第45話「雪の予告――“失敗の記憶”が現在形になる」
夜、京香は机に向かった。
英語長文。数学小問。
志望理由書。
同じ机で、全部やる。
同じ机で世界と夢を並べる。
並べることが、京香の戦いだ。
だが、視界の端が白くなる。
眠っていないのに。
白い霧が部屋に差し込む。
窓の外の音が遠ざかる。
月香の匂い。雪の匂い。
京香は息を呑み、引き出しの白い便箋を握った。
六つの透かし。
六文銭は“役目の完了”の象徴になる。
その象徴が、今はまだ冷たい。
霧の中に、月香が立っていた。
背中ではない。
今度は、正面に近い。
顔は見えないのに、存在だけが胸を締め付ける。
言葉はない。
でも感覚が流れ込む。
――秩序は完成した。
――完成した秩序は、必ず“暴走”を生む。
――暴走は、善意の顔をしてやってくる。
京香の喉が凍る。
2.26の輪郭が、また濃くなる。
雪の野が現れた。
遠くで火が燃えている。
規律正しい足音。
拍手が足音に変わる。
整然とした暴力。
そこに、青年たちがいる。
制服。銃。叫び。
そして――僧衣の影。
『秩序は救いだ。迷うな』
優しい声。
優しい命令。
京香は、夢の中で唇を震わせる。
「……また、同じことをするの?」
月香から返ってくる感覚は、痛いほど現実だった。
――同じ。
――でも、同じではない。
――今回は、学校が舞台。
――若者は“未来”を人質にされる。
未来。
受験。
志望理由。
母の白衣。
全部が繋がった。
次に流れ込んできたのは、別の感覚。
冷たい合理。
切り捨て。
酒井の刃。
――切り捨ては秩序を守る。
――だが切り捨ては、必ず“恨み”を生む。
――恨みは、別の霊を呼ぶ。
西尾の笑いが、雪の中で滲む。
音にならない笑い。
刃の署名。
京香の胸が締め付けられる。
敵の系統が、一本の線で繋がっている。
天海の思想。四天王の役割。西尾の暴走。
そして2.26の失敗。
その失敗を止めたのが月香だった。
止めたのに封じ切れなかった。
その“不完全”が、京香へ渡された。
京香は、夢の中で叫ばない。
叫ぶと飲み込まれる。
代わりに、静かに宣言する。
医療者の声で。
「私は、従わない。
でも、止める。
止める方法を、私が選ぶ」
霧が薄れる。
月香は何も言わない。
でも、最後にひとつだけ感覚が残った。
――嘘をつくな。
――怖いは言え。
――迷うな、ではなく、迷え。
――迷いが、人間を守る。
目が覚める。
枕が濡れている。涙。
涙は体温を奪う。
京香は体温計を挟む。35.7。
数字が落ちた。
代償が近い。
でも、京香は机に戻る。
志望理由書の一行目に、赤ペンで書いた。
『私は、人を“正しさ”で救いたくない。
怖さを受け止めた上で、隣に座れる看護師になりたい』
その一文は、京香の思想そのものだった。
天海と真正面から対立する一文。
四天王の檻を跳ね返す一文。
そして――2.26の失敗を、現在形で回収する一文。
胸の奥でユッキーが、珍しく静かな声で言った。
(……その一文は、槍より強い)
京香は微かに笑った。
笑うのは怖い。
でも笑えたのは、まだ日常が残っている証拠だ。
窓の外で、雪の匂いはまだしない。
それが一番怖い。
雪は、降る前が一番静かだから。




