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第三章 海辺の国の女王 5

 自分を落ち着かせるために息を整えると、王女は傍らに立つ神官に言った。、

「……ああ、大丈夫だ。来る途中、少々アクシデントがあってな……だが、目に土をお見舞いしてやった」

「そうですか。……すぐに何か着替えと、湯と……熱いお茶をお持ちします」

「たのむ……」

 エディアールの姿が垂れ幕の奥に消えると、王女は崩れるように椅子に腰を下ろした。


 少しずつ落ちついてきた王女の心を襲ったのは、まず憤りだった。

 あの男、あの男、ゆるさない……!

 こんな屈辱。こんな仕打ち。

 男に触れられた部分が何だか酷く汚れてしまった気がした。

 気味わるいくらいに、その感触も覚えている。

 触れられた感触を拭い去ろうとドレスの袖で首筋をさすろうとした王女はこの時初めて自分の今の姿に気付いた。

 ドレスや髪は泥で汚れ、胸の部分が大きく引き裂かれている。

 せっかく神官が渡してくれたシーツにも汚れが移っているしまっているようだった。

 エディアールが目的のものを持って戻ってきた時には、王女は髪についた土を忌ま忌ましげに落としながら、部屋をうろついていた。

「動かない方が、落とせますよ」

 その言葉に、王女はおとなしく再び椅子に腰をおろした。

「神殿には男しかいないので、女物はないんです。失礼ながら、私の前の礼服を一時身に着けていていただけませんか?」

「……それでいい。すまない。面倒をかける」

 王女は目を伏せた。

 神官の持ってきたお湯で、手足について汚れを落とす。首や胸のあたりも念入りにこすった。

 そうしなければ、あの感触も落とせないと思った。

 その間、礼儀正しい若い神官は王女に背を向けていた。

 が、何も音がしなくなり、王女の動く気配がないのを知ると、振り返った。


 王女は俯いていた。

 怒りよりも、今は悔しさの方が大きかった。

 びくともしなかった、男の腕。運良く逃れたけれど、もしかしたら今頃は……。

 なぜ、自分はこんなに無力なのだろう。

 国を護らなければならないのに、自分は男一人からも身を護れない。

 王女はぐっと唇を噛みしめた。

「なぜ、私は女なんだろう。どうして、男に生まれなかったのか。……男の腕一本解けないほど無力なものに生まれてしまったのか……なぜ……! 私は、自分に力のないことが悔しい。何も出来なかったのが悔しい……」

 目にじわりと涙が浮かんでくる。

 零すまいと思っているのに、目から溢れていく。

「……こんな私に、国は守れそうもない。女王など……無理だ!」

 拳をぎゅっと握りしめる。爪が手の平に食い込んだが構わなかった。

 普段の王女なら、こんな弱音を人前でさらけ出したくはないだろう。

 けれど、今は胸のつかえを、出してしまいたかった。

 一人の胸にしまうには、あまりに悔しすぎた。


 不意に、握りしめた手が暖かくなった。

 驚いて顔を上げると、若い神官がすぐ王女のそばにいて、手にふれている。冷たいくせに、手は暖かい。

「あなたは強いです。女王。……本当の強さというのは、弱さを知っていることの強さです。あなたは強い。……あなたがおっしゃるのは、腕の力のことでしょう? しかし、その力には限界がある。でも心の強さには限りは在りません。……強くなりなさい。女王。すべてを許し、包み込めるような強さを持ちなさい」

「……エディアール」

 王女は初めて、彼の前で彼の名を呼んだ。

 くやしさと哀しさに溢れた王女の心に、何か暖かいものがふわりと通り過ぎた。

 そして、何か熱いものも。

 二人は見つめあった。手を触れ合ったままで。

 その接触した部分から、何か熱のようなものが身体を駆け抜ける。いや、その熱は身体の芯から出ているようにも思えた。

 下腹部にズクンと衝撃が走った。

 甘く痺れるような、感覚。

 おかしい……。

 ふんわりとしたやさしいその熱さに包まれて、ぼおっと頭の芯がぼやけてきていた王女は、心の隅で思った。

 高揚する気分は、どこか自分のものでありながら自分ではないような感じがした。

 身体と心の奥の一番大事な部分を何者かに握られ、その大きな力が王女の全てを引っ張っていっているような、方向づけているような……。

 けれど、それは不快ではない。

 王女のその心は、まっすぐ目の前にいる若い神官に向かった。

 奇妙な緊張感。心が震えた。甘美なまでの震えが、全身を覆った。


 二つに分かれたような意識の中で、王女は彼を見つめた。

 彼はいつものような涼しげな表情をしていたけれど、でも、彼も何かを感じているようだ。

 冷たいはずの青い目は、小さな炎を帯びていた。それは灯った蝋燭の火の反射でもあったし、彼の中にある熱いものの現れでもあった。

 身体の熱さに支配されかかった時、不意に彼が何かを感じたように視線を転じた。

 二人の前に立っている、ヴァルメーダの像へ。

 つられて見た王女の目には、銀色の青年神の身体から、青い仄かな光が出ているのを捕らえた。


 ……ヴァルメーダ神?


 青い光りを見ているうちに、身体が熱に支配されていく。

 伸ばされた手を掴んだら、そのまま引き寄せられて抱きとめられた。

 ―――熱い吐息が混じった。

 二人は何か熱に浮かされたように、互いを貪った。エディアールの手が、王女に触れる。その接触はやさしく、そして熱かった。


 やがて熱が過ぎると、二人は何も言わずに肩をよせあった。

 部屋の中は暖かかったが、やはり互いに素のままでいるのは抵抗があったので、二人はシーツに身をくるんでいた。

b王女の剥き出しになった肩には、彼の手が乗っていた。熱はもうなかったが、それでも充分彼の手は暖かかった。

 お互い何も言わない。じっと、像の前にある蝋燭の炎を見ているだけだった。

 ……これは本来、あるべきことではなかった。

 二人は判っていた。何かが別の力が介入して、それが後押ししてなった結果なのだ。誰のせいでもない。

 王女と神官は、恋人同志ではなかったが、この時この場だけは、互いものだった。

 それで、何も言わず、何も喋らず、ただ寄り添っていた。

 最後の逢瀬であるかのように。

 王女は神官の意外と逞しい肩にもたれ、ぼんやり思った。

 きっと明日出会っても、私たちは何事もなかったように振る舞うだろう。……何事もなかったことにしてしまうだろう。そして、二度とこのことに触れることはないだろう。

 それでも、今は、今だけは……。

 契りを交わした男に抱かれながら、王女はそっと哀しみの吐息をついた。


一応ラブシーンだけど、全年齢の枠は超えてないですよね? ね?

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