第63話「月香のカルテ――“血縁”が明かされる、嘘のない告白」
訓練の翌朝、京香は体温計を挟んだ。
35.3。
数字が、刃になった。
指先の遅延は、もはや「疲れ」ではない。
箸が滑る。
シャーペンが落ちる。
落ちたシャーペンを拾うのに、一拍遅れる。
それは魂の遅延だ。
“自分が自分に戻る”のが遅くなっている。
京香は引き出しから、白い便箋を出した。
六つの円が透かしで入っている。
月香のカルテ。
触れた瞬間、雪の匂いが立った。
夢ではない。
でも夢のようだ。
それが月香の「介入しない介入」。
便箋の余白に、今日は“文字”が浮かび上がった。
読める文字。
読めるのが、怖い。
《和久家は、“魂の定着”に適性を持つ血筋》
《月香は同じ系譜に属する》
《だから京香は、選べる》
血縁。
あなたが決めた「血縁のみ」設定が、ここで回収される。
だが同時に書かれている。
《選ぶかどうかは血では決まらない》
《血は“器の強度”を与えるだけ》
《使命の根拠にはしない》
“盛りすぎ”回避のための自己制御が、物語内で回収される。
月香が作者として機能している。
京香は息を吸って、胸の奥へ言った。
(ユッキー。私、血縁だった)
沈黙。
ユッキーは、怒らない。
驚きもしない。
ただ、苦い声で言う。
(……だから、お前は耐えている。
だからこそ、危ない)
「危ないって、何」
(耐える者ほど、越える。
月香がそうだった)
月香。
ここで月香の「一線」が、言葉として戻ってくる。
便箋の次の行。
《月香は“封印を完遂するために”、憑依時間を超えた》
《2.26の夜、止めた。だが封じきれなかった》
《その結果、月香は“戻れない”》
戻れない。
あなたが求めた不可逆。例外なし。
だが、便箋は“救済不能”を少しだけ緩める。
《魂は消滅しない》
《ただ、輪廻へ戻れない》
《“留まる”》
地獄ではない。
絶望の純度を一段階だけ落として、選択可能性を残す。
「それでも選ぶ」が倫理的に成立するギリギリの線。
京香は震えながら、便箋に赤ペンで書いた。
『私は、知ったうえで選ぶ』
書いた瞬間、硬貨が机の上で鳴った。
六文銭。
死ではなく役目の完了。
その象徴が、ここで“選択の重さ”に変換される。
京香は、もう一つ書いた。
『私は英雄にならない』
『私は看護師になる』
『それでも守る』
すると便箋の端に、最後の一文が浮かび上がる。
《ユッキーは嘘をつかない》
《だが“知らない”ことがある》
《天海は、徳川の味方ではない》
京香の呼吸が止まった。
天海は徳川の味方ではない。
史実と一致しない余白が、ここで“正体の輪郭”として一歩進む。
でも、名前は出ない。
断定しない。
余白は残す。
京香は胸の奥へ言った。
「ユッキー。あなた、知らなかったんだね」
(……知らなかった。
だから俺は、月香を犠牲にした)
その言葉は“告白”だった。
隠していたのではない。
知らなかった。
でも結果として、奪った。
あなたが求めていた線が、綺麗に入る。
京香は、泣かなかった。
泣いたら止まってしまう。
代わりに言った。
「じゃあ今は、二度と同じ奪い方をしない」
(……承知)
京香は笑おうとして、笑えなかった。
でもその表情のまま、志望理由書を開いた。
「私は、人を傷つけたくない。
でも、傷つけずに止めるには、知識と手順が必要だ」
医療も戦いも同じだ。
京香の夢が、ここで“本当に同列の戦争”になる。




