第一章 夜の宝石の王女 5
ヴァルメーダは大抵、青年の姿をとっているとされる。
青みをおびた銀色の髪。海よりも深い群青色の瞳。手には白い可憐な花、ポワを持つ。
城にあるタペストリーには、ポワの花の化身であるアレリーを娶るヴァルメーダの話が綴られている。
国でも最も有名な祈り「アレリーの歌」をもとに、そのタペストリーは作られているのだ。
そのアレリーの歌が、奥院の一室に入った王女の耳に聞こえてきた。
聞き間違いはしない。あの神官の声だ。祈りだ。
カーテンに仕切られたその部屋に、王女はそっと入っていった。
神官は一人だった。
石で掘られた等身大のヴァルメーダ神の像の前に立ち、数多くの蝋燭の火に囲まれ、祈っている。
頭を覆っていたフードとマントを取り、王女は粗末な背もたれに座った。
人が入ってきたことに気づいていないわけでもあるまいに、若い神官は人などいないかのように振る舞っている。
それが心地よくて、王女は黙った聞きほれた。
王女はいつしかアレリーになっていた。
精霊祭の夜、出会った銀髪の青年に恋をするアレリー。
精霊の友で、ポワの花のような少女。
無理やり嫁がされそうになった彼女を、銀髪の青年、つまりヴァルメーダが助けるのだ。
そして、結ばれる二人。
蜂蜜色の髪の、美しい少女が、王女の脳裏に鮮やかに浮かび、そして消えていった。
――祈りが終わったのだ。
神官はしばらく目を閉じてその場に立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと王女の方へ向き直った。
あいかわらずの、無表情な顔で。
何度見ても、彼の顔からは何の感情も窺えない。
冷やかな印象を与えるその青い目に見つめられて、王女は少々バツの悪い思いをした。
若い神官は、優雅に会釈する。初めて会った時と同じように。
「……あー。その……、悪いと思ったが、聞かせてもらった。承諾も得ないで……すまない」
「いえ。構いません」
「……そなた、祭りにはいかないのか?」
「興味ありませんから」
眉一つ動かさずに答える。
取りつくしまがないとはこのことを言うのだ。
もっとも、王女だけでなく、誰にでもこういう態度をとるようだが……。
門番が、彼を訪ねて女が来たことで、あんなに驚いた気持ちが、なんだか判るような気がする王女だった。
ため息一つついてから、さてと、と王女は立ち上がった。
もうだいぶ時が過ぎた。戻らなければならない。
「……また、聞きにきて、よいか?」
フードをかぶりなから、尋ねる。
若い神官は頷いて、答えた。
「どうぞご随意に。毎晩、この時間に礼拝していますから」
奥の神殿を出ると、再び宿舎の前を通りかかった。
門番はまださっきの男だ。
王女のことを覚えているのだろう。興味深そうに、好奇の目で王女を見送っている。
不快感を覚えながら足早に通り過ぎようとすると、不意に声がかかった。
「お前、名を何という?」
門番ではない。
振り返ってみると、銀色の帯を腰につけた二十代後半の男が、門番の傍に立っていた。
その隣には、派手な恰好をした遊女が王女を胡散臭げに見ながら、男に寄り添っている。
銀色の位は、上位から数えて三番目。
神殿内の各部の長といった役職についている者らしい。
「私……ですか?」
なるべく街の娘らしく、聞き返す。
こんな所で騒ぎになるのは御免だ。
「そうだ。お前、あのエディアールとよろしくやってきた娘だろう? そんなもの好き、滅多にいないんでね」
言いながら、男は王女に近づいてくる。
王女は警戒し、二・三歩退きながら、
「私とあの方は、そういった関係ではありません。それに……私は遊女じゃありません。街に住む、商家の娘です」
「ほう。街娘が、あいつに何の用があっただい?」
にやにやと笑いながら男は王女の前に立った。
酒の匂いが鼻につく。
ムカムカしながら王女はぞんざいに答えた。
「あなたに言う必要はありません」
その軽蔑したような言い方に、男はカァーッと頭に血が上ったようだ。
「このっ……」
王女のフードに手を伸ばす。
けれど予想していた王女は、サッとそれをかすと、男の手が届かない場所へと飛びのいた。
「……ふんっ。まあ、いい。大方、あいつのあの顔に惚れたって口だろ。だがな……」
と言って、男は意地の悪い笑みを浮かべる。
「あいつには、幼なじみの恋人がいるんだぜ」
「……まぁ」
感心したように、王女はつぶやいた。
内心びっくりしていたのだが、それはおくびにも出さない。
「でも、生憎と、私はそういう仲でもありませんの。残念ですわね」
この男の態度や言葉から、あの若い神官への敵意が感じられた。
自分より若いくせに、自分より高い地位にいるのだし、アレはああいう性格だから、それも当然といえば、当然かもしれない。
気持ちとしては判らないではないが、でもそれをこちらにぶつけられるのは困る。
「それでは失礼」
王女はそう言うと、男を無視してさっさと歩きはじめた。
男は引き止めようとしたが、それよりも早く王女はその場から去っていってしまった。
城へ向かう王女の心の中には、もうあの男の事はなかった。
「よもや……あの神官に、恋人がいるとは……世の中わからないものだな」
何だか信じられない思いがした。