表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
せんごく女子高生  作者: 松原正一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

56/68

第56話「白衣の都――“救い”が制度に変わる病院」

京香が病院の実習見学に行く日だった。

志望理由書を書くなら、現場を見ておきたい。

看護師になる夢は、机の上ではなく廊下の匂いで育つ。


病院のロビーは清潔で、白く、明るい。

それなのに京香の身体は、白を見るほど冷えるようになっていた。


(体温……)


朝の体温計は35.7。

下がり方が“慣れ”ではなく“進行”になっている。

指先の遅延も、短時間では戻らなくなってきた。


胸の奥でユッキーが言う。


(白は、戦場でも病でも同じだ。

“清い”ほど、怖い)


怖い、と言える。

言えることが唯一のブレーキ。

京香は喉の奥で、息を落とした。


受付で名前を告げたとき、すぐ通された。

普通の高校生が、こんなにスムーズに通ることはない。

“偶然”を装っているが、偶然ではない匂い。


案内役の職員が笑顔で言う。


「和久さんですよね。こちらです。――“未来の医療の象徴”として」


象徴。

まただ。

個人が消える単語。


廊下の先に、ポスターが貼ってある。

SHINTOU監修の“医療啓発キャンペーン”。

白衣のモデルが笑っている。

その笑顔が、京香の胸をざらつかせる。


「救いは秩序から」

「不安をなくす、統治の医療」


言葉が、医療と政治を溶かしている。

溶けた瞬間に、責任が消える。

誰も悪者にならないまま、人が縛られる。


見学先の病棟では、医師が説明した。


「最近ね、患者さんの不安が増えてる。SNSで煽られるから。

だから啓発が必要なんだよ。秩序が必要だ」


秩序。

ここでも同じ単語。

言葉が、社会を一本の槍みたいに貫き始めている。


病棟の角で、ストレッチャーが運ばれてきた。

若い男性。制服ではないが、まだ学生の顔。

手首を切っている。浅いが、繰り返した傷。

“助けたい地獄”の再演が、学校の外に漏れている。


看護師が手早く処置を始める。

その動きは京香が憧れる“救う手”そのものだった。

なのに――処置の最中、男の目が薄くなる。


器の目。

薄い目の人間が病院に入ったら、最悪だ。

刃物よりも、点滴よりも、病棟の“規則”そのものが武器になるから。


男の口が、笑った。音にならない笑い。


「……真田……」


西尾の署名。

ここまで来ている。


京香の背中が冷え、体温がさらに一段落ちるのが分かる。

病院で倒れたら、夢が折れる。

夢が折れたら、象徴負けする。

だから倒れない。


京香は、看護師の邪魔にならない場所へ一歩だけ移動し、声を低くした。


「……大丈夫。息して。今は“治療”の時間」


その瞬間、男が急に腕を振った。

処置中の看護師の手元へ、血と針の方向が向く。

故意ではない。侵食だ。

侵食は“事故”として現れる。だから怖い。


ユッキーの声が硬くなる。


(来る。だが、お前は医療の場で“戦うな”。

戦いは医療を壊す)


「じゃあ、どうするの……」


(“手順”で止める)


手順。

医療と同じだ。

力ではなく工程で止める。


京香は咄嗟に、処置台の脇の「廃棄ボックス」を引いた。

針や刃の捨て場。

そこへ、看護師の手元から危険物が“自然に”移るよう、位置だけを変える。


看護師がそれに気づき、無言で頷いた。

現場の連携は言葉より速い。

榊原の速さに対抗できるのは、こういう“現場の速さ”だ。


だが、病棟の奥から足音が来る。

規則正しい。軍靴の足音に似ている。


赤い腕章の男。

井伊直政ではない。

だが井伊の“赤備え”が制度化され、病院のスタッフとして存在している。


「この患者は“保護対象”です。以後、我々が引き取ります」


引き取る。

患者を“もの”として扱う言葉。


看護師が言い返そうとするが、赤腕章は紙を出す。

行政の文書。

制度の盾。

盾は刃より強い。


京香の喉が凍る。

戦場は、もう拳や槍じゃない。

紙と制度が殴ってくる。


赤腕章が京香を見た。


「和久京香。君は見学として不適切な行動をした。

SNSの誤解を生む」


まただ。

“誤解”を理由に証拠を消す。

酒井の匂い。


赤腕章が続ける。


「君は医療者になりたいのだろう。

なら秩序側に来い。

秩序は君を守る。君のためだ」


あなたのため。

優しい刃。


京香は震えた。

でも、震えたまま、言葉を選ぶ。

言葉で勝てないなら、言葉で“踏ん張る”。


「守られるだけなら、看護師になれません。

私は――守る側に行きたい。

そのために、患者の“意思”を残したい」


赤腕章の男が薄く笑った。


「意思? 混乱している者の意思は危険だ」


医療倫理を歪めた最悪の理屈。

京香の中で、怒りが刃になりそうになる。


(京香、刃にするな)


ユッキーの声が引き戻す。

刃にしない。

止める。


京香は一歩だけ下がり、スマホの録音を押した。

証拠を残す。

紙に負けないための形。


その瞬間、廊下の電光掲示板が切り替わった。


《本日よりSHINTOU協賛:院内安心プログラム開始》


協賛。

病院が、世論と制度の中継地点になっている。


京香は、白衣の群れの中で小さく呟いた。


「ユッキー。世界が……病院まで来てる」


(病院は昔から戦場だ。

だが今の敵は“傷を治す顔”で侵す。

――その顔を見抜けるのは、お前の夢だけだ)


夢だけ。

夢が武器になる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