第二章 空の青と真紅の神官 5
即位の日も二日後に迫ると、さすがに忙しく、王女は夜のお忍びの機会を失っていった。
だが、そのかわりとばかりに、式の打ち合わせに大神官と若い次期大神官が頻繁に訪れては、侍女たちを喜ばせる。
しかし頻繁に訪れるのは、彼らだけではなかった。
それは王女にとって一番頭が痛いことであった。
その求婚者たちの中でも特に熱心なのは、大臣の一人であるサヴァーニ伯爵の子息のヘルウェールという青年だ。
用もないのに城に来ては王女に面会を求め、城の廊下で王女とすれ違うたび過多な賛美を王女に送り、王女とそのお付の侍女たちを閉口させる。
「何なのでしょう、あの方は」
「本当。王女様を見る目つきったら、いやらしい」
彼と会うたび、すれ違うたび、侍女達は同じ言葉を台詞を繰り返す。
ヘルウェール・サヴァーニはあの神官には劣るものの、なかなかに悪くない顔立ちをしていた。
しかし浮名が絶えず、一部の女性にはすこぶる評判はよくない。
「あの方、王女様を射止めるために身辺の整理をしているって噂よ」
「まったく、何人もの女性が整理されていることでしょう!」
王女は、その侍女達の軽口を尻目に、一人ホッと息をついた。
ヘルウェールと会うたび閉口してしまう王女だったが、彼の事は頭にはなく、思うのはあの神官のことだった。
王女は気づいていた。
いや、気づかされてしまった。
自分にとって、あの神官はどうやら特別なのだということに。
ただ、恋とか愛とか、そういうものなのかはわからない。
初めは、彼のあの祈りに興味を持った。
けれど、それを聞いているうち、あの感情を持たない、人を愛することさえ知らない男を、王女は心に受け入れてしまっていた。―――サリアがいるのに。
ほう。再びため息。
もう二日も神殿には行っていない。あの神官とは毎日城て会っているが、それはあくまで式の打合せであって、王女ののぞんでいるものではない。
サリアはどうしているだろうか。
やはり、王女のいない夜も、通っているのか。
そう思いはするものの、別にそれが嫌だという気はしない。嫉妬も感じられない。
王女がサリアに感じるのは……自分を取り巻く侍女たちにとは違った形の好意と、そして微かな哀れみ。
サリアが故郷から出てきたのは、あの若い神官に会うためだ。
昼間は彼の方が忙しく、会って話す機会もない。
サリアが彼と会えるのは、実際、あの夜の間だけだったはずだ。
しかしそこにはいつも王女がいて………。
二人きりになって、あの二人は、どんな話をするのだろう……?
サリアが悲しい思いをしていなければ、よいのだが……。
サリアにすっかり同情している王女は、あの若い神官の方の意識を変えることはできないのなら、せめて、サリアはもっと別の幸せを捜して欲しいと思った。
あの男では駄目だ。悲しい思いをするだけ……。
忙しいのに、そんな事を考えると、いても立ってもいられない気がした。
今日こそは、どんなに忙しくても行ってみよう。王女は心に決めた。
ところが、城は抜け出せたものの、いつもよりかなり遅くなってしまった。
王女が小神殿についたのは、神官が祈りをちょうど終える頃だった。
「いつも、いつもそうだわ。エディは!」
声が聞こえた。サリアの声だ。
何かあったのだろうかと、廊下を急ぐ王女は、しかし、礼拝堂の入口近くに、中の様子を窺っている人影を見つけて足を止めた。
あのパリスとかいう、神官だ。
彼は、王女の姿を認めて、顔を歪ませた。
中で何か起きているらしい。
「何も言わずに、神殿に入ってしまって、帰っていてもくれない……! どうして? 何がいけなかったの? あたしの気持ち、知っているくせにっ」
「何も君のせいじゃない、サリア」
サリアの口調とは対照的な、エディアールの声。
こんな時なのに、憎たらしいほど落ちついた、感情のない口調。
「あそこは、私の居るべき場所でない。だから出た。……君の気持ちには、答えられないよ。私は駄目なんだ。どうしても……」
「……ば、馬鹿っ!」
王女は垂れ幕の外で、足を止めて聞いていた。
何だか胸が痛かった。
同じように、辛そうにその会話を聞いているパリス。
王女には、彼がなぜ、エディアールを憎く思っているのか、あの日、王女につっかかってきたのかがわかった。
……彼は、サリアが好きなのだ。
だから、毎晩のように、彼女の送り迎えをしていたのだ。 サリアの心が、誰に向いているのか、わかっていながら……。
サリアが飛びだして来た。
王女を見てハッと一瞬足を止めるが、目をそらし、再び駆けだした。
垂れ幕の中から、エディアールが出てくる気配はない。
そして、パリスも追いかけようとするのをためらっているようだった。
「サリアっ」
王女はたまらず、サリアを追いかけた。彼女を一人にしたくなかったのだ。
小神殿を出て、一瞬、正面門の方へ行ったのか、それとも裏門の方へいったのか迷ったが、しかし王女はさっき自分が来た方角――つまり、森の方へと向かって走った。