も読まれずに。
だから、声を……!
「あ、あの……!」
「そうそう!」
背中を向けて歩きはじめていた足が急に止まった。
クルっと綺麗なターンを描いて私の方を振り返る。
またさっきのような笑顔を浮かべて佐山君は言う。
「ねえ、髪切った?」
ズルいよ……。
そんなこと言われたら何も言えなくなっちゃう。
私のこと見ててくれたんだ。
クラスメイトの1人に過ぎない私のことを。
嬉しさの余り涙があふれ出しそうになるけど堪える。
ここで泣いたら佐山君に迷惑を掛けちゃうから。
「うん……切ったよ」
「やっぱり! なんかイメージ変わったな~と思ったんだよなあ。それだけ! じゃあね!」
佐山君は再びターンをして廊下の向こうへと走り去って行った。
その後ろ姿が遠のいていくに連れて目に貯まる涙も増えていく。
佐山君が消える頃には涙が零れていた。
手に持っていた包みが濡れていく。
「あっ、包みが。……もういいか、関係ないや」
丁寧に2度もやり直した包装を乱雑に破いた。
中に入っていた手紙も破いてゴミ箱に捨てる。
何を書いていたかなんてもう覚えてない。
チョコを一粒口に入れる。
少しの甘味の後に苦みが口の中を覆っていく。
どこで砂糖が少なかったのかなあ、なんて活かすこともないだろう反省をしたりして。
「こんな苦いの渡さなくて良かった……。渡せなくて良かった……本当に」
そう思ってるのに。
渡さなくて良かったと胸を撫で下ろしてるのに。
どうして涙が止まらないの。
「うっ……ううっ……うぐ……」
チョコを1粒ずつ口に入れていく。
噛みしめる度に苦い味が口の中を襲う。
その中でたまに感じる甘味が佐山くんを思い出させて少し辛い。
いや、かなり辛い。
「惨めだなあ……。アキちゃんとユイちゃんになんて言おう……」
私の3年間も続いた片思いの最後は苦いまま終わろうとしている。
苦い、苦い、けど甘いこともあった3年間だった。
片思いで、よかった。
本当に……。
「いいわけ……ないじゃんかあ……」
冷たい校舎の中で私の嗚咽だけが響いていた。
卒業式の前日。
今日は予行練習が行われる。
もちろん三年生は全員登校する日だ。
久しぶりに会う友達と語り合う者。
緊張でぎこちない動きをしている者。
なにをしていいかもわからず外を見ている者。
その中に佐山君はいなかった。
こんな日に遅刻をするなんて佐山君らしいなあ。
なんて思っていたときに教室のドアが開かれた。
見間違える訳もない。
佐山君だった。
いや、佐山君と同じクラスの女の子だった。
カップルのように仲良く腕を組みながら照れた表情を浮かべている。
クラスのみんなも冷やかしに騒いでいた。
頭の中が、真っ白になった。
何が起こっているのかわからない。
佐山君が? 女の子と? 腕を組んで?
え、どういうこと……?
佐山君は私じゃない女の子と一緒だった。
バレンタインの時に待ち合わせてた人って……?
頭の中で色々なことが繋がった気がした。
頭の中で反芻されるのはあのときのアキちゃんの言葉。
――――「渡せなかったら後悔するから」
「はは……はは……」
本当に最後まで苦いなあ。
とことん私のチョコと同じだ。
最後まで苦い。
もう、嫌だなあ。