【ひと休み】りんごさんの長く短い祭り
遠く夏祭りのフィナーレを飾る花火の音がする。
遠く夏祭りのフィナーレを飾る花火の音がする。だがそれは水が流れる音にかき消されていく。
暗がりのバスルーム。洗面台で手と顔を洗い鏡を見た。やつれてこけたひどい顔が映っている。これでも少し前まで美人と言われていたんだ。濡れた顔から雫が落ちる。
ああ。馬鹿みたい。どうして私は若さを棒に振ってしまった?恨みは腹の中でぐるぐると渦巻き、熟成し、爆発した。
お前がこんな大胆なことをすると思ってなかったよ。
動かずに視線だけ声のした方にやる。
警察に通報するからな。
ほんの少し前まで生かしておいた男の声がする。浴槽に沈んでなお男は私につばを吐きかけて来る。
うるさいな。私を知ったようなその声がとても腹立たしい。お前は自分で自分のことが分かってないんだといつも言われていた。そうして私を丸め込んでずっと飼い殺して消費してきたのだ。
偉そうな態度に背を向けて浴室を出る。メイクをし直してソファに脱ぎ捨てていたシルクのワンピースを着る。もう私を縛るやつはいないんだし、久しぶりにクラブに行こうかな。
小ぶりのクラッチバッグにタバコと財布だけ放り込んでテレビはつけたまま乱暴に玄関ドアを閉めた。ハイヒールを鳴らして通りを歩くとすれ違った男がこちらを見た気がして、その顔があの男にそっくりで苛立つ。もうクラブには行くなよ。何もかも俺の言う通りにしろ。そうすればうまく行くから。
何であんな男に支配されてたんだろうか。好きだったダンスも辞めて、夢を諦めて、気付けば三十も間近になろうとしている。あっと言う間だったよあんたと居た十年は。付き合ってすぐ男には妻子がいることを知った。責める私を抱きしめて、必ず別れるお前を幸せにすると男は囁いた。嘘、嘘、全部嘘だ。
深夜のクラブでは若者が楽しげに飲み笑い踊っていた。祭りはまだまだ終わらないとばかり。色とりどりの服が照明を落とした店内でも眩しい。そこかしこに奔放とも言える喧騒が満ちていたし、見知った顔にも再会し嬉しくなった。ずいぶん遠くまで来てしまったと思っていた私も無邪気に戻れる気がする。なんてね。そう思いながらフロアに出た。
久しぶりに踊って少し気分が晴れた。閉店まで飲んで踊って一人きりの夜を楽しんだ。帰り道、空には月が浮かんでいる。
月が綺麗ですねと言うのはアイラブユーと言う意味だよ。昔の文豪がそう訳したんだって。私の知らない色んなことを知っている人だった。優しい目で私の愚かさをたしなめてくれる時もあった。
最近は暑い夏の気配がようやく和らいで過ごしやすくなった。人いきれでほてった体に秋の気配をはらむ風が心地良かった。また踊りたくなったな。
ふと、浴槽の水底からぶくりと泡が水面に向かって弾けた映像が頭に浮かんだ。
お前はもう終わりだ。
男が恨めしげにこちらを睨んでいる。
楽しかった祭りはいつか終わる。このままじゃ終われないと強く望んでいても。私は終わらせた。
浴槽の男を再び沈めると早足で歩き始めた。真っ直ぐには帰らずに、遠回りをして近くの公園に来た。ここは子供の頃によく遊んだ公園で、今は色々な事情から遊具が撤去され芝生広場になっている。公園脇の枝垂れ柳の下であの男の恨めしそうな視線を感じたが、もはや無視して通り過ぎる。
夏の短夜、酣であった。吸っていたタバコを殻入れに突っ込むと私はついに走り出した。ワンピースもハイヒールも脱ぎ捨てて下着姿で風にそよぐ芝生の上に躍り出る。
あなたは筋がいいわ。とても上手よ。ほら、みんなあなたを見てる。
踊っていると喝采が聞こえてきた。冷えて少し重くなった体が草に足をとられこけてしまった。メイクももう落ちているだろう。観客は一人もいない。でも気持ちいいな。
遠くに聞こえていた喝采が、パトカーのサイレンがもうそこまで近づいて来ている。
私は自由だ。それがおかしくて笑い声をあげた。本当は泣いていた。
長かったはずなのに、ねえ…ひと夜の夢だったみたいよ。
林檎さんのMV「長く短い祭」より。すごくドラマチックです。




