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第一章 夜の宝石の王女 2

 王女は窓の外を眺め、ため息をついた。

 あれ以来、海であの神官を見かけることはなかった。

 本当に、たまたま海へ出掛けただけだったらしい。

 別に会いたいと思うわけではなかったが、あの不思議な祈りをもう一度聞いてみたいとは思った。あの心地よい感覚を再び味わいたいとも。

 だから部屋にいる時は、大抵聞こえてくる音に注意し、いるまいと思いつつもつい窓の外の海岸を見てしまう。

 しかし、波の音に混じって、あの音律が聞こえてくることは無かった。

 呼び寄せて、祈りをさせようかとも考えたが、あの無表情で面と向かって祈りを捧げられても、何となく気恥ずかしいし、周りに若い男を招き寄せたと妙な勘繰りをされても困るし、それに何よりあの男がどう思うかが気になってしまう。

 第一、あの男が王女の為に祈りを捧げるだろうか?

 あの淡々とした口調。おおよそ感情の見当たらない、端麗な顔。

 誇り高いのか、それともただ感情が表に出会いのか、もしくは感情が動かないのか、まったくわけのわからない男。神官という生き物は、みなああいうものなのか?

 いや、と王女は思う。

 大神官とはよく会うが、彼は徳の高さの感じられる品の良い、普通の老人だ。

 もちろん、大神官まで上り詰めた以上、何かしら人とは違うものを持っているのだろうが、王女にすら感じられるあの異端さは、大神官からは感じられない。

 あの男だけが、他と違うのだ。

 おそらく、神殿でも異端の存在に違いない。実力があるだけに、一層。

「王女様。大神官様が明日の式典の打合せにお見えになっておられますが……」

 侍女が窓辺で物思いにふける王女に声を掛けた。

 出窓のクッションに身を横たえるように坐っていた王女は、顔をあげ侍女に振り返った。

「そうか。すぐ行くと伝えておいてくれ」

 そして面倒くさそうに、クッションから身を起こす王女をみて、侍女は微かなため息をついた。

 彼女はここ何日間の王女の変わった様子に気づいていた。

 心配事があれば、おしゃって下さればよいのに。

 忠実な侍女は、部屋を出ながら思った。


 しばらくして王女は、大神官の待つ控えの間に現れた。

 明日から守護神ヴァルメーダを祀る祭りが三日ほど行われる。この国の最大の祭りであり、行事でもあった。

 祭りは神殿で行われる式典からまず始まる。当然のことながら、王女も参加しなければならない。

 その神殿を取り仕切る高齢の大神官は、現れた王女を一目みてやさしく言った。

「王女様。何やらご心配事がおありのようですな。お顔の色がすぐれませんが……」

 王女は老人の鋭さに、舌を巻く思いで苦笑した。

「相変わらず鋭いことだ。大神官」

「王女様の倍以上生きております故」

 大神官はしわくちゃの顔を綻ばせた。

「憂いておられる顔もまた美しいことですが……いかがなされた? 察するところ、恋の病というところですかな?」

 後半の笑いを含んだ口調に、王女は少々赤くなって、でもそれを悟られぬように言った。

「年寄りの勘繰りはいただけぬことだな。大神官」

「いやいや。私は喜ばしく思っていますぞ。特にこれに関しては。今まで国の内外の貴族たちを全てソデにしてきた王女様が、ようやく人並みの感情を抱かれたのですからな。……ところで、王女様の心を射止めた幸運な男は誰ですかな?」

 にこにこと笑顔のままそんな事を言う老人に、王女はますます顔を赤くした。

「……言っておくがな、大神官。決してそなたが思っているような理由で、私は憂いていたわけではないぞ。……ただ、祭りが終わって少しすると、私の十八の誕生日が来る。それを思うと、少し憂鬱になるだけだ」

 大神官は、その言葉に、スーッと笑顔を消した。

「そうすると、いよいよ即位なさって、女王となられるのですな」

「ああ。国の法律では十八歳にならなければ王位を継げないため、今まで王女の身分であったのだが……。大神官。だが本音をもらすとな、女王になるのは、少々重荷だ、私には……」

「王女様なら、立派な女王となられることでしょう。お嘆きなさりますな。それに、女王となれば、この国の男は自分の思いのままではありませんか。むろん、今のままでもそうですが。……そう考えると、結構国王職も楽しいものかもしれませぬぞ」

 王女は老人流の慰め方に、思わず笑った。

「そなたらしい言いようだな。私が男だったら、国中の女を自由に出来ると大笑いだったかもしれないが、私は別に男好きというわけでもないから、たとえ国中の男が求婚してきても、少しも嬉しくないぞ。かえってどの男を選んでいいか、困ってしまう」

