第7話「思想衝突の序章」
翌日から、学校の空気が変わった。
誰かが大声で騒いだわけじゃない。
制服の着崩しが増えたわけでもない。
ただ、会話の端に“同じ言葉”が増えた。
「最近さ、世の中ってさ、やばくない?」
「秩序って大事だよね」
「自由にすると争うし」
京香はその言葉を聞くたび、背中の皮膚が薄くなる感覚がした。
そこに、昨日の排水溝の冷たさが重なる。
廊下の掲示板に、ポスターが貼られていた。
『若者の未来と日本の秩序』
『SHINTOU フォーラム(入場無料)』
白い紙に、黒い文字。
清潔で、正しく見える。
だからこそ、怖い。
“秩序”という言葉は、誰も否定できない。
否定した瞬間、その人が乱暴者にされる。
京香は立ち止まってポスターを見た。
そこに写る講師の顔は、爽やかに笑っている。
笑っているのに、目が笑っていない気がする。
京香の胸の奥が、静かに冷えた。
(幸村)
(うむ)
(この……SHINTOUって)
幸村の気配が固くなる。
「分からぬ」ではなく、「知っているが言えない」みたいな固さ。
(……言葉が似ている)
(何に)
(戦国の……)
京香は言いかけて止めた。
自分が勝手に歴史に寄せているだけかもしれない。
でも幸村は、短く答える。
(統治の匂いだ)
その言い方に、京香は鳥肌が立った。
歴史の単語ではない。
血の単語だ。
昼休み、京香は愛美と購買のパンを分け合った。
愛美はポスターを見て目を輝かせる。
「ね、これ行かない? 無料だって」
「え……フォーラム?」
「うん! 最近さ、ニュースやばいし。なんか“正しい話”聞きたくない?」
正しい話。
その言葉の危うさを、京香は説明できない。
「私、模試あるから……」
「真面目すぎ~」
愛美が笑う。
笑いは善意だ。
善意がいちばん、思想に取り込まれやすい。
放課後、塾。
京香は机に向かい、問題を解く。
それでも、頭の端にSHINTOUが残る。
家に帰って、スマホを開くと、関連動画がおすすめに並んだ。
見ていないのに。
検索していないのに。
『秩序こそ幸福』
『強い国が弱者を守る』
『自由は争いを生む』
言葉が、きれいすぎる。
きれいすぎる言葉は、血を隠す。
京香はスマホを伏せた。
(見ない)
でも、見ないことが勝ちではない。
見ないまま、侵食されることがある。
京香は思う。
病室でいちばん怖いのは痛みじゃない。
“気づいたときには遅い”ことだ。
その夜。
京香が机に向かうと、幸村が珍しく先に話しかけた。
「……京香」
「なに」
「……あれに触れるな」
“あれ”が何か、説明はない。
説明がないのに、分かる。
「SHINTOU?」
幸村の気配が短く頷いた。
「……言葉で人を縛る。あれは強い」
京香は、問題集の余白に線を引きながら言った。
「私、言葉で縛られたくない」
「……なら、学べ」
幸村の返しは意外だった。
「学べば、選べる」
京香はペンを止めた。
(学べば、選べる)
受験勉強の意味が、ほんの少し変わった。
そのとき、スマホが震えた。
通知。
『フォーラム招待:あなたの未来を守るために』
京香は息を止めた。
(……私、登録してないのに)
幸村が低く言った。
「……来るぞ。今度は言葉で」




