第62話「安全訓練――忠勝の槍が“守る手”を試す」
夜。
校内。
体育館ではなく、校舎の廊下。
“狭い場所”ほど恐怖は増幅する。
閉所の戦場。
逃げ道が少ない。
安全訓練の名目で、生徒たちが整列していた。
SHINTOUのスタッフが混ざり、先生たちの表情は硬い。
誰も「これはおかしい」と言えない空気。
言葉が先に死ぬ場所。
京香は最後列に立った。
隣に愛美がいる。
手が小さく震えている。
京香は、震えを否定しない。
震えるのは正常。
震えるのに立っているのが勇気。
壇上に、忠勝が現れた。
鎧の気配を纏ったまま、現代の床を踏む。
足音が違う。
それだけで空気が歪む。
「守るとは何か」
忠勝はそう言った。
問いの形をしている。
しかしこの問いは、答えを狭めるための問いだ。
「守るためには、統一が必要だ。
統一のためには、従順が必要だ。
従順のためには――恐怖を封じねばならぬ」
封じる。
井伊と同じ語彙。
天海の文脈。
忠勝はゆっくり視線を走らせ、京香で止まった。
「和久京香。
お前は守る側に行くと言った。
ならば守れ。ここで」
“ここで”と言った瞬間、廊下の照明が落ちた。
非常灯だけが赤く光る。
赤い光。
赤備え。
井伊の規律が、舞台装置になる。
暗闇の中、足音が増えた。
十人、二十人。
薄い目の生徒が、廊下の両側から出てくる。
刃物はない。
それが逆に怖い。
素手の“統治”は、正しさの暴力になる。
忠勝が言う。
「守るなら、傷つけるな。
だが止めろ。
止められぬなら、お前の優しさは弱い」
強さ=優しさの検査。
最悪の条件付き慈悲。
京香の胸の奥が熱くなる。
怖い。
でも怖いまま、手順を組む。
(ユッキー。貸して。短く)
(承知。だが、奪うな。
ここで奪えば、敵は“暴力”としてお前を確定する)
奪わない。貸すだけ。
それが二人の約束。
月香が残した“嘘をつくな”の延長線。
京香は白杖を取り出した。
夜の廊下で白が光る。
白は怖い色。
だから白を、味方にする。
まず、愛美を背に置く。
盾にしない。隠さない。
“隣”に置く。
医療でも、患者の横に立つ。上から立たない。
薄い目の生徒が突っ込む。
京香は白杖を床に滑らせ、足の進路を塞ぐ。
転ばせない。
止める。
止めた瞬間に、相手の肩が揺れ、目が一瞬戻る。
「……え?」
戻った瞬間は短い。
短いから、京香は“声”で畳みかける。
「怖いって言っていい。
今のあなた、あなたじゃない」
その言葉は、医療の言葉に似ている。
“あなたはあなたのままでいい”という言葉。
目が戻った生徒の呼吸が深くなった。
だが、別の薄い目が横から来る。
数。
忠勝の検査は“数の圧”だ。
京香の指先が遅れる。
一拍遅れる。
その遅れを、ユッキーが補う。
(息を吐け。
遅れは恐怖だ。恐怖を吐け)
京香は吐く。
息を吐く。
怖いを吐く。
「……怖い!」
叫びではない。
宣言でもない。
ただの事実。
事実は刃ではない。
事実は、統治が一番嫌うものだ。
暗闇の奥で、忠勝が小さく笑った。
戦士の笑い。
清々しい。
残酷。
「よい。
ならば次だ。
“守りたい者”を増やす」
忠勝が合図をすると、別の廊下の扉が開き、
下級生たちが“誘導”されるように入ってきた。
守る対象が増える。
救えない瞬間を作る。
それが検査の本質。
京香の胃が冷える。
救えない瞬間を作られたら、医療者は折れる。
京香は決めた。
“全部守る”という幻想を捨てる。
代わりに、“ここでは死なせない”に絞る。
白杖を床へ置き、境界線を作る。
六文銭の円を思い出しながら、円の内側へ人を寄せる。
寄せることで守る。
集めることで守る。
統治の真逆を、同じ“集団”でやる。
忠勝の目が細くなる。
「……集めて守るか。
統一ではなく、連帯。
それが現代の強さか」
彼は理解する。
理解できてしまう敵は、最も恐ろしい。
そのとき、校舎のスピーカーが勝手に鳴った。
誰も操作していないのに。
『従え。あなたのためだ』
天海の声。
優しい命令。
史実と一致しない余白が、電気に乗って侵入してくる。
薄い目の生徒たちが一斉に止まり、顔が“正しい顔”に変わる。
京香の視界が白くなる。
雪の白。
2.26の白。
月香の夜の白。
ユッキーが吠える。
(目を閉じるな!
閉じれば、過去へ落ちる!)
京香は歯を食いしばって、目を開けたまま言った。
「……従わない。
怖いけど、怖いまま守る!」
その言葉で、愛美が泣きそうな顔で頷いた。
頷きは拍手ではない。
連帯の合図。
忠勝が、初めて“ため息”に似た息を吐いた。
「――強い優しさだ。
だが、その優しさは長く持たぬ。
削れて終わる」
終わる。
終わりの予告。
影が、ここで初めて冷たく立つ。




