鬼の来訪
私のご主人もといマスターが経営する店はいわゆるカフェバーというやつで、昼間は喫茶店、夜はバーを営んでいる。
店の外観も内装も他のそれと大差ないのだが、いかんせん働いている連中と訪れる客が皆珍妙なのだ。
大半の客はいわゆる“妖怪”というやつで、普通の人間が来ることはほとんどない。
妖怪ってのは案外人間達のいる世界にも存在しているらしい。ご主人に使えてから知ったことだが、これには少し驚いた。
人間界にひっそり暮らす妖怪達には、それ相応のストレスが溜まっているらしい。まあ、何となく理解はできなくもない。
そういった妖怪達の拠り所としてこの店があるのだそうだ。マスター曰く。
ゆえに、店を訪れる客が温厚な奴らばかりとは限らない。
* * *
その日も店はいつものように開店していた。
今は昼間なので喫茶店のメニューを出している。
カウンターではマスターが女性客相手に談笑し、奥の狭いキッチンでは男性従業員のカムイが客の料理を作っている。
いくつかあるテーブル席では女性従業員のユリアが客のオーダーを取り、私はと言うといつもの指定席であるカウンターテーブルの隅でくつろいでいた。
ああ、今日も平和だなあ……。
そんな事を呑気に思っていたその時だった。
ドカァン!
突然、けたたましい音と共に店のドアが開け放たれた。というか壊された。備え付けられたドアベルはもはや機能していない。
な、何だ何だ……?
私含む店にいた全員がドアの方に目を向ける。
そこにいたのは、何ともでかい図体の妖怪だった。
二メートルはあるであろう屈強な体躯に真っ赤なごつい肌。上半身は裸で、もじゃもじゃの髪からは二つの鋭い角が伺える。
そいつは私の知る限り“鬼”と呼ばれる種類の妖怪であった。てかどう見ても鬼だろう。
その鬼がやたらとうるさい声で言葉を発する。
「おい! この店にか──」
と、私が聞き取れたのはここまでだった。
なぜなら、キッチンから物凄い速さで飛んできたフライパンが鬼の顔面に直撃し、ゴスッだかバコッだかよく分からない鈍い音と共に鬼が店の外へと勢いよく吹っ飛んで行ったからである。
見なくても誰がやったのかは分かる。店にいる奴でこんな芸当ができるのはただ一人だ。
それでも一応、私は後ろを振り返ってみる。
案の定、そこにはいつの間にかキッチンから出てきたカムイが、仁王立ちで右手を突き出した状態で静止していた。
そして、左手に持っていた、うちの店の人気商品であるオムライスの乗った皿をカウンターテーブルに置き、
「ユリアさん、これ二番テーブルに運んで」
「あ……は、はい!」
他の客と同じく口を開けてぽかんとしていたユリアに感情の篭らない声で言うと、さっさとキッチンへ戻ってしまった。
一方、ユリアはおろおろしつつもしっかりと返事をし、それと同時に他の客も各々の時間へと戻っていく。
……あのドア、直さないとな。
おい、マスター。
「な、何だい?」
私の言葉にカウンターにいた男が真っ青な顔でびくびくしながら反応する。つーかビビりすぎだろうマスター。
ドア、直さなくていいのか?
「あ、ああ……そうだね」
マスターは言うや否やスッ、と右手を出しパチン、と指を鳴らす。
すると次の瞬間にはドアは壊される以前の姿で出入口に鎮座していた。
どうやったかなんて知らん。私に聞くな。
ちなみに私の声だが周りにはニャー、としか聞こえていない。が、どういう訳かマスター兼ご主人にだけは私の言葉を理解できる。
マスターもといご主人には長いこと使えているが、彼に関する謎は尽きない。
……さて、ドアも元に戻ったし、そろそろ寝るか。
と、私が日課である昼寝に差し掛かろうとしたその時。
ドカァン!
再び店のドアが破壊された。
そして、またもあのやかましい怒鳴り声。
「いきなり何するんじゃあああ!」
それはこっちの台詞じゃあああ!
鬼がまた店に入り、すっかり眠気が吹き飛んだ私が周りからすればフシャアアア、とでも聞こえる声を発すると同時に今度はキッチンからキラリと光る物が何本も飛んできた。
それら──大小様々な大きさの包丁達は鬼の突っ立っている左右の壁にガガガと音を立てて華麗に突き刺さった。ブラボー。
それを目の当たりにしたのか先ほどの勢いはどこへやら、今やガタガタと巨体を震わせている鬼に包丁を投げた張本人であるカムイが歩み寄っていく。
そして鬼の元まで近寄ったカムイはいつもの無表情のまま遠慮なく鬼の太い首を片手で持ち上げた。
鬼よりもやや背の低い、見た目はほぼ大人の人間と変わりない男があのやたらとでかくて重そうな鬼の身体を地面から浮かせている光景は何とも異様である。
相変わらず常識外れの馬鹿力だな、カムイは。
「おい。店内では静かにしろ。他のお客様に迷惑だろうが」
いつもの抑揚のない低い声でそう言いながら、ギリギリと鬼の首を締めるカムイ。……あの鬼大丈夫か。
同じ事を思ったのか、ユリアが慌てた様子でカムイの所へと駆け寄った。
「あの、カムイさん。そろそろ離してあげないとその方、死にそうです」
「ユリアさん。……見えなくても分かるのか」
「ええ。とっても」
首を離さないまま問うカムイにきっぱり答えるユリア。
盲目の彼女は確かにその瞳を開くことはないが、その分ユリアは他の感覚機能が異常に鋭い。ので、何ら問題なく仕事や生活をしている。
ゆえに奴が死にかけているってのも見えなくても分かる。……いい加減そろそろ離してやれ。
「…………」
少しの間、左手を口元に添えて考え込む所作を見せたカムイだったが、ユリアの説得が効いたのか渋々と鬼を解放した。
ドサリと地面に倒れ、うつ伏せになってむせかえる鬼。
てか、誰だよこいつ。
……と、ここでようやくマスターが鬼の元へと恐る恐る近づいていった。アンタ今まで何してたのさ?
そしてカムイの影に隠れるようにして、鬼へと尋ねる。
「あのう、すみません。つかぬことをお聞きしますが……どちら様ですかねぇ」
おい! 問題客相手に腰低いぞマスター! いや、客ですらないか。
すると、マスターの言葉に反応したのかガバッと顔を上げる。
「おう! 俺は鬼ヶ島のたいし──ごぶっ!」
「うるさい」
すかさずカムイが鬼の腹に蹴りを入れ、ユリアがなだめる。
おいおい。何もしてないのにそりゃ酷いんじゃないか?──まあ確かに声は無駄にでかかったが。
にしても、今“鬼ヶ島”と言ったな?……まさか桃太郎でも探しに来たか?
全くの余談だが、猫とはいえ私は昔話ぐらいは知っている。