第三章 海辺の国の女王 2
「女王様、女王様」
いつものお忍びの帰り、王女はサリアに呼び止められた。
彼女は戴冠式が終わっても、帰る気配を見せず、夜の礼拝堂に元気に通ってきている。
でも以前と違うのは、もう一人観客が増えたということだ。もちろん、パリスである。
彼はサリアに告白した日以来、すっかりカドが取れ、エディアールとも円満に付き合っていた。
王女のことも、誰にも言っていないようだ。
「何? サリア?」
一段と可愛らしさを増したサリアは、王女に付き合って裏道を行きながら、小さな声で報告することがあるんです、と言った。
「あたし……明日、村に帰ります」
王女はびっくりした。
「か、帰るって……そなた、パリスのことはどうするんだ?」
サリアはにっこり笑って、
「もちろん、一緒に行ってくれます。ふふ」
「あ、ああ……そういうことか」
「はい。それで、たぶん……こっちの方にあたし、越してくることになると思います。あたしだけがですけどね。もちろん、いろいろと準備があるから、もうしばらく後のことですけど」
「そうか、おめでとう。サリア。これからもよろしくな」
「はいっ」
元気に言ってからサリアは、不意に言いにくそうになって、小さくつぶやく。
「それで、あの……エディの事なんですけど……。あ、そういう妙な意味じゃなくて、今は幼なじみとして女王様にお願いがあって……」
「な、なんだ……?」
胸がドキンとなった。
「あたし、エディの事、好きだったんですよね。もちろん、今はもう諦めています。あたしには……たぶんあの人を理解してあげられないから。でも、女王様には判るんじゃないんですか? あたし、ずっとそんな気がしてたんです。誰にもわからなかったあの人のこと、女王様なら理解して差し上げられるるんじゃないかって。だから……だから……女王様に、エディの事、頼んでいっていいですか?」
「え……えっと……」
王女は答えに窮してしまった。
「た……頼むって……、彼には助けなんていらないのではないか……?」
「……確かにそうです。あの人、誰にも頼らず一人でやっていけると思います。ずっとそうでしたし。……でも、人って一人じゃ生きていけないんです。あたし、最近になってよくそう思うんです。だから、あの人の心に受け入れられている女王様なら、きっと判ってあげられる。女王様にしか頼めないんです。お忙しいのはわかってます。けれど、少しでも、エディの事、気に掛けてやってください。お願いします。女王様」
王女はしばし迷った末に、うなずいた。
王女にはわかってしまったのだ。
――サリアはまだあの若い神官のことが好きなのだということが。
けれど……。
王女にそれを託すというは、サリアにとっても気持ちのけじめでもあるのだ。
「わかった。彼のことは私が責任とろう。だが……彼に面倒かけるのは、私の方かもしれない。今だって、わがまま言って、祈りを聞かせてもらってる」
「あら、それはいいんですよ。エディだって、女王様がお忍びでいらっしゃるの、待ってるんですから。……あ、祈りといえば、パリスがエディの祈りには不思議な力を感じるって言ってましたわ。女王様、気づきました?」
「……え?」
王女は目を瞬かせた。
不思議な力云々のことではなく、それにサリアが全く気づいていなかったことに、王女は驚いていた。
「あたしには、ただの言葉の羅列にしか感じられなかったんですけど……。パリスは、祈りの元の魔詩としての力を、エディには引き出せるのではないかって言ってました」
「……そう……」
王女は目を思案するように目を細めた。
エディアールには、不思議な力がある。
その彼ならば、ただの祈りの言葉と化した魔詩本来の力を引き出せ具象化することも可能だろう。
それが、そうならないのは――いや、そうなったら神殿で大騒ぎが起きるだろう。
だから、具象化にはまだ至っていないのだ――おそらく、彼が魔詩本来の目的で祈りを述べているわけではないからだろう。
だから、中途半端な力は、ある特殊の耳を持つ者(たとえば神官とかには)その力の片鱗が視える。
サリアにはまったく普通の祈りに聞こえて、神官であるパリスには妙に聞こえたのは、たぶんそういうことだからだろう。
……では、私は?
王女には特別な感覚はない。なのに、どうして王女だけが彼の祈りの特殊性をまともに受けてしまうのだろう。王女だけが……。
「女王様?」
サリアが突然おしだまってしまった王女を、不思議そうに見ている。
「あ、ああ……。心配するな、ちょっと考え事を……な」
「女王様になるのって、大変なのですね。いろいろと難しいこと考えなければならないし……。あたしと同じ年なのに凄いなって思います。エディも女王の仕事は大変だろうって言ってましたわ。エディがあれだけ他人を心配するなんて、初めてです……」
「サリア……。あ……、向こうにはパリスとどのくらい行っているのか? こちらにはいつごろ?」
なるべくサリアと話している間は、あの神官の事を言いたくない。すばやく王女は話題を変えた。
「三月くらいですか……。しばらくパリスも休暇とって滞在するって言ってましたから……。みんなびっくりするでしょうね。ふふふ」
嬉しそうな顔をするサリアに、王女はやさしく微笑んだ。
「サリア……幸せか?」
「もちろんですっ。女王様。女王様も早く幸せになってくださいね」
「私は今でも充分幸せ」
「やだわ、女王様、女の幸せのことですよぉ」
笑うサリアは、充分幸せそうだった。




