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第三章 海辺の国の女王 8

「大神官様。大神官様はおられますかっ?」

 エディアールの元にその報が届けられたのは、仕事が一段落し、部屋に退去して夜の礼拝の準備をしようとしている時だった。

「どうしたのです?」

 やけに慌てた声だった。しかもそれは女性の声。

 神殿ならともかく、宿舎に女性が入ってくるのはめったにない。宿舎の中でも一番大きな部屋である自室から出たエディアールは、警備に両脇を押さえられながらも懸命にこようとする女性の姿だった。

 面識のない警備の兵には判らなかったが、若い神官はその女性に見覚えがあった。

 女王の侍女だ。

「……大神官様っ」

「あ、エディアール様、申し訳ありません。制止も聞かずにこ女性が飛び込んでしまって……」

「大神官様、女王様が、女王様が」

 女性の目には涙が潤んでいる。

「その方を放してあげてください。……さ、こちらへ……」

 神官は、彼女を自分の部屋へと招き入れた。

 応接室は別にあったが、何事か尋常ではないことが起こったらしい。

 部屋の戸を閉めて、エディアールは言った。

「あなたは女王様の侍女ですね? 一体何が起こったのです? 女王様の身に何か?」

 畳みかけるように問いながら、その口調は静かである。

 その冷静な声に、侍女頭は多少落ちついたらしい。

 城からここまで少しでも早く着こうと馬を飛ばしてきたので、息をつく暇がなっかったのだ。女王の身も心配だっだ。

 侍女は息を大きく吸って言った。

「女王様がご懐妊なされました」

「…………」

 エディアールは目を見開いた。

 とっさに言葉も出なかった。

 この男がこれほど驚愕したのは、後にも先にもこれ一度きりだろう。

 この侍女は、感情の薄い男の世にも稀な表情を見ているのだが、そんなことが彼女に判ろうはずがない。

 侍女は続けて言った。

「それが判ったのは、三日前のことです。知っていたのは、私と女王様と医者だけでした。……けれど、ついさっき、具合が悪いのに今日一日無理されて、女王様はお倒れになってしまわれた。……会議中にです。……皆様に知られてしまいました……それで……」

 侍女は喘ぐように言った。

「私、女王様から密かにあなたのところへいって、女王様のお言葉を伝えるようにと命令されて、ここに来たのです……。もうすぐ城からこの神殿にも、女王様ご懐妊の知らせと、城への招集の使者が来るでしょう。それで……」

 侍女は気を落ち着けるように大きく息を吸い込むと、まっすぐディアールを見た。

 どんなに理不尽に思っていても、主から託された使命を果たさなければならなかった。

「女王様の伝言というのは……あなたは来るな、との事です」

「……何、と言いました?」

 ピクリとディアールの眉が動く。

「来てはならない。というのが、女王様のお言葉です。……女王様はあなたを巻き込みたくないのでしょう。そして、どんなに大臣方に詰問されても、女王様は決してあなたの名は出しますまい」

「…………」

「……私は女王様が心配なので、これから城へ戻ります。お願いです……女王様のお心、わかって差し上げてください」

 それはつまり、来るな、ということだ。

 けれど、侍女の目には悲壮感が漂っている。

「それで……よいのですか?」

 若い神官は静かに問うた。

 口では来るな、と言いながら、彼女の目は女王を助けて欲しいという心情を訴えていた。

 今頃女王は大臣たちに父親について尋問されているだろう。

 子供をかかえ、女の身でどれほど心細く思っていることだろう。

 それを救えるのは、女王の想い人であり、お腹の子の父親である彼しかいなかった。

 問われた侍女は、しばらくエディアールの顔を凝視し、不意に目から涙をこぼした。

「……お願いです、お願いです! 女王様を助けてくださいっ」


 その声に重なるように、表から声が聞こえた。


「ああ、ご隠居様!」

「大神官様には今、お客様が……」

「今はそれどころではない。一大事じゃ。……エディアール、エディアール、中に居るか?」

 ドアの外で老神官らしくない、慌てている声がした。

 彼の元にも、女王の懐妊が伝えられたのだ。

「居ます」

 ドアが開くと同時に、老神官がすばやく押し入ってきた。そして、バタンとドアを閉じる。

 口を開こうとした老神官は、部屋にいた先客に気づき、一瞬驚いたようだった。

「……その様子だと、もう知っておるな? ……御子の父親はそなただろう。そなたしかおらん」

「ええ、そうです」

 エディアールはあっさり肯定した。

 その淡々とした素直さに、勢い込んで来た老神官は気が抜けたような表情になった。

「……それならなぜ、こんな所でぐずぐずしておるのだ。今どんなに女王様が心細く思っているか……。自分のした事の責任はとらねばならん」

「わかっております。そう、わかっています」

 言いながら、ふと彼は空にその青い瞳を向けた。

 何か遠くのものを思っているようだった。それは女王のことに違いない。

 ドアが叩かれた。

「大神官様。城より緊急の使者が参っておられますが……」

 老神官と侍女ははっと顔を見合わせる。

「どうやら、来たようですね」

「落ちついている場合ではないぞ。エディアール」

「……しかし、慌てても始まりません。使者に会いましょう。お二人も来てください」

 そうして侍女と元大神官を伴って、宿舎より神殿へおもむく。

 その途中、懐かしい顔が現れた。

「エディ。ただいま。今帰ったわっ。あたしたち始め、てっきり礼拝堂にいるものだと思って、そっちに行ってしまったのよ。……あら?」

「大神官様……じゃなくて、ご隠居様? ……何かあったのか?」

 サリアとパリスだった。

 まさしく千客万来というところだ。

「帰ってきたのですか、二人とも。丁度よかった」

 エディアールはにっこり笑った。

 それは花が綻ぶような笑みであったし、何か含みがあるような笑いでもあった。


 パリスと老神官はぎょっとしたように凍り付いてディアールを見つめた。

 偽りだろうと本物だろうと、彼の笑顔という不可思議なありえないものを見てしまったからだった―――。

サリアは偽のディアールの笑顔を見慣れてるので、驚きません(笑)

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