「いやいや。今でも国中の男が、王女様に夢中ですぞ。この爺も、国一番の美女であられる姫様に夢中です」

「おやおや」

 王女は老人は、二人でくすくす笑った。

 この老神官のおかげで、王女は少し気が晴れたような気がした。

「話は少々変わりますがな、王女様」

 大神官はひとしきり笑い終えると、真顔になって言った。

「実は王女様の即位をこの目で見たら、大神官の位を他を者に譲って引退しようかと思うておりますのじゃ」

「え?」

 王女は目を見開き、まじまじと大神官の顔を見た。

「なぜ? そなたは高齢だが、まだまだ元気ではないか。それともどこか悪いのか?」

「いやいや。悪いわけではありません。しかしいつぽっくり逝ってしまうかも判らないですからのぉ。ここらが引き時ですわ。……それに、若い王女様が国王となられたら、きっと新しい若々しい国造りを致しましょう。その時に、私のようなおいぼれがいたら、若々しくなるのもならなくなりましょうぞ。若い次の世代に引き継ぐいい機会だと思っております」

「…………」

 王女は目を伏せ、珍しく気弱になってつぶやいた。

「そなたがいなくて、私は誰に頼ればいいというのだ? 父の時代からの大臣達は皆、息子に家督を譲ると言う。だが、貴族の息子たちは、私の目から見れば頼りにならない。そなただけが頼りなのに」

「……王女様、私の後を継がせよう考えている神官は、多少変わっておりますが、頼りになると思いますよ」

 王女は老人の言葉にハッと顔を上げた。

 脳裏に浮かんだのは、あの若い神官。

「それは……もしかしたら、真紅の位を持つ、エディアールという名の男か?」

「ええ。……王女様、あの者をご存じで?」

 大神官は意外というように目を見開いた。

「あ……いや……この間、海で祈りを捧げていた神官がいてな。それがエディアールと名乗ったのだ。金髪の、綺麗な青色の瞳をしていた」

「おお。それに相違ありません。お話にはなりましたか、王女様」

「ふ、二言三言な。祈りの最中だった」

 王女はやや狼狽気味に答えながらも、あの真紅の帯を身につけた若い神官を思い浮かべていた。

 抑揚のない、だけどひどく魅力的だった声。感情のない表情に、冷やかな空色の瞳。

 そして―――祈り。

 やさしく、切なく、染みとおってくるようだった、あの言葉たち。

 あんなにも懐かしくて、そして静かな一時を、王女は久しぶりに味わったような気がした。

 彼が大神官になれば、祈りを聞く機会も多くなるに違いない……。

 王女はふとそう考えて、内心苦笑した。

「変わった男でしてな。真面目で優秀なのですが、如何せん、人と打ち解けようとはしない。言葉も少ないし、愛想はないし、感情をまったく表に出さないはで、我が神殿の問題児なのですよ」

 そう言いつつも、この老人は、その問題児をいたく気に入っているらしい。口調には、いとおしさと暖かさがあった。

「そうだろうな」

 くすり。思わず笑った王女に大神官は、ほうっ、と興味の目を向け、次いで意地の悪い笑みを浮かべた。

「二・三言話しただけで、よくわかりますなぁ」

「……何が言いたい? 大神官」

「これはさっさと私は引退すべきかな、と思ったのですよ。王女様」

「からかうな。そういうのではないっ」

 王女は子供のようにふくれた。

 どうも、この人のいいのか悪いのかわからない老人の前に出ると、王女もただの少女のようになってしまうようだ。

 だが、不快ではない。

 王女は、この老神官が、たいそう好きだった。

「そもそも、そなたは精霊祭の打合せに来たのであろう?」

 王女がふくれっ面のまま言うと、老人はますます破顔した。

「おお、そうでした。ですが、まぁ、毎年変わりませぬ。王女様が我が神殿にお出でになり、私が祈りと供物を神に捧げて、祭りが始まる。それだけですな。ご存じだとは思いましたが、取り合えずはと確認しにまいった次第でございます」

「わかってる。ずっとやっているんだから。目を瞑ってでもやれるぞ」

「頼もしいお言葉ですなぁ」

「……ところで、大神官?」

「はい?」

先程のお返しとばかりに、王女は、にっこり笑みを作り、首を傾げて言った。

「そなた、神殿で問題児であるあの若い神官と足して二で割ると丁度よい、とか言われていないのか……?」

「…………」

 大神官の苦笑がその答えだった。

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