第47話「進路指導室の裁判――志望理由が“従順度”になる]
進路指導室のドアは薄い。薄いのに重い。
重いのは空気だ。
空気が裁判所の匂いをしている。
中にいたのは担任、進路指導の先生、そして酒井忠次。
酒井は今日も浅く座っていた。公平の姿勢。
公平が最も冷たいときがある。
机の上に、京香の志望理由書の下書きが置かれていた。
――勝手に。
誰が見せたのか。
誰が触ったのか。
その“曖昧”が統治の強さだ。
進路指導の先生が困った声で言う。
「和久さん。あなたの志望理由、とても良い。
ただ……最近の行動が“誤解”を生んでいる」
誤解。
誤解は、真実の代わりに人を裁ける。
酒井が静かに言った。
「君の志望理由は美しい。
だが美しい文は、組織に従うことで成立する」
京香の喉が焼けた。
従うことで成立する夢。
それは夢じゃない。檻だ。
「私は、看護師になりたいです。
だから、同意のない健康管理に反対です」
進路指導の先生が眉を寄せる。
「同意って……学校は君たちを守るために――」
酒井が言葉を引き取った。
「守るために、従わせる。
それが統治の基本だ」
統治。
酒井は隠さない。
隠さないことで、正しさの顔を作る。
京香は、言葉を選ぶ。
ここで感情を爆発させれば、京香が“危険人物”になる。
榊原の速さがその瞬間を切り取って拡散する。
「守るのは、医療でも同じです。
でも医療は、守る側が“説明責任”を負います。
そして、拒否する権利がある」
酒井の目がわずかに動いた。
合理の人間は、“責任”という語彙に反応する。
京香はそこを突く。
「学校は責任を取れますか。
データの扱い、第三者提供、撤回、期限。
明文化してください」
沈黙。
沈黙は、“できない”の形だった。
担任が苦しそうに言う。
「京香……君は受験生だ。こういうのに関わると――」
京香は担任を見る。
担任の目は冷たくない。
冷たくない目ほど、痛い。
「受験生だからこそです。
私は受験で“自分の未来”を勝ち取りたい。
未来を勝ち取るのに、自由を捨てたくない」
酒井が静かに頷く。
「君は切れない。
しかし切れない者は、組織にとって危険だ」
酒井は立ち上がり、机の上の紙を一枚だけ前に出した。
『模範生徒制度:推薦取り下げ』
『地域医療ボランティア:対象外』
京香の胸が一瞬だけ真っ白になった。
夢を、文字で切られた。
切り捨て。合理の刃。
指先が遅れる。
代償が、現実の形を取ってくる。
(ユッキー……)
(……耐えろ。ここで倒れれば、夢が死ぬ)
京香は、泣かない。
泣けば“情緒不安定”の材料になる。
榊原の速さがそれを拾う。
京香は、静かに言った。
「分かりました。
ボランティアは、私が自分で探します」
その言葉に、進路指導の先生が目を見開いた。
“自分で探す”。
組織の外に道があると示す言葉。
酒井の口角がほんの少しだけ上がった。
「……それでいい。君は自分の足で歩け。
だが――歩ける者ほど、削れる」
削れる。
月香の道。不可逆。
京香は、ドアを開ける前に、最後に一つだけ言った。
「私の志望理由は、私のものです。
誰にも“従順度”に変換させない」
廊下に出ると、空気がざわついていた。
すでに話は広がっている。
速い。榊原がいる。
スマホが震えた。
匿名アカウント。
『模範拒否=反秩序』
『看護志望なのに冷酷』
『正しい側に従え』
言葉が、京香の夢を汚す。
それが一番苦しい。
胸の奥でユッキーが言う。
(酒井の切り捨てが、恨みを生む。
恨みは、次の刃になる)
京香は、英単語帳を開いた。
“compassion”。思いやり。
その単語が今日は刃に見えた。
刃でもいい。刃なら折れない。




